こんにちは、ミエナです。
今日は、東日本大震災からちょうど10年が経ちましたので、「東日本大震災」について、持論を書いていきたいと思います。
外国人とは異なる日本人の震災イメージ
外国人は、きっと東日本大震災を「”日本で起きた津波や原発事故による未曾有の大災害”だとしか思ってない」と思うのですよね。
そう感じたのは、3年くらい前に、新木場のSTUDIO COASTで、来日アーティストによるロックのイベントがあって、そこで私の好きなバンドの演奏を楽しんでたときです。
そのロックバンドが、東日本大震災の追悼ソングを作ってきてて、それを歌ったのですよね。「Fukushima(フクシマ)」というタイトルでレゲエ調でして…
その追悼ソングは、初披露でワクワクして、最初は聞いていたのですが、なんか違うのですよね。私が想う東日本大震災のイメージと…
周りの日本人ファンたちも、みんながシラけていて…
このときに、日本人の震災のイメージと、外国の方のイメージが恐ろしいほどに違うことに気付いたのです。
きっと、来日ロックバンドが歌いたかったのは、ピース(平和)なんですよ。「今、ここにある平和をより喜びましょう♪」、「今、命あることに感謝しよう♪」という…
東日本大震災と「絆」
東日本大震災では、1万8425人もの尊い命が失われ、避難生活などで亡くなった「震災関連死」は3700人以上とも言われています。しかしながら、これらの被害規模からは見えない、もっと違う重大な意味を日本人は、みな感じていると思うのですよ。
それは、きっと、外国人の考える「平和」とはニュアンスが異なり、私は、「絆」だと想うのです。
2011年3月11日より前に、日本に「絆」はあったのか
東日本大震災の当日を思い出してみてください。
私は、記憶喪失でFM ラジオの仕事を失業し、そのときは、恵比寿のレストランで働いてました。震災時はランチタイムで、お客さんを店の外に避難させ、その後、店を閉めてスタッフみんなでニュースを見てました。
さて、この大災害で、一度、みなの心がバラバラとなり、悲痛に喘ぎ、絶望し、心砕けた…と思うのです。明日が見えない…暗闇状態…
このとき、日本人は、色々な選択肢があったと思います。明日の未来に向けた…
そのいっぱいある未来の選択肢の中から、日本人は、「絆」の道を選んだのです。このドン底のドン底の状態から、今できることとして、「絆」を優先した…
東日本大震災が思い出させた「絆」の力
東日本大震災が単なる大規模災害ではなく、日本人にとって特別な意識を芽生えさせるのは、この災害を通じて、「絆」という何よりも代えがたい日本の潜在的なパワーに気付かされたからではないでしょうか。
このことは、外国人にはきっと判らない…
日本という国に育まれた人間だけが持つ、不思議な共通意識のように感じるのです。
コメントをもらえると嬉しいです(´∇`)