こんにちは、ミエナです。
今回は、「神社でのお願い事を叶いやすくする方法」をお伝えします。
ここでお伝えすることは、私個人の考えです。神道の考えとは異なる場合があります。
そもそも神社での願い事は叶うの?
みなさんは、年始に神社に初詣に行かれますか?
毎年、行かれる方も多いと思いますが、お賽銭を投げ入れて、お願い事をしますよね。例えば、「今年も、家族みんなが、健康でありますように」などです。
しかしながら、何をお願いしたかは、大抵の場合、数日以内に忘れ、一年経過した後に、その願い事が叶ったのかどうか、検証した方は非常に少ないはずです。
そんなに叶っても叶わなくても気にしないのが、神社でのお願い事なのかもしれません。
神様は、すべてのお願い事を記録している
お願い事をした我々は、そのお願い事を忘れ、日常を過ごすことも多いですが、神社の神様は、大勢の初詣客の願いを全て記憶し書き留めていると思います。そして、お願い事を叶えようと努めてくださるのです。
ただ、全ての人に平等に願い事を叶えるわけではありません。そこには優先順位があるのです。
神様が願い事を叶える優先順位
- 願い事に対する想いの強さ
- 叶うと強く信じられるかどうか
- お祈りの丁寧さ
- 理不尽な苦しみを背負う人ほど優先される
上記の4つのポイントが高い順に、願い事が叶えられます。なので、絶対に神様に願い事を届けたい場合、上記の4つに注意すれば良いのです。
①願い事に対する想いの強さ
お願いごとが叶うことが如何に自分にとって重要なのか、その重要度が高ければ高いほど、叶う可能性は高くなります。
「新型iPhoneが買えますように」など、どうでもいいお願いほど叶わないことになります。
②叶うと強く信じられるかどうか
「神様にお願いしたから、絶対に叶う!」と信じられる人ほど、叶う確率が上がります。「叶えばラッキー」程度に考える場合、叶わない可能性が高くなります。
「願いは叶う」と信じることは、神様の存在を肯定することと同じですので、非常に重要なポイントなのです。
③丁寧にお祈りすることの重要性
「お祈りの丁寧さ」については、詳しくご説明します。多くの方が間違った形で、参拝に望んでいるのではないでしょうか?
ここで挙げる「丁寧なお祈り」とは、主に下記の2点です。
- 神社参拝のルールを守る
- 神様に挨拶をする
たった2点です。
神社参拝のルールを守る
「神社参拝のルールを守る」とは、鳥居の前で立ち止まって一礼すること。そして、手水舎で手を洗い、二礼二拍手一礼で祈りを捧げるなどです。基本中の基本ですね。
この行為をしないと、お願い事が叶う可能性が下がります。それは、神社という伝統を重じてないことであり、神様への畏敬の念が足りていないことと同じだからです。
2点目の「神様に挨拶をする」というのは下記に例を挙げますね。
仮にも、天皇陛下の晩餐会に呼ばれたことを仮定してください。
あなたは、きっと汚い手で食事の席につかないと思いますし、食事マナーを破るようなことは絶対にしないと思います。
それと神社参拝への心構えは同じで、手水舎で清め、ルールに沿って参拝します。
お願い事を言う前に神様に挨拶をしよう
その次に来るのが、挨拶です。
これまた仮の例ですが、天皇陛下の晩餐会に呼ばれた挙句、奇跡的に天皇陛下に挨拶する機会があったとします。みなさんは、どんな風に挨拶しますか?
きっと、下記のようではないでしょうか?
「はじめまして、◯◯と申します。お目にかかれて光栄です。私は、◯◯の仕事をしてます。以後、お見知り置きください。」
上記は挨拶の例ですが、神社の神様に対峙するときも同じようにすべきと思うのです。神社に行って、いきなり「お金持ちになりますように」と願うのは不躾です。
さきほどの天皇陛下の例のように、「はじめまして」から入り、ご自身の名前を名乗り、軽い自己紹介があった上で、お願い事をすべきなのです。
【補足】
- 初めて行く神社であれば、「はじめまして」という挨拶から自己紹介をすること。
- その神社に行くのが、2回目以降であれば「こんにちは。いつも、ありがとうございます。」から挨拶をすること
ちょっとした心の気配りですが、私は非常に重要だと思っています。
④理不尽な苦しみを背負う人ほど優先される
この世には、天界が望んでいない苦しみを受ける理不尽な方が多く存在します。
苦しみには、主に2種類あり、それは下記です。
- A:天界が与える修行としての苦しみ
- B:人間同士が生み出す理不尽な苦しみ
Aの「天界が与える修行としての苦しみ」は、各人が持つ使命とも言えます。天界が与える苦しみのため、天界のサポートは基本的にありません。それは、自分で乗り越えることに意味があるためで、魂の成長のために、あえて、天界がサポートしないのです。
Bの苦しみは、天界が関与しない人間社会が生み出した不協和音による苦しみです。例えば、人間同士の妬み、恨み、社会的な不遇です。自分自身に原因がないことが前提となります。
原因そのものが、人間社会の醜い心に根ざしており、このような理不尽な苦しみは、神頼みにより解消されます。
お賽銭の額も重要ですが、心持ちが一番大切
お賽銭は1円よりも10円。100円よりも1000円の方が、良いと思っています。つまり、金額が多ければ多いほど良いということになります。
(各人の所得に応じて、金額の持つ意味は異なります。例えば、幼稚園児にとっての10円は大人にとっての1000円くらいに相当します。)
しかしながら、一番重要なのは、繰り返しとなりますが、下記の4つです。
- 願い事に対する想いの強さ
- 叶うと強く信じられるかどうか
- お祈りの丁寧さ
- 理不尽な苦しみを背負う人ほど優先される
お賽銭の額は、優先順位として高い方にありません。ですので、まずは、自分の気持ちと向き合い、その上で、神様と正しく対峙しましょう。
大変ためになる記事をありがとうございます。
神社参拝についてですが、悪天候(雨、雪、嵐など)の時、訪れてもよいでしょうか。
なるべく晴れている時間帯を狙って参拝するのですか、大抵、雨が降って来るので、『参らない方がよかったのかな。願いは叶わないと言われているのかな』と思ってしまいます。
シマウマさん
コメントありがとうございます。
悪天候でも良いのですが、晴れの日にゆっくりと参拝されるのが、神様は嬉しいようです。
ご自身も雨の日に友人が自宅に訪ねてきたら、気を遣ってしまいますよね。
悪天候の日に参拝すると信仰心が厚いというイメージを、神様に抱かせることはできますが、それでも、ご自身を優先し、晴れの日に行かれるのがベストだと感じます。
ミエナ