欲しい物っていっぱいありますよね。全部買うお金がない場合、そして、欲しい物全部買っても置く場所がない場合、死ぬ気で想像力を働かせましょう。
「お店に置いてある品物は、私の物だけど、あえて、みんなのためにお店に保管している」
そう思えると自宅に物が増えませんし、必要な物、不必要なものの分別がついて楽です。
ロレックスの時計、エルメス時計、ブルガリの時計、本当に欲しいですか?
自分の腕に巻かれていると数十万円から数百万円します。でも、自分の腕を離れて店先に飾られるとゼロ円です。
そう考えると価値ってなんなんですかね。
北野武さんが言ってました。
若い頃にフェラーリを買ったけど、自分が乗ったのではフェラーリがよく見えない。だから、自分のフェラーリを知り合いに運転させて、別の車で追いかけた。
それと同じです。自分がエルメスの時計をしても、自分で見れるのは、自分の腕と時計。カッコいいかどうかは自分では分からない。
客観的に幸せになっても、自分では幸せに感じないパターンがあります。でも、主観的に幸せになれば、絶対に自分はどんな境遇でも幸せです。
あるインドの神様のお話です。
神様に弟子が「神様、どちらが先に世界を一周できるか勝負しましょう」とケシかけます。
神様はその勝負を了承し、よーいスタートで勝負が始まります。弟子は、もともと自信があったのか物凄いスピードで世界を一周してしまいます。その間、神様はのんびりと構えています。
弟子が世界一周を終え神様に「世界一周を終えました。私の勝ちですね」と言ったとき、神様は「私の方が先に世界を一周した。私にとって世界とは私の妻だ。私は妻の周りを一周した」と答えました。弟子は「参りました」と観念したとのことです。
客観的な思考の重要を学校教育で散々習ってきましたが、でも、幸せかどうかは自分で決める問題です。世界というものもイコールで妻であっても良いのです。
結局は、妄想は正義なんです!!!
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