こんにちは、ミエナです。
今回は、雑記です。「自分の心の中の声は、自分にしか聞こえないのか」をテーマに、思い思いに書いていきます。
自分の心の中の声は、自分にしか聞こえないのか
「あ〜、お腹すいた」と心の中で思ったとき、この心の声は、誰にも聞かれていないですよね。
当たり前ですが、言葉を発したわけでもありませんし、すぐ近くに人がいても、心の声は気づかれない…
上記のように考えると、「心」というすごく広い精神世界の中に、ぽつんと一人きりされたような気がします。(私だけ?)
なぜかバレる心情
「自分の心の声は、自分の心の声は自分にだけ聞こえ、他人には聞かれていない」というのは、本当でしょうか?
例えば、長年、連れ添った男女がいたとして、そういう仲であれば、きっと相手の顔をパッと見ただけで、「この人、お腹空かせてるな…」と、なんとなく判るはず…
以心伝心という言葉が古くから使われていることからも、「心の声は、自分にしか聞こえない」という考えは、一部否定されているような気がします。
自分の心はシェアされている
自分の心の声は、多かれ少なかれシェア(共有 = 以心伝心)されています。
心の中の状況が、自分の動作で相手に喩られるときもあるし、長年、連れ添う男女であれば纏(まと)う雰囲気で判るのもしれません。
自分より自分を知る他人
私の知人が、初めて講演会に登壇することになったとき、講演前にソワソワしたり、ウロチョロしたり、無意識に背伸びしたり…とても、緊張している感じでした。
しかし、この知人は、このことを気にかけてあげると、口では「緊張してないよ」と、意図的なのか、本気なのか、このようなことを言ってました。
いずれにせよ、この知人の心情は、彼よりも周りの人の方が、的確に察知していたと思います。
心は自分専用ではない!?
自分の心の声って、自分専用ではなく、そもそも、人間同士で共有される性質を孕(はら)むのではないか。
最近、こんなことを考えます。
不思議な考えですが、つまりは、自分の心の声は、自分だけに聞こえるものではない…ないかと思うのです。
心の中で泣いている人がいれば、一緒にいる人も、無意識に泣きたくなるし、逆に心の中で笑っている人がいれば、周りも笑ってしまう…
最後に
心って共有しているんですよ。自分と自分以外で。きっと…
元来、心は自分専用ではなく、きっと共有を前提としている…
なんで、こういうことをこのブログでわざわざ言いたいかというと、実は、「心は、各人が持っている」と思うと、とても生きにくいのですよね。この時代…
今は、心を解放することで、アイデンティティ(存在証明)を高める時代
ですので、「自分専用の心なんてはない。元来、心はシェアされることを前提としている」と、腹をくくって考えた方が、今の時代は、生きやすいのではないか。
コメントをもらえると嬉しいです(´∇`)