こんにちは、ミエナです。
今回は、皆さんから寄せられたギモンについてお答えします。「あなたのギモン大募集」のコーナーです。
今回のテーマは、「愛」です。
ポルカさん(40代女性)
幼い我が子を亡くしてます。お墓が無く永代供養や納骨堂を考えてます。亡くなった方はちゃんとしたお墓に入りたいのでしょうか?幼子は寂しがりますか?
ポルカさん、ご応募ありがとうございます。
今回は、スピルチュアルな観点で、お墓について書かせていただきます。宗教的な観点と異なる場合がございますが、その点、ご了承ください。
そもそもなぜ、お墓は必要なのか?
いきなり余談で恐縮ですが、私の母親はまだまだ健在で、ずっと以前から「自分(母)が死んだら、海に遺灰を撒いてほしい。」と、言っております。本音かどうかは知りません。
自分が死んだときに、お墓に入りたい人もいれば、お墓が要らないという人もいるのは事実ですよね。
では、そもそも、なぜお墓が必要なのでしょうか?
これは、神様にお聞きしました。
「肉体というものが、如何に神聖なものであるか」を、生きている人間がしっかりと認識するためにお墓がある
神様のご回答です。
なるべく、私情を挟まずに解説していきます。
肉体が神聖なものであることに、私たちは気づいていない
肉体は神聖なのです。「肉体は汚れている」という言葉を聞いたことがあるかも知れませんが、反対です。
肉体は、「魂の聖なる神殿」です。魂の方がどちらかというと「汚れています」。
どんな犯罪者でも、肉体は完璧ですよね。魂はどんなに汚くても。
まず、この真実を前提に頭に入れていただきたいです。
肉体は、神様がつくったもの
魂が汚いことにより、人間は「肉体が神聖」であることを理解できないのです。もしくは、理解できない時代がずっと続いていたのです。
日本でも、かつて戦(いくさ)があれば、死体は野放しにされていたと思います。また、今でも北朝鮮では餓死者の遺体が路上に残されているかも知れません。
神様がつくった「魂の聖なる神殿」が、そのような状態(野放し)になることは、生命の尊厳を否定する行為であり、波動を上げるために生まれた人間が、そのような下劣な思想のもとに生きてはいけないという教訓がそこにあります。
繰り返しとなりますが、肉体は神様がつくった「魂の聖なる神殿」です。人間には、魂が宿る「聖なる神殿」はつくれません。
このことを理解することで、自己の尊厳、他人への愛がより一層深まります。
神様が「お墓」という概念を生み出した
「肉体というものが、如何に神聖なものであるか」をしっかり知ってほしいために、神様は人間に「お墓」という概念を与え、それを風習として、人間文化に根付かせました。
そのため、極論を言えば、我々が、「肉体というものが、如何に神聖なものであるか」をしっかり心から理解していれば、お墓は必要ないことになります。
ですが、本当の意味でこのことを理解できる人は、キリスト、ブッダなどの悟りを開いた宗教的な超偉人だけでしょう。
一般の我々が到達できる波動の領域をはるかに超えています。
お墓の必要有無を考える前に
お墓の必要有無を考える前に、「肉体というものが、如何に神聖なものであるか」を私たちは認識しておらず、知る必要があるということを一番の原点にして頂きたいです。
つまるところ、「肉体というものが、如何に神聖なものであるか」これを知ろうとする気持ちがあるならば、お墓でも永代供養や納骨堂でもよろしいことになります。
ポルカさんのギモンへの回答
上記を踏まえて、ポルカさんのギモンにお答えします。
「亡くなった方はちゃんとしたお墓に入りたいのでしょうか?」
お墓が必要なのは、亡くなった方ではなく、生きている人間です。
亡くなられた方が求めるのは、ご遺族の亡くなられた方に対するお気持ちです。
高価なお墓でも、ご遺族にお気持ちがなければ、亡くなった方は喜ばれません。
「幼子は寂しがりますか?」
幼いお子さんの魂がお墓だと寂しがらず、永代供養や納骨堂だと寂しがるということは決してございません。 重要なのは、ご遺骨の前でお手を合わせる頻度です。
たくさん、ご遺骨の前で語りかけてあげてください。あちらの世界にいる幼いお子さんが大人になる年齢までお続けになると喜ばれるのではないでしょうか。
お母さんに甘えたい気持ちは、亡くなられても同じです。ポルカさんのお子さんを思う気持ちを、手を合わせることを重ねることでお伝え下さい。
コメントをもらえると嬉しいです(´∇`)