こんにちは、ミエナです。
今回は、「自分がない」について書いていきます。
みんなの意見に従ってばかりいると、「あなたは、自分がないですね。」なんて、言われてしまうかも知れません。
周囲に流され、集団の中に紛れて生きていくことは、一つの生き方として正しいと思いますが、このような生き方を、今後、望まない方は、記事の続きをぜひ読んで下さい。
「自分がない人」の良い面と悪い面
「自分がない人」の良い点は、心に柔軟性があり、スマートな側面を持つということです。「長いものには巻かれろ」ということわざがあるように、周囲の優劣に合わせて自分を変えること能力は、一種の才能とも言えるのです。
しかしながら、「自分がない人」を霊視すると、風で飛ばされそうなほどに、ユラユラとしたオーラが見えてきます。しなやかで、軽やかな心を持つ一方で、ユラユラしすぎて、「自分を見失ってしまう」側面もあるのです。
「自分がない人」は精神的に病みやすい
心のしなやかさとは裏腹に「自分がない人」は、一度、自分を見失うと、「自分は何がしたいのか?」と自問自答し、精神的に追い込まれてきます。
「自分がない人」が精神的に追い込まれると、「孤独」に恐怖し、さらに、周囲に流されてしまうのです。
他人と違う行動を採ることで、取り残されてしまう恐怖にかられるのですね。
興味のあることをひたすらやると「自分が見える」
「自分がない人」が精神的に病んできた場合、自分を孤独から解放する必要があります。そのためには、
自分が興味のあることをひたすらやってください。
興味のあることをひたすら、やる意味は、下記です。
- 「自分は何者?」とか、「自分は何がしたい?」とか、自問自答を繰り返さないため
- 精神世界の外から自分を探すため
「自分がない人」が自分のことについて、考え出すと精神的に病みます。自分の内側からは、「自分が何者であるか」は、分からないのです。つまり、興味のあるもの(自分の外)からしか、自分は知り得ないのです。
自問自答の負のループから抜け出す方法
「自分がない人」は、自分の興味のあることが「なぜ、こんなにも興味があるのか?」を一生懸命、考えてみてください。
例えば、プロレスが好きだっら、プロレスがなぜ好きかを考えると、客観的に自分が見えてきます。
ポイント:Whyを繰り返し使い、真相に迫ること
【Why】なぜ、プロレスは面白いのか? → 人間同士の闘いにドラマがある → そういえば、自分も人間だ。 → 【Why】なぜ、体格がこうも違うのか? → 自分は鍛えてないけど、相手は鍛えている → 【Why】なぜ、自分は鍛えないのか? → (続く)
上記のように【Why】で考えると、最終的に自分のことに関心に行き着きます。
個性の時代が重要な時代へ
近年は、「個性の時代」です。個性が強いほど、生きやすい時代と言えます。
理由として、ITによる社会のパーソナライズ化、SNSによる個人の情報発信、Youtubeにおける個性のマネタイズにより、個性の表現に注目が集まっています。
この「個性の時代」の中で、「自分がない人」は少し行きにくいかも知れません。
昭和の時代だったら、それほどに「個性」が必要なくとも良かったのですが…
「個性の時代」で個性を発揮する
この個性の時代の中で、個性を発揮するのは容易ではありません。上には上がいるからです。しかしながら、下記でご紹介する「個性のかけ算」をすると、比較的簡単に他人と差別化できます。
個性のかけ算
ここで「個性のかけ算」のご説明をします。そこそこメジャーな考えなので、ご存じの方も多いと思います。
▼プロレスラーの例
例えば、プロレスラーだったら、それだけで人気選手になるのは、超絶な忍耐と努力と才能が必要です。しかしながら、「プロレラー 兼 料理人」だったら、どうでしょうか。なんか、個性的ですよね。
この世には、プロレラーは大勢います。料理人も大勢います。しかし、「プロレラー 兼 料理人」は滅多にいません。
そう、個性はかけ算でつくれるのです。
例)プロレラー × 料理人
ミエナを例に挙げると下記となります。
霊能者 × WEBマーケター × 冷蔵庫を持たないミニマリスト
自らのスキル、興味関心をかけ算で考えると、個性はつくれます。
最後に
この記事で一番伝えたかったことは、
「自分は何者?」とか「自分は本当は何がしたいのだろう?」とか、悩むことは本当に無駄ということです。
エネルギッシュな思春期に悩むのは良いのですが、大人になって、この自問自答を繰り返すと、心が病みます。
それは、自分(精神世界)の中に答えがないためです。そのため、一度、悩み出すと闇の中で堂々巡りします。
ですので、「自分がない」ことに悩んだ場合、興味のあることをひたすらやって、精神世界の外側から自分を見つけてください。以上です。
コメントをもらえると嬉しいです(´∇`)