「より完璧な暮らし」を求める必要はない【スピリチュアル的な理由】

こんにちは、ミエナです。

今回は、「より完璧な暮らしを求める必要はない」というテーマで記事を書いていきます。

「より完璧な暮らし」について

「より丁寧な暮らしをしたい」という声を多く聞きます。

「どうせ、生きるなら、より良く生きたい」と願うのが人間で、こだわりを持って生きることに憧れるものです。

▼より丁寧(完璧)な暮らしの例

  • こだわりの道具を使う
  • お子さんへのより良い教育環境を整える
  • より安全な食品を食べる
  • より広く、清潔な環境で暮らす
  • 車を定期的に買い換える
  • 上品な人と付き合うようにする
  • より美しいものを身に纏う

人は誰しも、意識的に考えているかは別として、「より完璧な暮らし」というものを欲するものです。

私もそうですが、より高い給料の職場を求めているし、より健康的な食品を食べたいし、服を買ってより人間関係を良好にしたい…

子供がいたら、より良い学校に通わせたい…

「より完璧な暮らし」を求めるということは、「より良く生きる」ことにも、似てますよね。

しかしながら、

「より完璧な暮らし」を求め、「より良く生きること」を突き詰めると、自らの波動は下がります。

「嘘でしょ!?」と思った方。私も同感です。しかしながら、天界は上記のように考えています。この理由を下記で書いていきます。

なぜ、「より完璧な暮らし」を求めるべきではないのか?

「より良く生きること」は、すごく大変で、1つ1つ気を配って生きる必要があります。掃除したり、挨拶を心がけたり、メンタルを良好に保ったり、車を買い換えたり、家の修繕をしたり…

お金に余裕があれば、これらに注力できるし、時間をかけて「より良く生きる」ことも突き詰めていけますよね。お金がなくても、努力でなんとかカバーできます。

ただ、「より良く生きる」を突き詰めても、その先には、何もありません。

それは、

「生きること」が「生きること」の目的ではないからです。

「より良く生きる」ことに熱心な人は、そこを誤ってしまっています。実は、「より良く生きる」ことが重要でないのは、「生きる」こと以上に重要なことがこの世に存在するからなのです。

誤解を恐れずに言うならば、命より重いものが、この世には存在するのです。

命より重いもの

「より良く生きる」というのは、暮らしを快適にするための大切な行為かも知れません。しかしながら、それ自体を生きる目的の1つに設定してはいけません。

なぜなら、「より良く生きる」よりも前に、「生きる = 命」より重いものを軽視してしまう恐れがあるからです。

命より重いもの。それは、「生きる理由」です。つまり、「何のために生きるのか?」です。

「より良く生きる」ことに囚われ、何のために生きているのかを私たちは忘れがちなのかも知れません。

失業者でも、部屋が汚くても、ボロボロの服を着ていても、「何のために生きているか」を知り、実行している人は、「丁寧な暮らし」に注視する人よりもスピリチュアル的に尊いのです。

すべての人類は、「より良く生きる」ために、この世に存在しているのはありません。使命を持って、魂を磨くために生きています。

丁寧な暮らしは、一見、素敵なライフスタイルに見えるかも知れません。しかしながら、それが生きる目的になってしまうのは本末転倒なのです。

「何のために生きるのか?」この答えが出たときに、あなたの周りに構築される生活環境こそが、あなたに最適なライフスタイル環境なのです。

自分から、意図的に完璧で丁寧な暮らしを心がけることは、スピリチュアルの潮流から外れることになると私は考えます。

だからこそ、オシャレなライフスタイル雑誌を捨てて、「何のために生きるのか?」だけ考えてみませんか?

ミエナ
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