怪談話で、なぜ幽霊は血まみれなのか!?

こんにちは、ミエナです。

今回は、「怪談話で、なぜ幽霊は血まみれなのか!?」について書いていきます。

ちょっとスピリチュアルから外れる内容ですが、幽界の真理も見えてくると思いますので、ぜひ、お付き合いください。

怪談話で、なぜ幽霊は血まみれなのか!?

私が、これまでに血まみれの幽霊を見たことがあるかというと、「ない」です。

通常、幽霊は、亡くなる前のキレイなお顔の状態で現れます。

ですので、おおかた、「血まみれの幽霊」というのは、怪談話の脚色となります。

ミエナ
死後の肉体は、抜け殻だから、もはや自分ではないのです。自分ではない肉体に未練などないのです。(幽霊の姿は、未練でが実体化したものと言えるので、血まみれは通常、あり得ない。)

学校の七不思議も存在しない

学校の七不思議は、どの学校にもありますよね。

結構、私が幼少のときに怖かったのは、自分の首を持った”首なしの少年”が現れるというお話で、想像しては怯えてました。

夜の学校は、何かと不気味なのですが、実際に、生徒がいる学校は、夜でも波動が高いです。なので、廃校以外は、悪い幽霊に遭遇する確率は、おおよそ低く、七つどころが1つも不思議がない可能性が高いです。

幽霊は、人を驚かすことに興味がない

幽霊に、人を驚かせたいという気持ちはありません。「人を驚かせたい」のは、怪談話を作る人、またオバケ屋敷を運営する人です。

幽霊にとって、人を驚かせるメリットはありません。

ミエナ
人間が近づいてはいけない霊的な場所から、人を追い出すときに、幽霊は「警告」を出すときがあります。この場合、幽霊が人に触れたり、音、声を出したりします。これは、驚かせているのではなく、「ここは、入ってはいけない」というメッセージを伝えているだけです。

幽霊は、驚かせたいのではなく、

幽霊は、常に共感を求めます。共感、つまり「波動の同調」です。

幽霊は、波動が低いために、孤独に陥りやすいのです。そのため、「自分の存在を知って欲しい」、「自分の気持ちを分かって欲しい」と共感を求めるのです。

幽霊と共感すると憑依のリスクがある

幽霊が出たら、怯えないで下さい。まあ、普通の人は怯えますが…

怯えると人間は波動が下がります。波動が下がると、憑依されるリスクが高まるのです。

さて、霊と共感し、憑依されても、昼になったり、霊がいる場から離れると、憑依はとれます。しかし、自分自身が、精神的に弱っている時期に、波動の同調が起こるとずっと憑依された状態となるケースもあります。

このようなときは、ミエナにご相談ください。

肝試しは、武士道に通ずる

さて、最近、新渡戸稲造 著『武士道』を読んでいます。この本の中で、

武士の家系は、子供たちに武士道の精神を肌で学ばせるために、肝試しをする

と書いてありました。

どんな肝試しかと言いますと、武家の肝試しは、夜中にさらし首のある処刑場に子供たちに行かせ、さらし首に、本当にたどり着いたことを証明するサインを書いて戻ってくるというものです。超怖いですね。

なぜ、武家では肝試しをするのか

肝試しによる学びとは、「死を恐れない心」です。死とは身近にあり、生きることと表裏一体であることを、子供のうちに肝に銘じさせるのですね。

子供が転んで泣いたら…武家ではどうするか

武家では、幼い我が子が転んで泣いたら、「そんなことで、殿様に切腹を申し立てられたら、どうするの?」、「そんな弱いことで、腕を斬られたらどうするの?」など、母親が叱るそうです。

武家では、幼少期から「命は軽いものである」という教育を行います。自分の命をかけて、忠誠を尽くすことが武士の務めだからでしょう。

肝試しは、その「生と死」の教育の一環であり、「命の重さ」を学ぶ現代とは真逆であることに驚かされます。

最後に

怪談話が単なるエンタテインメントであるとは、私は思えません。作り話で、多くの演出が入ろうと、「死」というものを通じて、「生きる意味」をも、教えてくれている気がします。

ミエナ
実際に、一番有名な四谷怪談も人情話が、ストーリーの大半を占めますよね。

最後に、「命は軽い」のか、「命は重い」のか、この答えは、いつ正解がみつかるのでしょうか。ただ、1つ言えることは、日本が誇る武士道は、「命は軽い」という教育を代々してきたという事実です。

新渡戸稲造 著『武士道 』は、それを伝えているところだけでも、素晴らしいなぁと思います。

Daisuke
ミエナ
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