【2020.10.12 update】この記事に対して、ご質問を受けたので、このページの一番下にて追記させていただきます。
こんにちは、ミエナです。
ブログ更新ができなくて、すみません。
久しぶりに、書けない時期に入っちゃいましたね。でも、ボチボチ、ペース上げて書いていきます。
苦しみの根源は何か?
今回のテーマは「苦しみの根源」です。
人間には、「苦しい時期」と「調子の良い時期」があって、「苦しい時期」に自分とどう向き合うかが、より良く生きる上でポイントだと思います。
その上で、「苦しみの根源は何か?」について知ることは、非常に重要だと思うのですよね。
「なぜ、苦しむのか?」「どうして苦しむのか?」意外と自分で分かっているようで、分からないのが「苦しみ」というモノです。
ここで私の答えを言いますね。
人間は、必要とされていないと苦しみます。
必要とされている人間は、苦しみません。反対に、必要とされていない人間は、苦しみます。
単純な話ですね。
今、必要とされていても、「今後、自分が、必要とされなくなる」と感じると苦しみます。

よって、
常に、「今より人に必要とされる人間」を目指せば、自ずと苦しみは減ると言えるのです。
「人に必要とされる人」と「されない人」
この世には、2種類の人間がいます。「人に必要とされる人」と「されない人」です。この差は、何なのでしょうか?
全人類が、「人に必要とされる人」となり、幸せになることは可能なのでしょうか?
芸人で例えます
売れっ子の芸人がいる一方で、売れない芸人がいます。この差は何なのでしょうか?実は、この問いの答えは簡単で、需要と供給です。

芸人で言えば、需要が多ければ、”売れる”。需要が低ければ、”売れない”ですよね。当たり前ですね。
一方、供給が多ければ、売れません。

つまり、供給が少なければ、少ないほど売れる可能性が高いことになります。
「人に必要とされる人」は、需要が多く、供給が少ない
「人に必要とされる人」は、需要が多く、供給が少ない人です。
つまり、需要が多く、供給が少ない(唯一無二の)人間であれば、苦しみは減ると私は考えます。
一言で言うと、
レアな存在になることで苦しみは減ります。
レアな存在になることで、人に必要とされる可能性が高まり、その分、苦しみが減ると私は考えます。
レアな人になるには、他人の価値観で生きないこと
誰しもが、「人に必要とされる人」になるために、日々、苦しい努力も惜しまず、励んでいると思います。しかし、一方で、そんな努力も虚しく、全て上手くいかない人もいるでしょう。
そんな人は、一度、冷静に自分の人生を振り返り、下記の質問を自問自答してみることをオススメします。
Q.あなたは、誰の価値観を基準に生きていますか?
他人の価値観で生きる一番のデメリットは、自分のレア度が下がることです。
世間の常識に流されて生きていれば、もともと同じような考えの人間がいっぱいいるわけですから、自ずと、自分も供給多寡な人間の仲間入りしてしまうわけです。
供給が多ければ、自分への需要は下がるのです。つまり、
世間体(他人の価値感)を気にして生きると、苦しみます。
それよりも、
自分の価値観を信じて生きると、それは、レア度を上げることに繋がり、苦しみから解放してくれるのです。
苦しみは、自信喪失とイコールである
自信満々の人は、苦しみません。とりあえず、自信満々である状態のときは…
しかしながら、
常に「自信満々である」ならば、死ぬまで幸せなのです。
自信のある状態を維持するには、「自分の価値」を自分で決めることです。
「自分の価値」を所得、偏差値、卒業した大学などで決めてしまうと、自信を保つことはできません。他人が決めた価値の基準に自分を当てはめれば、上には上がいるこの世の中で、永遠と苦しみのループを味わいます。
「自分の価値」を自分で決める
自分の価値を自分で決めるのは簡単です。
なぜなら、誰もが、子供の頃は自分の価値を自分で決めていたからです。子供の頃の気持ちを思いだして、それ以外の他人により埋め込まれた価値観を排除していくのです。
▼子供の頃の純粋な気持ち
- 金持ちも貧乏も同じ人間であった…
- どんな職業の人でさえ、働いている人間は等しく魅力的であった…
- 怒りっぽい人も笑っている人も、愛すべき人であった…
- 太陽は平等に照らしている。花も、虫も、犬も、猫も、人間も…
- 偏差値はただの数字…
こんな心持ちの中、わざわざ他人の持つ価値に標準を合わせるメリットはないはずですよね。しかし、人間は他人の価値感に合わせて生きてしまう…それは、孤独だからかも知れませんね。
▼他人の価値感の例
- 高級時計を持っている
- 大きな家に住んでいる
- 子供が名門校に通っている
- 美味しい料理をいつも食べている
- お医者さん、弁護士という肩書き等
これらの価値を基準に生きれば、自分より上の人間を蔑み、さらには、「若さ」「体力」「美貌」等、自分では不可避である苦しみをも受け入れてしまう…

