こんにちは。ミエナです。
今回は、ギャンブル依存症について書きたいと思います。
ギャンブル依存症とは、「ギャンブルをしたいという欲求に対して自己コントロールが効かなくなる病気」です。
ご家族が、ギャンブル依存症の場合、大変ですよね。
巷に溢れるギャンブル依存症の情報について、あまりにも的がズレているように思うので、ここで持論を展開します。
ギャンブル依存症で病院に行くとか、精神科に通うとか、私は反対です。
なぜなら、ギャンブル依存症は、自分に対するメッセージであり、人生をよりよく生きるために、体から膿が出ている状態だからです。
ただ単にギャンブルに行かないようにするだけでは、精神的な根本的解決に至っていないと思います。
では、どのようにギャンブル依存症を解決するか、書いていきます。
「命がけ」で生きることは、人間本来の喜び
人間には狩猟本能があります。特に男性です。命をかけて狩りに出かけ、獲物を捕らえます。生きることは、命がけであり、命がけであるがゆえに、「生きる意味」が見えてきます。
そう「命がけ」で生きることは、人間本来の喜びなのです。
「火事場の馬鹿力」と言いますように、「命がけ」で行動すると信じられないエネルギーが出てきます。そのエネルギーとはエンドルフィンです。
エンドルフィンとは…
脳内で機能する神経伝達物質のひとつである。内在性オピオイドであり、モルヒネ同様の作用を示す。特に、脳内の「報酬系」に多く分布する。 内在性鎮痛系にかかわり、また多幸感をもたらすと考えられている。
Wikipedia
「脳内麻薬」と呼ばれるエンドルフィンが脳内に分泌されて幸福感を得ます。ギャンブラーはこの「脳内麻薬」を存分に楽しんでいるのです。
「リスキーな人生を歩みたい本能」と「リスクを避ける意識」の間で病んでいく
「廊下を走るな」「学校に行け」「ケンカするな」。子供の頃から、両親や先生になるべくリスクを減らすように躾られてきました。
やってはいけないことが多いのです。人気の職業が公務員であること自体、如何にリスクを避けるように教育されているか分かります。
子供にリスクを避けさせようとする親の教育は、本来、リスク(命がけ)が大好きな男性を無意識に縛ってきました。
やがて、リスクを避けることが当たり前になってしまった大人は、「リスキーな人生を歩みたい本能」と「リスクを避ける意識」の間に病んでいきます。
ここで一定数がギャンブル依存症になるのです。
ギャンブルは「安全」でありながら、「命がけ」になれる
私は、ギャンブル依存症の方は、どこか臆病だと思っています。
怒られそうなことを書いているのは、承知です。
臆病な心がどこかにあり、それがギャンブル依存症につながっているのは間違いないでしょう。
なぜなら、ギャンブルは「安全」でありながら、「命がけ」になれるからです。
ギャンブル依存症は、破産リスクを背負うことに生きがいを感じる
「リスキーな人生を歩みたい本能」は、ギャンブル依存症の方だけでなく、みんな持っています。では、なぜ、一部の人だけがギャンブル依存症になるのでしょうか?
それは、ギャンブル依存症の方は、ギャンブル以外でリスクを冒せないからです。
「リスキーな人生を歩みたい本能」を満たす方法はいっぱいあります。
- 難易度の高い山に登る
- 走ったことのない距離を走る
- スケボーで新しい技に挑戦する
- ダイビングに挑戦する
- 日本縦断サイクリング
- 一週間連続、美術館巡り
- エジプト旅行
- 奇抜なファッションに挑戦する
- ナンパ
- 合コンを企画する
- 新規ビジネスを立ち上げる
上記は一例ですが、どれも、身体的リスクを伴います。
ナンパすれば、知らない男性に「俺の彼女に何してんだよ(怒)」と言われるかもしれませんし、エジプトに行けば食中毒や日射病になるかもしれません。
つまり、「リスキーな人生を歩みたい本能」を満たすには、身体的リスクが伴うのです。
しかし、ギャンブルはどうでしょうか?身体的リスクは伴いません。パチンコ屋に行って身体に危険は及ばないのです。
「リスキーな人生を歩みたい本能」は、本来はゼロ円でも解消できます。しかし、身体的リスクが伴います。ギャンブル依存症の方は「身体的リスク」に怯えて、身体的リスクを「破産リスク」に置き換えてしまったのです。
つまり、ギャンブル依存症は、はっきり言って極論を言えば「自らが破産リスクを背負っていることに生きがいを感じている」のです。
他でエンドルフィンを出さないからギャンブルをする
これは、ギャンブル依存症の方が、リスクを取らないように教育された結果です。子供の頃に「川で遊んではいけません」「夜遊びするな」「ライブハウスに行くな」「子供だけで遊ぶな」と言われて育った場合は、無意識に「身体的リスク」を取らないことが正しいと思って生きてしまいます。
「身体的リスク」を取らないけど、本能的にエンドルフィンを求める心は、パチンコ屋に足を運ばせるのです。
ランナーズハイと言われるように、エンドルフィンは走ってでも分泌されます。パチンコ台やスロット台がエンドルフィンが出るように作られてても、作られてなくても、エンドルフィンを悪者にするのは明らかに間違いです。
エンドルフィンを出すから、ギャンブルをするのではなく、他でエンドルフィンを出さないからギャンブルするのです。
勝ち逃げは、本能とは反対の行動
ギャンブル依存症の方はまず、自分が「チキン」であることを知ってください。本音で生きていけない部分が、心のどこかにあります。それを気づくことがまず、克服の第一歩です。
そして、「お金を稼ぐためにギャンブルをやっている」と思っている方は、自分に嘘をついています。ギャンブル依存症の方は、「破産するリスク」を楽しむためにギャンブルをやっているのであって、基本的に勝ち逃げが苦手なはずです。
勝ち逃げは、本能とは反対の行動です。ですので、ギャンブル依存症の方は、絶対に勝ち逃げが下手です。勝ち逃げが上手いのであれば、ギャンブル依存症ではなく、プロのギャンブラーでしょう。それは、ギャンブル依存症とは全く異なる部類であり、尊敬の対象です。
ギャンブル依存症は、「身体的リスク」を冒せば治る
ギャンブル依存症の方は、自分の弱さを知った上で、「身体的リスク」を冒してください。やがて、「身体的リスク」がエンドルフィンの分泌につながり、ギャンブルしなくても、幸福感が得られます。
「身体的リスク」でオススメなのがクライミングです。高いところに登るという恐怖感は、乗り越えたときに、大きな充足感に変わります。
クライミングジムもいいですが、ボルダリングなどの自然な岩は、人工的なジムには恐怖感をたっぷり味わえます。
「命がけ」でなくても、生きていけてしまう世の中
働けなくなっても生活保護がもらえたり、とりあえずは、雇ってくれる人がどこかにはいたり、「命がけ」「本気」でなくても、生きていけてしまう世の中。
でも、それはイコールで幸せな社会ではありません。
テキトーに生きていける世の中でも、人間の本能には「命がけ」になる喜びの心が残っています。化石のような心ですが、生きる喜びをくれる心です。
その心をギャンブルで消費しないでください。
原始人みたいに、もう一度、パチンコ屋ではなく、荒れた荒野に出てみませんか?
コメントをもらえると嬉しいです(´∇`)