こんにちは、ミエナです。
今回は、私の記憶喪失のきっかけとなった10年前の屋久島旅行の不思議な話をさせていただきます。屋久島に行った4ヶ月後に記憶喪失になりました。
屋久島に行った直後から自分の精神に異変があったので、私の霊能力人生のきっかけと言えます。
やや長いです。しかも結論は、最後です。よろしければお付き合いください。
※記憶喪失の症状は、解離性健忘に近い気がしてます。当時、病院には行っていません。会社は仕事ができず、退職しました。現在は、10年経っているので、ほぼ回復しています。
10年前の27歳のとき。過労死ギリギリの毎日
10年前の27歳のときです。季節は8月です。
当時、私はラジオ放送の制作の仕事に就いてまして、番組を1週間で8本くらい作っていました。8本というのは、まあまあ多い方で放送局で寝泊まりは毎週。30時間以上の連続勤務が週3日間くらいありました。。おそらく週120時間くらい働いていたと思います。
さらに、制作している8本の番組放送時間の関係で休日がない期間が4ヶ月間も続いてました。
つまり、過労死しても仕方がないくらいに、昼も夜もなく働いていたのです。
にわかに想像しにくいかも知れませんが、会社に労働を強制されていたのではなく、仕事が好きすぎて、ラジオ番組にこだわりすぎて、その結果、働きすぎてたのです。
サザンのおかげで4ヶ月ぶりに急遽3日間の休暇がもらえた
そんな8月のある日、サザンオールスターズのライブを生配信する企画がラジオ放送局で立ち上がり、急遽、確定したとのことで、私の担当する番組が休止となりました。そして、突如、3日間もぽっかり休みができたのです。
久しぶりのまとまった休みでしたので、前日までに仕事を終わらせて、屋久島に行くことにしました。
超テキトーに屋久島旅行の予定を決めた私
仕事で忙しかったため、スケジュールは、ササっとネット検索して決めました。下記が当時のスケジュールです。(後でも、説明してます。じゃんじゃん読み飛ばしてください。)
【1日目】
🛫 羽田空港 →(鹿児島経由)→ 🛬 屋久島空港 → ♨ 海中温泉 → 🏡 民宿(一泊)
【2日目】
🏡 民宿 → 🌲 縄文杉 → 卍 芙蓉寺(一泊)
【3日目】
卍 芙蓉寺 → 自由時間 → ⛴ フェリー → 🛫 鹿児島空港 → 🛬 羽田空港
1泊2食付きで1,000円のお寺を見つけて予約
スケジュールに芙蓉寺(ふようじ)というお寺があると思います。これは何かと言いますと、当時、働きすぎで精神的に参っていたので、座禅とか瞑想をしたかったのです。当時は、ヨガ教室に週1回1時間くらい通って、ヨガの座学も受けていました。
ちなみに2008年頃は、滝行、写経などもテレビで取り上げられ、世間的にちょっとブームの時期でした。もちろん、ラジオ番組でも取り上げてましたので、スピリチュアルなことは、ちょっとだけ、かじっていたのです。
そんな中、ネット検索で「屋久島 座禅」で検索し、検索結果に出てきたのが芙蓉寺でした。
※現在、芙蓉寺の公式ホームページは閉鎖されています。代わりに、取材レポートしているサイトがありましたので、ぜひ、ご覧ください。
このお寺で、なんと1泊2食付き1,000円。ありえないと思うのですが、屋久島で一泊2食付き1,000円は、当時(2008年)、実在しました。
とりあえず、電話予約を入れて、準備完了で、ササっと済ませて、「あとは現地で」みたいな軽いノリでした。
普通の観光旅行になるつもりで屋久島へ
屋久島へ出発しながらも、機内で仕事、宿泊先で仕事などちょいちょい仕事をする羽目になりました。しかも、前日は一睡もしていません。番組が1本中止になっても、仕事がいっぱいあったのです。
さて、屋久島について、何も知らない私は、もっと屋久島を知ってから行こうと思い、1冊の本を買って読んでました。山尾三省 著『聖老人―百姓・詩人・信仰者として』です。
普通は、ガイドブックを買うと思うのですが、私の場合、変なことを率先してやらないと面白いラジオ番組は作れないと考えていたので、ガイドブックは買わず、屋久島の思想家 山尾三省の本をAmazonで買ったのです。
これも5分くらいでササっと面白そうなのを表紙で選んで買ったのでした。こういう本を読むとディープな屋久島が見えてくると思ったのです。
この本を片手に、屋久島への移動中、機内で読んでいたのです。
