こんにちは、ミエナです。
今回は、「地獄に落ちる人」の特徴について書いていきます。
この先、地獄に落ちる人の特徴
Q.「地獄に落ちる人」とは、どのような人だと思いますか?
「地獄に落ちる人」と言いますと、多くの方は、「犯罪を犯した人」、「詐欺師」、「裏切るタイプの人」などを想像するかと思います。もちろん、これらの人も、この先に、「地獄に落ちる」可能性はあります。
しかしながら、この記事では、「地獄に落ちる人」の意外な真実に迫り、みなさんに、スピリチュアルの奥深さを知っていただきたいです。
「とりあえず、善い行いをしたい」と周りにアピールする人は、地獄に落ちる
「とりあえず、善い行いをしたい♪」、「何でも良いから、ボランティアしたい♪」と周りに、自分の善意の精神をアピールする人は、これから10年ほどは不幸が続きます。
▼アウトな一例
何でもよいから、何か善いことがしたいんだよね。最近、ボランティア精神に目覚めちゃって♪
ボランティア精神そのものは素晴らしいですし、実際に、ボランティア活動されている方に対し、私は頭が上がりません。そして、これから「ボランティアをしよう」と意気込む方も、私は尊敬します。
しかしながら…
「ボランティアしたい」と周りにアピールする人の精神は、善行の精神とは、スピリチュアル的に真逆なのです。
波動が低すぎる人ほど、偽のボランティア精神をアピールする
この世には、お金と権力、そして温かい家庭があっても、全く幸せになれない人が存在します。このような人は、波動がかなり低いと言えるでしょう。
それは…
波動が低すぎる人の幸福度には、限界がある
からです。
波動が低すぎる人は、自分の心を満たそうと、ショッピングや娯楽に勤しんだり、ときに、他人を見下そうとします。しかし、その心を満たすことは、決してできません。
そのため…
波動の著しく低い人ほど、「他人に善い行いをすれば、自分が幸せになる」というスピリチュアルの法則を悪用しようとするのです。
「他人に善い行いをすれば、自分が幸せになる」という欲
波動が高い人にとって、幸せは簡単に手に入るものです。
それは、この世界が愛に溢れているからです。波動が高い人は、その愛を敏感に感じ取ります。野花を見て、命の美しさを感じたり、太陽に照らされ、そこに無限の愛を感じたりできるのです。
反対に、波動の著しく低い人は、自然界に溢れる愛を、感じることができないだけでなく、「充足感」という感情さえ、心が忘れてかけているのです。
そんな波動の低い人は、誤った目的で、「善行」をしようとします。
▼善行における誤った目的
①「幸せになりたい」と思う → ②「善いことをすれば、自分が幸せになる」と考える → ③善いことをしたいとアピールする ⇒ 【結果】向こう10年は不幸になる
本来は、「幸せになりたい」から善いことをするのではないのです。「善いことをしたい」から「善いこと」をするのです。
▼善行における正しい目的
①「善いことをしたい」と思う → 善いことをする ⇒ 【結果】幸せになる
上記が、ボランティアにおける正しい目的意識となります。
同じ「善いことをしたい」と考えても、上記の2つは、目的が全く異なります。前者は、人のために「善いこと」をしようとし、後者は、自分のために「善いこと」をしようとしています。
誤った目的を持ち、このスピリチュアルの法則を悪用する場合、天界への冒涜とみなされます。そのため、自分のために「他人に善いこと」をしようとする人は、もれなく下り坂に向かうのです。
偽善は、「施す側」と「施される側」の隔絶を生む
偽善でなく、本当に「ボランティアしたい人」は、他人に対し、自らのボランティア精神をアピールしません。
なぜなら、ボランティアの本質である、自分がボランティアであることを、なるべく相手に気付かさせないことの重要性を知っているからです。(※)
例:仮に自分がホームレスだったら、どんな人に助けられたい?
ここで例を挙げます。
Q.みなさんは、仮に、自分がホームレスとなったとして、以下のAさんとBさんの2人のうち、どちらにサポートされたいですか?
① Aさん:「私はボランティアです。ホームレスのみなさんに食事を提供してます。どうぞ、食べてください。」
② Bさん:「あなたは、お腹減ってませんか。よかったら、これ食べていただけませんか?少し笑顔が出てきましたね。とても嬉しいです。」
AさんとBさんの微妙な違いが分かりますでしょうか?社会的にAさんとBさんのどちらが正しいかは、分かりません。しかし、ことスピリチュアルの側面で考えると、Bさんの方が幸せになります。
なぜなら…
「ボランティア」の人が「ボランティア」と名乗る意味もなく、名乗った場合、その瞬間に「施す側」と「施される側」に2人の間は分かれるからです。
この断絶は、仮にホームレスのお腹を満たしたとしても、ホームレスの人の復帰に多大なる悪影響を及ぼします。「施す側」と「施される側」に分かれるように、レッテルを貼ることで、復帰する際の精神的な壁になるからです。
つまり、本当に困っている人を救いたいならば、「施す側」と「施される側」の分け隔てを作らないはずなのです。
最後に
苦しんでいる人に対し、「施す側」が、無用にそのことをアピールするならば、天界から心の是正を求められます。そして、残念なことに、そのような人は、この先、苦しい修行の道に入るのです。
「善いことをしようとしているのに、天罰が下る」というこの記事の内容は、どうしても納得できない方もいると思いますが、それくらい天界は偽善に対して厳しいのです。なぜなら、それは、人間を惑わすからでしょう。
惑わすというのは、他の人間を知らず知らずのうちに不幸に導く可能性があるのです。
こんにちは
奉仕は、自分でその動機に気を付けていないと、偽善や自分欲求を満たすものの表現になりますね
私も、子供達を守れたらという思いで、養護施設の子供達にと年末になると編み物をして施設に贈ったり、災害の被災地には物的支援をして来たりと、ボランティアのような事をして来てますが、
時に、そんな自分を振り替えってみては、自己満足なだけじゃないか?と、思ったりもするわけです
だけど、この世は、心と裏腹矛盾だらけ、仮面被りまくって事が進む事も多く、茶番劇を繰り広げながら生きているようなものです
本心が願わなくとも、取り組まないといけなくなる場面も多くあるものです(笑)
縛り縛られ、、と
偽善には、為りたくないですけどね❗
江頭2:50は東日本大震災の時にやむにやまれない思いから自ら物資を届けに行って幸せ度がアップしたように見えます。あんなことはなかなかできない・・・
今どこの企業もSDGsで善いことをしますアピールしていますが、10年ほど苦しみますって言っているようなものでしょうか?
k39さん
コメントありがとうございます。
江頭2:50さんは、えがチャンネルの配信から好きになってます。
元気もらえるのですよね。
ボランティア活動も存じてます。素晴らしいです。
ミエナ
とてもドキリとさせられる記事でした。
目の前の人に寄り添うのではなく、立場を演じるという偽善、天はその行為にとても厳しい…
我が身を振り返りました。