波動は遺伝する【おばあちゃんの戦争の恐怖は、孫の代まで続く】

戦争の哀しみ

日本は、1945年に終戦を迎えました。戦後から74年が経ちます。私は今37歳ですから、すでに亡くなっている祖父母が戦争体験者です。祖父母は、すでに亡くなっていますが、戦争については、一言も語ったところを見たことはありませんでした。

戦争を知る人が世代交代でこの世を去り、戦争は歴史の教科書や歴史博物館だけの話になる日も、そう遠くないかも知れません。

しかしながら、祖父母の世代が背負う心の傷は、私たちの世代まで、まるで遺伝子のように、世代を超えて引き継がれることをご説明します。

戦争の哀しみは、低い波動となり孫の世代へ引き継がれる

戦争の後遺症は数多くあります。慰安婦問題や南京大虐殺は今でもニュースに頻繁に取り上げられますし、戦後に締結したサンフランシスコ平和条約は、今も日本において大きな効力を持っています。

しかしながら、戦争を知らない現役世代は、過去の戦争により直接的に心を痛めつけられることは稀でしょう。

しかし、戦争による見えない哀しみは、低い波動になり、孫の世代まで遺伝します。私たちは、まず過去の戦争により、低い波動の影響を生まれながらに受けている事実を知る必要があるのです。

結論から先に言うと、私たちの世代で低い波動の遺伝を止めないと、次の世代に引き継がれます。

私の両親の世代は、高度経済成長をもたらしましたが、戦争により遺伝する低い波動を消すには至りましせんでした。

60年代のカウンターカルチャー後、バブルに踊らされ、戦後当時と比べて、拝金主義となったことも要因かも知れません。うん。

なぜ、低い波動は遺伝するのか

それでは、戦争の心の傷がなぜ遺伝するのかご説明します。抽象的なお話をするよりも、実在するAさんの祖母を例に挙げてお伝えします。

Aさんの祖父は、戦前は関東で暮らしていましたが、徴兵により、現ロシア領である南樺太(サハリン南部)に配属されました。当時、すでに結婚しており、6歳の男の子、4歳と2歳の女の子がおり、家族5人で、一緒に南樺太に移住したのでした。

ですが、終戦後の1945年8月11日に国際法を無視してロシアが日本領の南樺太に攻め込みます。軍人は率先して前線に立ち、あえなくAさんの祖父も、ロシアの占領作戦の中で銃弾に倒れます。

残された3人の兄弟と未亡人となった妻(Aさんの祖母)は、北海道へ命からがら逃げて生き延びたのでした。

3人の子供を抱えたまま、必死の思いで北海道に住処をもうけ、そして地元男性と結婚。その後、一人の子供をもうけ、平和に暮らします。

しかしながら、3人の子供は、義理の父にとっては連れ子となるため、義理の父から愛されず、実の母も再婚相手の顔色を伺い、愛情を注げなかったようです。

当時2歳のAさんの母親は、2歳以降、母親の愛を受けず、父親と血の繋がった弟との差別の中で、生きていくことになったそうです。

遺伝する哀しみ

祖母の哀しみを列挙します。

愛する夫を失った哀しみ

再婚相手の顔色を伺い、連れ子である3人の子供に愛情を注げなかった哀しみ

当時2歳のAさんの母親の哀しみは、実のお父さんがいない哀しみ

義理の父に愛されなかった哀しみ

実の母にも、愛情を注がれなかった哀しみ

戦争による直接的な哀しみは、以上です。

しかし、この哀しみという低い波動は、私達の世代まで、姿形を変えて遺伝します。

両親の愛情を受けずに育ったAさんの母は、その後、結婚し、Aさんが産まれるわけですが、ここに哀しみの遺伝があります。

両親から愛されなかったAさんの母は、自分の子育てにおいても、子供に愛を注げないのです。

憎いと語る祖父母と同じことをAさんの母親は自分の子供(Aさん)に無意識に繰り返してしまうのです。

つまり、Aさんも母の本当の愛を受けず、育った者の1人であり、それは、遡ると第二次世界大戦に行き着くのです。

まとめ

今回は、Aさんを例に、哀しみの遺伝をお伝えしました。

このように哀しみは世代を超えて連鎖します。現在、凶悪犯罪が多いのも、大げさかも知れませんが、第二次世界大戦の影響はゼロではないのです。

哀しみの連鎖を止めるには、一人一人が強くならなくてはいけません。そして、人間としての誇りと自信をさらに強く持たなければいけません。

間接的でありますが、まだ、戦争による低い波動の連鎖は、現存します。

ミエナ
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