屋久島1日目(海中温泉でのんびり)
さて、前日、寝てないこともあり、屋久島に着いて、大した感動もなく海中温泉に入り、民宿に宿泊しました。
一応、平内海中温泉の解説を掲載します。
屋久島の南端の磯の中から湧き出ている温泉。海面下にあるため、一日二回の干潮前後の5時間しか姿を現さない。そのため、この干潮時のみ入浴することができる。満潮時は海中に沈む。入浴料金は無料。ただし、管理人が整備のための募金(100円程度)を求めている。混浴で、特に脱衣所等は設けられていないために、岩陰で着替えることになる。水着の着用は不可。
平内海中温泉 – Wikipedia
疲労が凄すぎて、温泉だけでは回復しきれなかったのを憶えています…
民宿で地元の水「縄文水」を購入
1つ目の宿は、縄文杉へ向かう登山口行きの路線バスが出ている安房(あわ)という街の民宿に泊まりました。
そこの売店には、「縄文水」という水が売られており、私は、「明日は登山だから余分に水を買っておこう」と思い、1つ買ったのでした。
縄文水とは
「屋久島 縄文水」 – 公式ページ
緑あふれる原生林に降った雨が花崗岩によってろ過された地下水は、樹齢7000年を超える巨大な屋久杉などの森を育んできた、いわば生命の源。 … 屋久島縄文水は、硬度約10mg/Lの軟水。 特有のまろやかなおいしさは水の国・日本でも有数の名水と言われるにふさわしいものです。
屋久島2日目(不思議現象が起こる)
私の屋久島の旅行は2泊3日で屋久島を味わいつくす予定でしたので、かなり強行スケジュールでした。早朝に縄文杉に向けて出発。夕方には、芙蓉寺がある一湊(いっそう)まで行って、地図がないお寺を探さなくていけませんでした。
縄文杉に早朝から登る
登山口までバスで行き、朝6時くらいから縄文杉に向かって歩き始めました。バスはかなり混雑でほぼ大型バスが丸々満席だったと思います。
縄文杉は、屋久島に自生する最大級の屋久杉。
幹周:16.1m
縄文杉 – wikipedia
樹高:30m
樹齢:推定3,000年以上(2,500年説もあり)
懐中電灯やヘッドランプを持って、みなさんは登山をしていました。私は、何も準備してませんでした…
登山口のスタート地点では大勢の方がいたのに、そのうち、朝の暗い登山道で独りになってしまいました。
道は分かりやすく広いのですが、木々が鬱蒼と生い茂る森ですので、早朝でも暗いのです。もののけ姫の舞台と言われるだけあって、不思議な世界に迷い込んだイメージです。
海外のミネラルウォーターが飲みこめなくなる(神の声?を聞く)
さて、私は東京からミネラルウォーター「evian(エビアン)」を持ってきていましたので、登山で疲れたので、歩きながら飲もうとしました。
そうすると、ミネラルウォーターが飲み込めないのです。飲もうとすると、無意識に吐き出してしまう。自分の意思と身体が連動しないのです。
何回、飲んでも吐き出してしまうので、10回くらい何度も繰り返してしまいました。ちょっと、それが逆に面白くて「何これ!?」っていう感じで、初めての霊体験?だったかもしれません。
次に、民宿で買った地元の水「縄文水」を飲むと、普通に飲めるのです。また、「evian」を飲もうと試すと吐いてしまう。本当に不思議でした。
この不思議現象の直後に不思議なメッセージを受け取ります。
「森のルールに従え。ここの主役は人間ではない。森なのだ。」
霊体の声を聞いたのは、おそらくこれが初めてだったと思います。声というよりは、自分の頭に浮かんだ不思議なインスピレーションに近いです。
つまり、屋久島の原生林にとっては、水こそ命です。命である水を尊重せず、東京の若造がフランス産の「evian」を軽々しく、森の中で飲むことにお怒りになったのだと思います。
例えがアレですが、日本酒の酒蔵見学に言って、その酒蔵で堂々とハイネケンを飲んだら、酒蔵の人はイラッときますよね。
屋久島の原生林でも同じで、屋久島の原生林が育んだ水「縄文水」を飲むことが、森に対しての礼儀であったと今では解釈しています。
ちなみに、観光地に行ったら必ず現地の水を飲むようにしてください。土地が持つパワーを存分に感じることができます。パワースポットなら尚更ですね。
芙蓉寺が予想外に秘境で、地図もないし、道もない
