こんにちは、ミエナです。
今回は、「素晴らしい人間は不幸である」をテーマに書いていきます。
「素晴らしい人間」は不幸である
ニックネーム:感謝さんから、下記のご質問を頂きました。ご紹介させていただきます。
小さい頃から性格が良く優しくて、誰にも酷いをことをせず誰の悪口も言わないで、普段から表でも裏でも人助けをしたり徳を積んでいて、夢や目標に対して物凄い努力をしていて、普段から前向きに生きるようにしていて、辛い出来事があっても精神状態を切り替えるよう努力していても、物事が中々上手くいかなかったり、小さい頃から辛い出来事が多く、1日の間にたくさん辛い出来事が起きたり、たくさんの人から酷いことをされたり、それが数ヶ月〜一年以上毎日続く人には、スピリチュアル的にどのようなことが考えられますか?
感謝さん、ご質問ありがとうございます。
いわゆる「素晴らしい人間」の末路
ニックネーム:感謝さんのおっしゃる人間は、いわゆる「素晴らしい人間」ですよね。
まとめると…
- 性格が良く優しい
- 誰にも酷いをことをせず誰の悪口も言わない
- 普段から表でも裏でも人助けをしたり徳を積んでいる
- 夢や目標に対して物凄い努力をしている
- 普段から前向きに生きるようにしている
上記の「素晴らしい人間」は、一見すると幸せになりそうですよね。ただ、多くの落とし穴があります。なので、ニックネーム:感謝さんがおっしゃるように、下記のようなことが起きてしまうのですよね。
- 1日の間にたくさん辛い出来事が起こる
- たくさんの人から酷いことをされる
なぜでしょうか?下記で説明します。
①「性格が良く優しい」人は、幸せになれない!?
「性格が良く優しい」人っていますよね。私は、好きです。でも、100人中100人に「性格が良く優しい」って、思われている人っていないですよね。
「性格が良く優しい」というのは、1つは不確定要素であるし、そういう人ほど、アンチ(嫌悪感を抱く人)がいたりするもの…
私は、
「性格が良く優しい」よりも、「接する全ての人と良い感じに距離がとれる人」の方が幸せ
だと思います。
「性格が良く優しい」というのは、多分に不幸になる前提を孕(はら)んでます。
②「誰にも酷いをことをせず、誰の悪口も言わない」人は、幸せになれない!?
「誰にも酷いをことをせず、誰の悪口も言わない」人は、ひと昔の言葉で言うと”いい子ちゃん”でしょうか??
上記で、私は、幸せな人間は「接する全ての人と良い感じに距離がとれる人」と述べましたが、
「誰にも酷いをことをせず、誰の悪口も言わない」人は、接する全ての人と正しい距離感をとることができません。
なぜなら、波動の低い人と上手くやり合えないからです。
下記は例です。(登場するAさんが、”波動が低い人”の設定です。)
▼波動の低い人と適切な距離が保てない人
Aさん:アイツ、本当にどんくさい(怒り)。会社から去って欲しいっ
★Bさん:そんなこと言わないでください。そうは言っても、あの人だって、いいところありますよ。
Bさんは、いわゆる”いい子ちゃん”です。絶対に悪口を言わない…
しかしながら、この世は、このB子さんには厳しいですよね。次の悪口のターゲットはB子さんでしょう。
私が考える幸せな人
▼波動の低い人と適切な距離が保ち、逆に波動を上げてしまう人
Aさん:アイツ、本当にどんくさい(怒り)。会社から去って欲しいっ
★Cさん:たしかに、Aさんの言う通りですね。本当にどんくさい。こないだも、コピー用紙ばら撒いてたし…。でも、どうやったら、あの子、自分の弱さに気付いて、活躍してくれるようになるかなぁ?Aさんなら、どう思う?
悪口を言わないBさんよりも、Cさんのように、
悪口に同意しつつも、”悪口を言った相手”の幸せを願う心を持つ人は、幸せな人
だと思います。Aさんに、「どう思う?」と聞くことで、Aさんの波動も上がります。
なので、「誰にも酷いをことをせず、誰の悪口も言わない」人は、幸せになれないのです。
③「普段から表でも裏でも人助けをしたり、徳を積んでいる」人は、幸せになれない!?
そもそも「徳」とは何でしょうか?
人間の持つ気質や能力に、社会性や道徳性が発揮されたものである。
徳 – Wikipedia
「徳」とは、「社会性」が発揮されなければいけないもののようです。では、自分がした「徳を積んだ行為」は、本当に「社会性」が発揮されているのでしょうか?
これって、実は誰にも分からないのですよね…
例えば、
二酸化炭素を減らそうと、ガソリン車に代わって電気自動車を普及させても、電気自動車の方が、製造過程や電力の発電過程において、ガソリン車よりも二酸化炭素を排出させたりしてしまう問題ってありますよね。
「正しい」ことをやっても、それが「結果的に正しい」のかは分からない…実は、正解がないのです。
それと一緒で、自分が「徳」を積んでいるかどうかは…神のみぞ知る…
自分で「私は徳を積んでいる」と思ったり、他人を見て、「彼は徳を積んでいる」と思ったりしても、それが「徳」かどうかは分からないのです。
参考記事:この先、地獄に落ちる人の特徴【○○をしたら、不幸の前段です】
④「夢や目標に対して物凄い努力をしている」人は、幸せになれない!?
「努力」は人を幸せにしません。
うっそ〜、思った方、本当です。「努力」が人を幸せにするのではなく、
「努力した成果」が人を幸せにします。
「努力」しても何も身につかなければ、意味ないですし、「努力」して得た力を社会のために発揮しなければ、幸せになりません。
⑤「普段から前向きに生きるようにしている」人は、幸せになれない!?
みなさんに質問です。
Q:毎日、前向きに生きたら疲れませんか?
私は、疲れます…なので「後ろ向き」になりたいときには、「後ろ向き」になります。
「後ろ向き」な気分を受け入れるのです。「後ろ向きな自分も好きだよ」って。
気分が後ろ向きのときに「前向きになろう!」と意識したら、すごくストレスが溜まります。
ストレスが溜まれば、無意識に人に当たってしまうかもしれないし、お酒をいつも以上に飲んでしまうかもしれない…
なので、「後ろ向き」でいいのです。
「後ろ向き」の自分を抱きしめてあげれば、「前向きになろう」なんて思わなくても、勝手に、前向きになります。
こんばんは。
こういうとても答えづらい、微妙な疑問に答えてくれるのがこのブログの面白い所ですね。
人間てそんなに、こういう目標に向けて努力すべきだというのはないと思います。
山にこもって厳しい修行をした高僧が、死んだ後に素晴らしい世界に行くわけではないそうですしね。
自分の美意識に恥じない範囲で、他人に親切にすべき時にはすべきだろうなと思います。
そしてそんなに人生って幸せでなくてもいいと思うんですよね。
ハサウェイさん
コメントありがとうございます。
> そんなに人生って幸せでなくてもいいと思うんですよね。
なかなか奥が深いことをおっしゃいますね。
「幸せ」は、定義しにくいし、
なろうと思ってなれるものでもないですよね。
ミエナ