一部上場企業に勤める優秀な人間も、「若さ」「体力」「美貌」はコントロールできません。
そうであるならば、今、この瞬間に、「自分が自分であること」に価値を置くことができるのであれば、不可避である苦しみも減ることになります。そして、それは、誰よりも自分が幸せになることを意味しています。
「自分の価値観」で動くことの重要性
これまで、お伝えしましたように、苦しみの根源は、「人に必要とされるか、されないか」であり、それは、需要と供給で決まると思います。自分と同じような人間が大勢いるならば、供給が需要を上回り、自分は苦しむことになるのです。
しかしながら、
「自分という人間」は、自分にしか持たない価値を見出すことのできる存在です。
世界に70億人いるならば、70億人分の価値観があるのです。しかし、多くの人は、「自分の価値観」に価値を見出さず、他人がつくる価値に従っています。お金、偏差値、国籍、人種とか…
自分で、自分における価値を見出せば、”70億人の1の存在”になれるのに。みんなが価値を感じることに、共通して、価値を感じるから5分の1くらいしかレア度のない人間になってしまう。
自分の価値感を持つだけ、そして、大切にするだけで、自分の価値は、何百倍ものレア度を上げる。
そして、それが、あなたを「苦しみ」から救う1つの手段となるのです。
自分の意志で動いたとき、人間は「自分の行動」を愛す
他人の価値感ではなく、「自分の価値感で動く」ことを意識したときに、本当に、そのように行動できたか、きっと疑問を持つでしょう。今の行動が「自分の意志なのか」、「他人の意見に流されたのか」、なかなか判断が難しいものです。
例えば、会社を辞めてソバ屋になろうと思ったとき、それが本当に自分の意志かどうか、確かめる術は簡単ではないかもしれません。
しかしながら、自分の意志で動いたとき、人間は「自分の行動」を愛すものです。自分の心に従った行動を蔑(さげす)むことや、否定、後悔することはありません。
人間は、どんな行動でも自分の価値感に基づき行動を起こした場合、前進します。その前進こそが、どんな結果に未来が落ち着こうと、自分を着実にパワーアップさせているからです。
逆に、「自分の行動」を愛せないのであれば、その行動には、他人の価値感が介在しているかもしれません。そのような行動で例え成功を手に入れたとしても、決して心から自分を満足させるモノにはないらないでしょう。
【追記】この記事に対して、いただいたご質問と回答
この記事の内容について、知り合いのNさんからご質問を受けたので、回答を共有させていただきます。
Q.自分の価値観に沿って生きるというのは大事だと思いますが、 言い方を変えるとレアな人間にならないと必要とされないのでしょうか。
人間はもともとレアな存在です。70億分の1の唯一無二と言えます。ですので、「レアな人間にならないといけない」のではなく、「もともとレアな存在」なのです。「レアな人間にならないと必要とされない」というのは、私は正しいと思います。他人に「あなたの代わりはいくらでもいる」と思われたら、自分の存在価値は下がります。需要と供給のバランスです。しかしながら、自分というのは、明らかに、この世に1つしかない存在なのです。そこを見失わなければ、この問題に立ち向かえると思います。
Q.自分を特別な人間だとアピールするために奇抜なファッションをしたりサブカルに傾倒したりする人はいると思いますが、そういう人の需要は少ないというより世間一般的には敬遠される気がします。
奇抜な人は、「奇抜である」というだけでレアではないのです。なぜなら、奇抜な人は大勢いるからです。大勢いるから、レアではなく「世間一般的には敬遠される」のです。
Q. やはり社会的な価値観に合わせて生きている人のほうが多いんじゃないでしょうか。
「レア = 無法者」ではありません。「レア = 自分に従う = 自然の法則に従う」なのです。自然の法則に従うと、個性が発揮され、70億分の1の存在になる(というか、もともと70億分の1の存在..)のです。

Q. 前に霊視してもらったとき、他人の望む絵を描くようにアドバイスされました。つまり他人の価値観に沿ったイラストを描けば需要が発生するということですよね。
他人が望む絵とは、他人の価値感に沿った絵のことではないです。人間というのは、自分の欲しい絵を自分では知り得ません。「他人の望む絵を描く」というのは、他人の幸せを想像して、自分しか描けない絵を描くことです。
ミエナさん、こんにちは。
お変わりありませんか?
季節の変わり目に、更新が途絶えていましたので心配していました。
ブログの更新ありがとうございます。
私も質問させてください。
「人間は、どんな行動でも自分の価値感に基づき行動を起こした場合、前進します。」との事ですが、この行動が非人道であったり、他人を傷つけてしまう場合でも、自分は前進するのでしょうか?
自分自身の価値観がエゴになっていないかは、どう判断すればいいのでしょうか?
M.Hさん
こんにちは、コメントありがとうございます。
ご心配くださり、嬉しいです。
> 「人間は、どんな行動でも自分の価値感に基づき行動を起こした場合、前進します。」との事ですが、
> この行動が非人道であったり、他人を傷つけてしまう場合でも、自分は前進するのでしょうか?
自分の価値感が「非人道」である場合、
それは、「本当の意味での自分の価値感」とは異なるものだと思います。
「自分の価値」に従う場合、下記の感情が発生します。
・自分を尊重する
・自信がつく
・人を大切にできる
・心が楽になる
・行動を起こしたときに後悔しない
・自分の行動を愛せる
・バカボンパパのように「これでいいのだ」と思える
上記が沸き起こらないのであれば、そもそも「自分の価値」を見誤っている状態です。
> 自分自身の価値観がエゴになっていないかは、どう判断すればいいのでしょうか?
私の場合ですが、自分が一番輝いて時代は、どのように世界を見ていたかを想像しました。
この時期に自分は、どのように世界を捉え、どのように未来をイメージし、どのような人間になりたかったのか…
本当に幸せなとき、他人の価値感を自分の本心に逆らって受け入れることはありません。
ですので、自分の人生のベストな時期に、自分は、どのように行動指針を定めていたか、振り返ることが、ヒントになると思います。
自分の輝きを再現する行動指針が見つかれば、それに従うだけです。
参考になれば幸いです。