こんにちは、ミエナです。
今回は、「死んだ後も自分自身の意識は、このまんま存続する?」について書いていきます。
このテーマは、みきぴょんさんから頂きました。
死後の世界でも自分自身の意識はこのまんま存続できているのでしょうか? この意識がなくなってしまうなら死ぬのがこわいなと思います。
みきぴょんさん、ご質問ありがとうございます。
死んだ後も自分自身の意識は、このまま存続する?
自分が死んだときに、自分自身の意識が消えて、「無」の中を漂うことを想像したら、怖くなりますよね。私も、昔、こんな想像をして、怖くなった経験があります。みきぴょんさんのお気持ち分かります。
さて、
人は死んだ後も、意識は継続します。
なぜ、こんなことが分かるかというと、亡くなった方の霊とお話しすると、明らかに生前のことを憶えられていますし、「自分」という存在意識があったからです。
死後の世界の自分
当たり前ですが、人は死ぬと肉体が消失します。
肉体が消失すると、「自分自身の意識」は、そのままであっても、その人の世界感はガラッと変わります。
Q.ちょっとだけ、肉体がない状態をイメージしてみてください。
女性でしたら、お化粧しなくて良いし、ダイエットに励む必要もないです。車にも乗らないし…持病もない…
肉体のない世界は、反対を言えば、「自分自身の意識」だけがある世界とも言えるでしょう…
まさに、観念の世界なんですよね。
波動が死後の自分を左右する
マッチョの人がお亡くなりになると、あの世でマッチョになるわけでなく、美人モデルがお亡くなりになると、あの世でモデルの仕事をするわけでなく…
死後、肉体を引き継げないことで、「自分自身の意識」は大きく変わります。
死後、自分にとって大事になってくるのは…
- お金ではなく…
- ステータスではなく…
- 美貌ではなく…
- メイクスキルではなく…
- 運動神経ではなく…
- 頭脳ではなく…
- 功績ではなく…
死後、自分にとって大事になっていくのは、「生前、誰のために、何を、心からやってきたのか」だけなんですよね。
このことだけが問われるのです。閻魔大王の昔話を、みなさん、聞いたことがあると思いますが、まさに、その通りで、「生前、誰のために、何を、心からやってきたのか?」の審判が下ります。
天国へ行くか、この世を彷徨うか
お金、ステータス、美貌など、この世の「肉体に紐付いた観念」を心に持てば持つほど、肉体への執着があることになり、成仏できない可能性が上がります。
しかしながら、今、生きている間に、「お金、ステータス、美貌などに、興味を持たなければ良いのか?」というと、そうではないのです。
重要なのは、「誰のために」、「何のために」なのです。
- 誰のため、何のために、お金を持つのか?
- 誰のため、何のためのステータスなのか?
- 誰のため、何のための美貌なのか?
- 誰のため、何のためのメイクスキルなのか?
- 誰のため、何のための運動神経なのか?
- 誰のため、何のための頭脳なのか?
- 誰のため、何のための功績なのか?
例えば、女性で「美容」に興味があれば、「生きることを最大限に謳歌し、見る人の心を華やかにするための美容」というテーマを掲げれば、この世で「美容」を極める意義が増していくのです。
今、一生懸命に取り組んでいることを、「誰のため」、「何のため」に当てはめてるだけで、その行動に対するスピリチュアル的な価値は上がっていくのです。
最後にちょっと怖い話
ちなみに、これまでのお話の逆の考えで…
- 自分のためだけのお金
- 自分のためだけのステータス
- 自分のためだけの美貌
- 自分のためだけのメイクスキル
- 自分のためだけの運動神経
- 自分のためだけの頭脳
- 自分のためだけの功績
こう考えていくと、死後、肉体が消失した後も、肉体に執着し、幽霊のように、この世を彷徨うことなります…
コメントをもらえると嬉しいです(´∇`)