心が綺麗なだけではダメ!?心に棘を持つことの大切さ

こんにちは、ミエナです。

今回は、「心が綺麗なだけではダメ!?心に棘を持つことの大切さ」をテーマに記事を書いていきます。

心が綺麗なだけではダメ!?心に棘を持つことの大切さ

Q. あなたは、心が綺麗な人ほど「優れた魂の持ち主」だと思いますか?

一般的にはそのように言われますが、果たして本当でしょうか?

カウンセラー
邪念を消し、心をキレイにしましょう。

上記のように、スピリチュアルカウンセラーは「綺麗な心」を推奨します。しかしながら…

心が綺麗な人 ≠ 優れた魂の持ち主

だと思うのです。

美しい人には棘(トゲ)がある

「美しい人には棘がある」という諺がありますが、これは「美しい人には危険な一面もある」という意味です。反対に、「棘があるからこそ美しい」とも言えます。棘のないバラはそれほど人の心を惹きつけないと、私は感じるのです。

ミエナ
太陽の搭で有名な芸術家、岡本太郎氏も『自分の中に毒を持て』という本を出しています。私も学生時代にこの本に大きな影響を受けました。

映画に登場する人気のヒロインは、どこか小悪魔的…

純粋無垢で欲もなく…わがままも言わず…全くめげもしない…そういう人は、ちょっと近寄りがたいですよね…。私だけでしょうか??

ドラマ、映画、アニメを観ていても、そのようなキャラクターは、作中で目立つことなく脇役で終わります。

反対に、人気のヒロインは、甘い物に目がないなど、どこか憎めない欲や邪念を持っています。心にある邪念は、それをきちんと制することで、人間味のある大きな魅力に繋っていきます。

心に棘があるからこそ、人の心の痛みが理解できる

この世に「優れた魂の持ち主」が存在するのならば、それはきっと「人の気持ちが分かる人」のことでしょう。そして、人の気持ちを理解できるようになるには、人間の持つ苦しみ、痛み、弱さ、愚かさも同時に理解している必要があります。

ここで、子どもの例を挙げます。

一度もケンカしたことのない男の子よりも、一回はケンカを経験して相手や自分の拳の痛みに気付ける子どもの方が、きっと人の気持ちが分かる大人になることでしょう。

そして、

心に棘があるから善悪の判断ができます。悪を拒絶する人に、この様な判断能力は持ち合わせません。

人間は、心を「綺麗さ」という基準で測るのではなく、自分の中にある「棘」を認識し、その危険性を熟知しながら、人を傷付けないように生きる方が重要だと感じるのです。

地球の低波動に立ち向かうための「棘」

純白で美しい心をこの地球で維持するのはとても難しいです。

その理由の1つは、ドラマ『3年B組金八先生』で有名な「腐ったミカン」の話にヒントがあります。「腐ったミカン」とは、たくさんのミカンが入った段ボールの中に、1つでも腐ったミカンが同じあると他のミカンも腐ってしまうという話です。金八先生のドラマでは、これを学校のクラスの生徒に例えているわけです。

この地球は、低波動の中にあり、邪念が渦巻きやすい環境です。そのような中で、自分だけが心を綺麗に保っていても、他の人や社会からの邪念(低波動)の悪影響を受けしまいやすいのです。

これにより、純白で美しい心を永久に保つのは容易ではありません。

2つ目の理由は、心の綺麗な人ほど、「心の防御力」が弱い点です。

分かりやすく例えると、深夜の六本木などの繁華街で、心が綺麗すぎる人が歩く場合、犯罪に巻き込まれる確率が、そうでない人より上がります。それは、心が綺麗な人ほど、波動の低い人に気づきにくいためであり、また、悪い人でも誰でも信用してしまうためです。

心に棘を持つことは、この低波動の地球の中で、心を綺麗に維持するためにも大切なことなのです。

ときに関心するギャルの精神

私は、ギャルの生き方は、とても見習う部分が多いように感じます。彼女達は、自分の悪いところ、欲深いところを包み隠さず露呈させ、その上で堂々と生きています。

自分の中の棘にまっすぐに向き合うことで、世の中にある「棘」に対して、上手に断ち振る舞うことができるのです。

彼女達のきっぱりとした物言いは、自分の良さ、悪さをきちんと理解できているからこそ発せられるのだと思います。(もちろん、人によると思いますが…)

邪念を消すのではなく、邪念を包むことの重要性

スピリチュアルの中では、「邪念を消す」という考え方は一般的に正しいとされています。でも、心から邪念を全て消すことよりも、自らが持つ邪念をきちんと理解し、自らの邪念に飲み込まれないように制する方がもっと大切に感じます。

そのように私が考えるのは、自分の邪念を消そうとして、疲れ果ててしまう人が割と多いと感じるからです。心をクリーンにしようと努力する一方で、社会の邪気から逃げ切れず、最終的に精神的にダウンしてしまうのです。

また、邪気を拒絶しすぎる人は、周りからの影響で、自分の心に大きな邪念が湧き起こったとき、自分で対処できず、邪念に飲み込まれてしまうこともあります。つまり、邪念を消すことだけに終始するだけでは、この世の低波動と上手に共存できず、「優れた魂の持ち主」とはならないのではないでしょうか。

邪念を包む方法とは?

Aさん
では具体的に、どのように邪念を包むの?

上記のAさんのように思う方が多いので、分かりやすい一例を挙げます。

▼お金に欲が湧いた場合に、邪念を消そうとする人(Yさん)

Yさん
お金欲しい〜っ

Yさん
欲を持たないように滝行しよう!

上記のYさんは、修行僧のような考え方をしていますよね。このように邪念を消そうとする人は、自然と社会から遠ざかり、邪気の少ない山奥に移住したりします。邪念を自力で消す発想になると、邪念の多い都会は不向きなのです。

Yさんのように頑張るのも良いのですが、都会など人の邪念が渦巻くところに住んでいる場合は、毎日のように心をクリーンにする必要があり、そのために精神エネルギーを使い果たし、心が窶(やつ)れてしまうこともあるのです。

▼お金に欲が湧いた場合に、邪念を包む人(Zさん)

Zさん
お金欲しい〜っ

Zさん
でも、お金を持っても幸せになるとは限らない!

上記のZさんは、論理的な思考で「お金欲しい」という邪念を包んでいます。

「お金欲しい」という気持ちを否定せずに、ただ、自分の気持ちを客観視し、自らの理屈(真実)を持って制しているわけです。

邪念を包むには、自らの真理を見つけ、論理的に「自らの主観を客観視する」ことが重要になります。邪念というのは、主観性が強いときに心を覆い尽くすものですので、そのような主観性の強い精神に対し、真実から自分を客観視するのです。

まとめ

▼聖なる心で邪念を打ち消す

  • 邪念を消すためのエネルギー消費量が多い
  • 邪念を持つ人の気持ちが理解できない
  • 邪念の多い都会を避けるようになる
  • 都会で生活する場合、心をクリーンにする度に、心が窶れる

▼真理を見つけ、論理的に邪念を包む

  • 邪念を消すためのエネルギー消費量が少ない
  • 邪念を持つ人の気持ちが理解できる
  • 都会でも生きていける

今回の記事は、やや分かりにくいところがあるかも知れませんが、この記事の内容に関して、気になる点がありましたら、コメント欄にご記入ください。

ミエナ

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