縄文杉では特に何もなく、不思議体験は登山途中まででした。さて、縄文杉を見た後は、急いで下山し、一湊(いっそう)というブランド魚「くびおれサバ」が有名な港町にある芙蓉寺に、夕方までに行く必要がありました。
急いで下山していると、観光ガイドのおばさんに「そんなに急ぐものではありません。ゆっくり自然を味わいなさい。」と叱られてしまいました。
と言いつつも、夕方までに島の北側にある観光地でもない地味な港町まで行く必要がありましたから、そんなことお構いなしです。
一湊へは路線バスで行き、一湊からタクシーで芙蓉寺に行くことにしました。道も分からないので、地元のタクシーの運転手を当てにしてました。
一湊に夕方4時に着くと、すぐにタクシーはつかまりました。行き先を「芙蓉寺でお願いします。」というと、まさかの「どこですか?そこは?」という返事が返ってきました。
私は住所は知っていたのですが、当時、芙蓉寺のホームページには地図はなく、「〇〇の看板を右に行き、橋のない川を渡り、獣道を進むと入口がある」という2行くらいの文章だけが地図の代わりにあっただけなのです。
※芙蓉寺の公式ホームページがなくなったため当時の記憶を辿って書いてます。
※芙蓉寺について詳しくはこちらのサイトをご覧ください。
※ちなみに2019年現在でも、Google MAPに道がない ので、行こうとするとかなり苦労すると思います。
▼芙蓉寺の場所
地元のタクシーの運転手もお手上げで仕方ないので、近くまで行って降ろしてもらいました。文章の指し示す通りに進むと、本当に河があり、橋もなく、石をつたって渡れました。けもの道もあり、草が生い茂って道かどうか分からないけれど、それが山奥に続いていくので、そのまま進んでみました。
周りが薄暗くなろうとしている頃、ようやく人間の文字で書かれたボロボロの看板を見つけます。ずっと人気(ひとけ)のないところを歩いていたので、人工物を見て嬉しくなったのを憶えています。
座禅中に巨大ゴキブリが出る
この芙蓉寺には、住職が一人で住んでました。本当に一泊二食付きで1,000円でした。芙蓉寺には立派で綺麗な観音堂があり、そこで座禅を組んで就寝という感じでした。
ちなみに、大勢、修行僧がいると思ってた私は、住職の他に誰もいないことに気づき唖然とするのでした。
座禅は、60分くらい住職の念仏の中、座禅を組みます。
座禅しているときに、巨大なゴキブリが出て、「こっちにくるなっ」と心の中で叫んでいたら、私に背を向けていた住職は、私の方を一度も向かずに、なぜか状況を察知し、念仏をやめ「山のゴキブリは悪いものではない」と言いました。
住職のなんでもお見通し感は、凄まじかったです。
芙蓉寺で一泊(不思議な夢を見る)
芙蓉寺での寝床は、まさかまさかの観音堂でした。観音堂に一人で寝たことがある人がいれば分かるのですが、超怖いです。今ならまだしも、当時は霊感もないので、普通に怖いです。何か出ない方がおかしい場所でした。住職が一緒ならまだしも、山奥の人里離れた寺の観音堂です。本当にゾッとします。ゴキブリも出たし…
しかし、予想に反して、爆睡します。登山してたので疲れてたのです。さて、この観音堂で不思議な夢を見ます。
私に、つきっきりの母親を、私が振り払う夢です。おそらく、母親との精神的な別れの重要性を示唆していたと思いますが、この夢を意味を理解したのは、今さっきです。この夢を思い出し、自分で霊視したのです。※当時は一人暮らししてから5年目くらいでした。
とにかく、2日目は不思議なことでいっぱいでした。
屋久島3日目(人生観が変わる)
ここで屋久島の話が終わるのではなく、ここがスタートです。この話は、これからが本番です。
芙蓉寺の住職と朝飯を食べ、寺を後にしました。
ちなみに、余談ですが、住職は「富士山を垂直に下山したこと」を自慢してました。うーん、それって誇らしげにいう話なのか…
朝飯はスーパーに売ってる普通のうどんで、割り箸が使い回しでした。もちろん、洗ってあります。
一泊2食付き1,000円の理由を肌で感じました。
スコールに見舞われ、謎の集団の車に乗せてもらう
昨日、来た道を歩き、山奥から人気(ひとけ)のあるところを目指していると、舗装された道路に出ました。まだまだ山の中でしたので、タクシーはいません。
そんな中、突然、ものすごいスコールが降りました。
