こんにちは、ミエナです。
今回は、「愛してる」と言葉にして伝える大切さを書いていきます。
愛は、言葉にして本当の愛となる
恋人がいる方、ご夫婦の方は、「愛してる」と相手に伝えてますか?「愛してる」と言えば言うほど、安っぽく聞こえてしまうから、躊躇してしまう方も多いですよね。
しかし、「愛していること」と「愛していると言うこと」は、全く異なる意味合いを持ちます。
聖書にある記述
私はキリスト教の信者ではないですが、聖書は持ってますし、その重要も感じています。
新約聖書の冒頭にこんな言葉があります。
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
新訳聖書 ヨハネによる福音書 一章 一節
私たちの使う言葉には、想像を超える力があり、「言葉にしない想い」と「言葉にした想い」とでは、歴然とした差があるのです。
つまり、私はこう考えます。
愛 = 愛する気持ち + 愛の言葉
愛とは、「愛する気持ち」と「 愛の言葉」によって出来ていて、言葉にして「愛する気持ち」は愛となるのです。
なぜならば、新訳聖書にある通り、「言は神であった」つまり「言葉は神様」だからです。
言葉 = 神
愛する気持ちだけでは、愛ではない
「愛してる」と思っていても、言葉にしないと愛ではありません。残念ながら、「愛に似た何か」というべきでしょう。
愛を伝えることで、「愛してる」という想いは、真実の愛に成熟するのです。
結婚式で愛の誓いをするのは、まさに未完成の”愛という想い”を真実の愛に成熟させる行為でもあるのです。
ですので、愛する気持ちだけでは、愛ではありません。
愛する気持ち = 愛 – 愛の言葉(神)
愛する気持ちは、愛に至らない未成熟なものです。
つまり、愛する気持ちは、いつか消えゆく儚い一つの想いと言えます。
「愛してる」と言うことは、証明である
「愛してる」と言うことで、愛する気持ちは証明され、本当の愛へと成熟します。
婚約するときに婚約指輪を渡したり、受け取ったりしますよね。「愛してる」という言葉は、婚約指輪に似ています。
「愛してる」という気持ちを証明する行為です。つまり、相手は私を「愛してる」と感じていても、言葉の証明がない状態では、愛は不確かで育たない。
それくらい「愛してる」という想いは、風で飛びそうな軽い物なのです。なので、想いを「愛してる」という言葉に表し、風に飛ばされないように、重石のように抑えてあげる必要があるのです。
モテない人は、愛を語らない
「愛してます」という言葉を発する上で、それを躊躇してしまう人は、モテません。きっと
男性でも女性でもです。
言葉にして、想いが真実の愛に変わるのですから、自分から「愛してます」と言えない人は、真実の愛を逆に他者から受け取れないでしょう。
反対に好きでもない人に、「愛してる」と言えば、本当の愛に発展するエネルギーを言葉が想いに与えてくれることになります。
言葉が愛をつくると言えます。
「愛してる」を連発しても、安っぽくならない
「愛してる」を連発すると安っぽくなると思う人もいるかも知れませんが、愛という言葉はもの凄いエネルギーのある言葉です。
そのため、どんなに連発しても、安っぽくなりません。
反対に、言葉が安っぽくなるどころか、連発した愛の言葉が真実の愛に成熟します。つまり、「愛してる」と言い続ければ愛され、愛すのです。
だから、今、大好きな人がいれば、愛する想いを明確に言葉で伝えましょう。
人間は、右脳で愛を感じ、左脳で愛を言葉にする
人間は、なぜ右脳と左脳に分かれていると思いますか?
私は、右脳で愛を感じ、左脳で言葉にするからだと思っています。どちらが欠けても、愛は成熟しません。
愛は万物を創造するエネルギーです。人間の脳が愛のメカニズムに沿って構成されていてもおかしくはないのです。
愛 = 愛する気持ち(右脳) + 愛の言葉(左脳)
最後に
私は、左脳の存在意義についてずっと疑問でした。「右脳だけでいいじゃん。ハッピーだし…」と思ってました。しかし、
言葉 = 神
上記であるように、言葉にする重要性に気付き、想いだけでは未成熟だと感じました。
みなさんの中にも、愛を伝えるのが苦手な人がいましたら、口に出す癖を身につけてはいかがでしょうか?
愛を伝える方法は何も「愛してる」という言葉だけではありません。
夏目漱石は、I LOVE YOUを「月が綺麗ですね」と訳してます。ちょっと遠回りですが、ストレートに伝える前段の訓練として、「月が綺麗ですね」を連発しても良いかもしれませんね。
愛の言葉の表現方法は、決して1つではないです。語彙を増やすのもきっと楽しいです。
でも、しかしながら、愛を伝える言葉の頂点は、「愛してる」だと思います。
みなさんは、どう思いますか?
人間は、想うだけでは伝えられないし、感じとることが出来ない生き物ですよね😊
だから、神はその肉体に五感を与え、表現する事の大切さを与えました。
そして、その肉体に生きるための様々な機能を与えたのですね。
体を持たぬ魂の天界においては、想いだけで真実の愛を備えた魂だけが、当たり前のように存在しているのではないでしょうか😊
ですから、天はこの世に私たちを遣わす時、『たくさんの真実の愛』とともに送りだしているのでしょう😇
メイミさん、
コメントありがとうございます。
> 体を持たぬ魂の天界においては、想いだけで真実の愛を備えた魂だけが、当たり前のように存在しているのではないでしょうか😊
そうですね。きっと、そうだと思います。
天界では、心は裸なのですよね。汚い心のまま天界にいけば、自分の邪な気持ちなど、すぐにバレてしまいます。
ミエナ