「短期間に収まる恨み」と「長期化する恨み」の違い
恨みというのは、「短期間に収まる恨み」と「長期化する恨み」に分かれます。
それは、恨む人が、「相手を許しやすい」か「相手を許しにくい」によって異なるのです。
まずは、以下に短期間に収まる恨みの例を挙げます。
▼短期間に収まる恨みの例
- 「勤務態度が悪い」と言われ、仕事をしない社長にクビにされた
- 商品を万引きしたら、店長とは友人関係なのに警察を呼ばれた
- スーツから香水の臭いがしただけで、妻に浮気を疑われた
上記のような「恨み」は、「恨む相手」と「恨む理由」がシンプルですよね。恨む人も、恨む理由がはっきり自覚できれば、「相手を許しやすい」のです。また、恨まれた人もまた「反省しやすい」のが、「短期間に収まる恨み」の特徴です。
「長期化する恨み」の特徴
長期化する恨みは、「恨む人」が「誰を恨んだら良いのか」さえ分からないケースです。以下に例を挙げます。
▼長期化する恨みの例
- 友人女性に、彼氏を寝取られた(友人女性を恨む? or 彼氏を恨む?)
- 幼い子どもが、自分の大切な物を壊した(親を恨む? or 子どもを恨む?)
- 友達が自分の知人を使って、自分を騙そうとした(友人を恨む? or 友人の知人を恨む?)
- 高速バスが事故を起こして、子どもが大ケガをした(管理会社を恨む? or ドライバーを恨む?)
上記のような問題は、責任の所在が究明されない限り、「恨む人」は、誰を恨めば良いのかが分かりません。「誰を恨むのか」が分からない場合、「誰を許したら良いのか」、「どう許したら良いのか」も、恨む当人には、分かりにくいのです。
そのため、心に無条件に湧いた「恨みの感情」はなかなか消えずに、長期に渡って心に残り続ける可能性があるのです。
家族からの恨みは消えにくい
家族に恨まれる場合、その恨みは消えにくいです。
それは、家族間には「家族は、無条件に協力し合うもの」という一般的な通念があるからです。
この通念こそが、「家族に裏切られた」という恨みを増幅させます。家族に裏切られた人は、「親なのに..」とか「我が子なのに…」という理由を盾に、恨む自分を正当化しやすいのです。
それにより、「相手を許す」という意識が生まれにくく、恨みは簡単には晴れません。
最後に:どうすれば、この世から「恨み」が消えるのか?
これは、まさに永遠の課題ですね。これがなくなれば、戦争や紛争もなくなるでしょう。でも、ヒントはあります。
MCバトルに学ぶ
△エミネムの半自伝的映画『8mile』のワンシーン
ヒントの1つは、MCバトルの起源にあります。
Q.みなさんは、MCバトルをご存じですか?
ビートに乗せて、言葉の韻を踏む、あのHIPHOPの文化の1つです。HIPHOPは、そもそも1970年代初頭に、ニューヨークのサウス・ブロンクス地区で生まれます。
当時のサウス・ブロンクス地区は、黒人同士のいざこざが絶えず、殺し合いが続いてました。自分の仲間や家族が殺されると復讐して、また殺す。それがずっとループしていたのですね。
それに終止符を打つために、70年代後半にMCバトルが生まれたと言われます。
MCバトルとは、お互いに順番を決めて、相手の悪口(パンチライン)を言い合うのです。より、ビートに乗せ、相手の嫌がることを韻を踏んで言った方が評価が高く、判定は観客の歓声の大きかった方が勝利となります。
このMCバトルにより、血を血で洗うような恨みのループは大きく解消されたと言われます。
つまり、公の場で「恨みに思うこと」を言うことで、恨む相手は「許す」方向に一歩近づけるわけです。
なので、自分が恨まれていた場合、相手に自分への気持ちを公の場で言わせることができれば、解決に向かうかもしれません。
今現在、人を恨んでいる人は、聖書を読むのが良い
私はキリスト教の信者ではないのですが、キリスト教においては「許す」という視点で勉強するのも良いと思います。
キリストについて、私は、とやかくいえる人間ではないのですが、キリスト自身を処刑したローマ人をキリストは恨むことなく、その状況を”状況とする”。つまり、誤解を恐れずシンプルに言うと、その状況をそのまま受け入れた人だからです。
さらに聖書は文字にされています。文字にされていることが1つ重要で、文字にされた崇高な言葉は、恨みのような”流れる濁流”の中でも、その感情に流されず、心に「許す」ヒントを刻むはずです。
参考記事:人を恨む気持ちを消す方法
仕事関係でこちらが良かれと思ってやっていた事が、向こうはお気に召さなかったようです。え?そこ?っていう結構前の出来事で勝手にがっかりされ負の感情を抱かれ、職場の上司に今頃愚痴ってきました。←イマココ 気にしないでと言われつつ、納得がいきません。悲しいです。そんな思いでココを訪れました。感謝