屋久島は、「365日のうち366日雨が降る」という例えもあるくらい、一年を通じて雨が多いことで知られています。綺麗な空の下での雨はビショ濡れになっても嫌な感じがせず、反対にシャワー替わりになった気分でした。
スコールでずぶ濡れになっていると、ボロボロのワゴン車が通りかかりました。その日、初めて見た車でした。
ボロボロのワゴン車は、私を見つけて止まり、「大丈夫?よければ、乗ってく?」と言い、私は、呆然としながらもボロボロのワゴン車に乗せてもらったのです。
ボロボロのワゴン車の中には、30代男性2人と20代女性が1人いました。「何してるの?」と運転手である男性に聞かれたので「芙蓉寺に泊まってました。」と言うと、「どこそこ?」という答えが返ってきました。
本当にあのお寺は知られてないと、改めてびっくりしました。
さて、30代男性2人はどこから見てもヒッピーでした。長髪でボサボサ、汚れたTシャツ。ワゴン車の中にBGMは壊れたスピーカーから微かにボブ・マーリーが聴こえてました。しかも、カセットテープ!!「まんまじゃん。」と私は思いました。
20代女性は、この男性2人に誘われて、昨日まで一緒に飲んでた観光客のようでした。
▼念の為、ヒッピーの解説を掲載します。
1960年代後半にアメリカ合衆国にあらわれた欧米の伝統、制度など、それまでの主流派の価値体系を否定するボヘミアニズムなどとならぶカウンターカルチャー一派、およびそのムーブメント。
日本においても、新しい世界的同世代の価値観への共感と同時に、自然にやさしいコミューンへの回帰や、都市のヒッピーの登場がみられた。欧米発のムーブメントでありながら、自らのルーツでもある東洋への回帰的な関心という点でわかりやすく、インドや中国などの再評価やエコロジー運動のさきがけともなった。
ヒッピー wikipedia
旅行前にテキトーに買った本の著者が住んでいた集落に、命日の日に、知らず知らずに自分は訪れていた
スコールで拾われた私は、運転手の一言に驚きます。
「山尾三省って知ってる?」
「はい。」と答えました。なぜなら、この旅の3日前にAmazonで特に理由なく著書を購入していたからです。
「俺たち、山尾三省さんが好きで、毎年、命日に集まってるんだ。三省忌って言う集まりだよ。」
どうやら、芙蓉寺のある山奥は、秘境の集落「白川山」というところで、山尾三省さんも住んでいた土地らしく、屋久島に私が着いた日が命日だったそうです。
「(偶然かな。すごいな。)」とそのとき思いました。
さて、ありえなくもない偶然なので、そのときは一旦、心に仕舞いました。
私は見た目がヒッピーの二人が気になり、「普段は何しているのですか?」という質問をぶつけてみました。
そうすると、「理想郷を探してる。この車で全国を旅してるんだ。」と返事が返ってきました。
助手席の男性は「俺は出版社にいたけど、疲れて辞めた。」と言ってました。
このたった一言が、この先の10年、自分の人生を狂わす言葉になるとは思いませんでした。ただ、この言葉を聞いたときは、「俺は何のために働いているのだろう。」と思ってしまったのです。
当時、出版社に勤めるのは憧れで、すごくかっこいいと思ってましたから、その仕事を捨てて、「理想郷を探す」二人に、働きづめの自分を重ねたのでした。
仕事への情熱が全て消え失せ。4ヶ月後、記憶も消え失せる。別人格へ
この日を境に、仕事への情熱の灯火が消えました。情熱がなくなっても仕事量は変わりませんから、周りのスタッフにやる気をなくしたことを悟られないように注意しながら、働きました。
仕事への情熱が消えた代わりに、自分を変えたい気持ちもどんどん出てきました。自分を変えるために金髪にしようとしたら、美容師に止められ、3分の1だけ金髪にしたりもしました。※ちなみにラジオ業界は当時、良識の範囲内で服装自由、髪型自由でした。
実は、当時の私の心の中には、「開かずの扉」(※)があり、自分でもよく知ってました。
開けようとしても開かなかった封印された扉。
この扉に、屋久島に行って4ヶ月後、再度、開けてみようという意思が湧きました。
意識を集中させると、十数年開かなかった「開かずの扉」が開き…過去の自分の記憶は他人の記憶のように実態が薄れ…その後、霊能力も備わるのでした
※霊能力の開花を自覚するのは、もっと後です。このさらに4ヶ月後です。(参考記事『私が霊能力に目覚めた瞬間』)
