こんにちは、ミエナです。
今回は、「男が泣いても良い理由」について書いていきます。
残念ながら、もはや男は強くない
モラハラ、パワハラ、女性専用車両、喫煙問題など、現代は、多くの社会問題に溢れています。
ちょっと前(昭和)まで、何の問題もなかったことが、すごく大きな問題として取り上げられています。
私は、毎日、痴漢冤罪の防止のため、満員電車で両手を上げて通勤し、女性専用車両には、間違っても乗らないようにしています。
さらに、部下の女性に、飲み会に誘わないようにしたり、無責任に仕事をほっぽり出して帰宅するスタッフに、残業をお願いすることもしません。
なぜなら私は、加害者になるのが怖いのです。

モラルに過敏な東急の車掌さん
私は、2年くらい前に、寝坊して急いで電車に乗ったら、そこがたまたま女性専用車両だったことがあります。
※そのときは、出勤途中なので普通のサラリーマンの格好でした。
最初は気づかず、停車中の女性専用車両に乗っていると、男性の車掌さんが来て、一言。


(男性)


(男性)
つまり、車掌さんは、私が男装している女性(おなべ)の可能性もあり、人権(?)に配慮した上で「男ですか?女ですか?」と聞いたのです。
私は、「そこまで、おなべの人への人権(?)を徹底して配慮する必要があるのかな?」と感じました。
「弱い人」を守る社会をつくったら、「弱い」方が得する社会になった
痴漢は犯罪です。
モラハラ、パワハラ、セクハラも、良くない。
これまで大勢の被害者がいて、その被害者が大きな声を上げて、被害を声に出して訴えてきました。
それが、タバコを吸えない街をつくり、女性専用車両をつくり、また、一方で、働き方改革につながり、コンプライアンスという言葉の知名度を上げたりもしました。※ミエナは非喫煙者
思っても、口に出せなかった声。
でも、叫んでみれば、理解者が増えて、大きな波となり、社会自体を変えた。
しかし、出来上がったのは、みんなが平等な社会ではなく…
「私は被害者です。」と声を上げると得をする社会
もちろん、被害者は声を上げていい。(上げるべきです。)
でも、
「自分は被害者です。」と叫ぶ、被害者は、もはや弱者ではない。

しかしながら、本当の弱者は他にいます。
その中の1つが、男性である気がします。
泣くことも許されず。被害を主張することもせず「自分は至らないから苦しいのだ。」と内心で思っている人
男性の多くは、「男は涙を見せてはいけない」と教育され、虐げられた過去があっても、友達だけでなく家族にも話すことをしません。
もしかすると、泣けない苦しみは、当事者である男性自身すら認識していないかもしれない…

男性は泣いて良い
良識ある男性であれば、現代の社会はきっと大声で泣きたい社会(だと思う。)
男性は、この社会に耐えるのもいいけど、泣くと、もっと良い。
頑張って泣こうとしても、きっと涙は出ないけど、いつか自分に素直になって泣ける日が来る。
いつでも泣けるようになってから、泣かないスタンスで生きればいい。
さてさて、こんなことを、私は最近、ドイツ在住の知り合いの”おばあちゃん”に教わりました。以上。(なので、この記事は半分、受け売り)
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