※「開かずの扉」とは、ざっくりいうと高1のときにも私は記憶喪失になっており、そのとき封印された記憶の扉です。(そのうち、当ブログで記事にします。ややこしいのです。)
ここで屋久島の話は終わりです。最後まで、お読み頂き、ありがとうございます。
今となれば、この屋久島の旅行が自分の人生を大きく変えました。
【6つの偶然】
・山尾三省の命日に、サザンによる番組休止がなかったら
・屋久島に行こうと思わなかったら
・山尾三省の本を買わなかったら
・芙蓉寺に行こうと思わなかったら
・スコールが降らなかったら
・ワゴン車が通りかからなかったら
考えれば考えるほど、偶然が重なってます。きっと、何かの縁と言えるかと思います。
過ぎ去りし日々を辿るように屋久島の森を歩きながら、私の一番好きな記事、そう、この記事のことを思い出していました。
ミエナさんは、運命に導かれたのでしょうか。それとも屋久島への旅が、導かれるきっかけを作ったのでしょうか。
それはわかりませんが、ほんの些細な選択が、未来のレールを大きく変えてしまうトリガーとなってしまうこともあるのですね。
ミエナさんは、霊能者としての現在の立場を確立するまでに、多くの困難を乗り越えてこられました。
ホームレス寸前にまで追い込まれるような苦境を経て、今では人々に希望を与える存在となっています。
遭遇した幸不幸に、一喜一憂する必要は全くないのですね。ミエナさんが、それを証明していますから。
もちろん、その道のりが決して容易ではなかったことは、理解しています。
苦しい時期に出会った人々や出来事は、ミエナさんの現在の信念や価値観を形成する一因となっていることでしょう。
振り返ってみると、どんな困難な経験も、成長のための重要なステップだったと、今では思えるのではないでしょうか。
”塞翁が馬”
運命の波に翻弄されながら、生きている私たち……その時々の選択は、予期しない方向へと導くこともある。
あの時の選択は正しかったのかと、今でも問いかけてしまう自分がいる。
家庭を犠牲にして、体を壊しながらも無理を続けたあの頃。逃げずにやり遂げてみせるという意地だったのか。心の声を無視してまで、私は何を求めていたのだろうか。
昔に戻ってやり直せるとしても、同じ道を選んでいるのかな。どんな経験もきっと、人生に彩りを添えている。そう思いたい。
時に犠牲や後悔を伴いながら、それでも真実の価値を追い求めて……選んだ道がどのようなものであっても、その全てが今の自分を作っている。だからこそ、歩んできた足跡に意味を見出したい。
一方、心身ともに疲れ果てていたあの頃、ミエナさんに出会ったから、人生の歯車が好転した。このブログを読まなければ、この地を訪れることもなかった。
これも守護霊様による導きなのか、それとも単なる偶然なのか。
縄文杉登山を控えた前日、翌日の天気予報は台風の影響で終日大雨。予想に反して、当日はほとんど雨に降られなかった。そんな不思議な出来事に遭遇することも。
ミエナさんの人生観を大きく変えてしまうほどの、この屋久島の持つ特別なエネルギーを受け取った今、この旅が自分にとっても、転換点になるのだろうか。
そんな風にとうとうと思考を巡らせる私に、悠久の時を重ねて佇む縄文杉は、ただただ静かに微笑むばかり。
この木は来る日も来る日も、どんな思いを抱きながら、生きてきたのだろう?ただ生き延びただけではなく、様々な環境や出来事を受け入れ、変化し続けてきた。
「運命の不確実性を受け入れて、酸いも甘いも嚙み分け、いつの日かまたお会いできたら······その時は、また違った印象を受けるのかもしれませんね。縄文杉に宿る神様。」
(これからどんな人生が待っていても、できるの?なな。)
「どうか、その力を与えてください!」
その時、縄文杉から神秘的なエネルギーが全身に降り注ぎ、未来への道が開かれる感覚を覚えた。
私にとって縄文杉との出会いは、過去と未来をつなぐ重要な瞬間であった。
「またお会いできるその時まで!」
再会の日を夢見て、そう心の中でご挨拶する。それは単なる再会ではなく、自分の心にある答えを見つける旅の一部でもある。次に訪れる時は、もっと深く感じ取れる自分でありたいと願っている。
そうして、また新たな未来へと続く旅路を辿るように、縄文杉を後にするのであった。