こんにちは、ミエナです。
今回は、「戦争はなぜ終わらないのか?」について私の意見を書いていきます。
戦争はなぜ終わらないのか?
ロシアとウクライナの戦争開始から、もうすぐ2年が経過します。また現在、ニュースを騒がせているのは、イスラエルとパレスチナの戦争です。気付けば、いつでもどこでも、どこかで戦争していますよね。
いつになれば、戦争のない社会になるのでしょうか?
Q.みなさんなら「戦争はなぜ終わらないのか?」について、どう考えますか?
この答えは、100人に聞いたら、100通りの考えがあるように思います。
例えば…
【Aさん】結局は、お金よ。お金の流れを見れば、戦争が分かる!
【Bさん】軍需産業よ。軍産複合体が問題。
【Cさん】エネルギー資源の奪い合いね。いつも石油で揉めてる
【Dさん】宗教対立よ。イスラム教とキリスト教がいつも戦争してる
【Eさん】人口削減のためね。人口を減らすことで、環境問題と食糧問題を解決できる
【Fさん】どこかで戦争が起こると、軍備力のあるアメリカの評価が上がり、米国債を維持できる
【Gさん】各国の地政学リスクの問題よ。次の戦地は台湾かしら…
上記のように、「戦争はなぜ終わらないのか?」の答えは、私が想像できる以上に、たくさんあります。でも、何千年も前から、人間は戦争を繰り返していますが、本当に、お金、軍需産業、資源、宗教、食糧で戦争が起きるのですかね?
そんなことで、人を何万人も殺します?そもそも、昔から戦争を指揮してきたのは、国王とか偉い人です。自分が国王だったら、何万人も殺す戦争の意志決定しますか?
なぜなら、国王は…お金もあって、女性も大勢いて、宝石もいっぱいあって、食べ物もいっぱいある…自己満足を満たすだけなら、とても容易な環境で暮らしています。平穏に暮らしていれば、一生安泰の身なのに、なぜ、戦争するのですかね。
欲が戦争を招いているわけではない
「そもそも食糧のために、命がけで人を殺します」って変ですよね。生きるために食べるのに、命を犠牲にするなんて…
そもそも個々の人間の中で、命が一番大事ならば、全体に戦争はしません。だって、戦争することが一番、死ぬリスクが高いじゃないですか。
欲望で人を殺す人は、ただのサイコパスな変質者であって、戦争とは異なります。
戦争の発端は、欲望ではありません。自分の命を守るために、人は戦争はしないのです。
だとすると、命や欲望をベースに戦争を捉えても、「戦争はなぜ終わらないのか?」の答えは見えてこないのではないでしょうか。
私は…
人間には、命以上に大切なものがあるから、戦争が起こる
このように考えています。
志が戦争を起こす
命以上に大切なもの…それは、志です。志というと、キレイな印象があり、戦争を美化しているように感じてしまいますが、この記事では、最終的に、志を否定しますので、ぜひ最後までお読みください。
そもそも志とは、人間が生まれる前から持つものであり、自らが課した使命とも言えます。70億人いれば、志も70億通りあるわけです。
この「自らが課した使命 = 志」とは、自分のこの世における存在意義であり、スピリチュアル的には、命よりも重いものなのです。なぜなら、自分が存在する理由が志ですから、志がない人は、この世に存在しないことになります。
全ての物に、存在理由があります。人間も同様です。例えば、懐中電灯は、暗闇を照らすために存在します。「暗闇を照らたい」という人間が懐中電灯を開発し、懐中電灯が存在する。存在意義があって、全ては存在する。人間も同じで、存在意義があり、自分がいる。ただ、自分の存在意義を多くの人が忘れているだけであり、思いだした人にとっては、存在意義(=志)は命よりも重くなるわけです。
つまり、70億人それぞれが自分の使命感(志)を第一に生き、それを否定する人間を命をかけて批判する…このように、各個人に「志」がバラバラに存在することで、カオスが発生し、命をかけた戦争が起こるわけです。
分かりやすく言うならば、子どもが10人集まり、全員「うちのお母さんが1番だ」と言い出したら、ケンカになりますよね。誇りをかけて争うことになります。70億人レベルでこの事態が起きたときに、幾人かは妥協し、幾人かは結束し、幾人かは孤立します。この最終局面で興ったのが国家や宗教です。
人は、命より重い「志」を胸に遂行し、そして、賛同する人を探し、否定する人から自らの志を守るために戦う…
他の星では、志が統一されているから戦争が起こらない
ただ、この「志 = 自らが課した使命」というのは、地球という波動の低い星だからこそ、みんなバラバラなのです。
波動の高い星の人は、「志」が1つになる傾向にあります。なので、そのような星では、戦争が起こりません。
「志」がみんなバラバラ…それを現代では「多様性」と呼びますが、「多様性」のせいで戦争するのです。みんな同じ志ならば戦争しません。
つまり、多様性を受け入れても、平和にならないのです。現に、ダイバーシティとか言って、多様性を受け入れようとしてますが、「変質者も受け入れろ」と言っているのと同じ状況です。女風呂に入る自称女性を受け入れたところで、余計に治安は悪化します。
共感こそ、戦争を生む
「共感こそが戦争を無くす」と考えている人は、まだまだ人間の本質を理解できていません。共感は、共感できる者同士を結束させ、共感できない人を批判する状況を生みます。
70億人が、他人の価値観の違いを受け入れるのではなく、70億人が自分の価値観を疑うことが重要
平和な世の中は、共感を求めること、多様性を受け入れることによって、もたらされるものではありません。
何でもかんでも「多様性」と言って意識レベルの低い変質者を受け入れても平和にはならないのです。
だからといって、70億人全てが自分以外の人を否定する社会を肯定するわけではなく、70億人全てが、自分の「正義」を見つけ、その「正義」を自ら否定しながら、ブラッシュアップする世界が、平和をもたらせます。
70億人の「正義」は異なる。これは地球の波動が低いから
「自らが課した使命」がみんなバラバラになるのは、この地球がカオスであり、ランダム性に富むからです。つまり、意識レベルの低さが、生まれつき志がバラバラな人間を生み出すわけです。
人間は、自分のために生きていません。人のために生きているのですが、「何が人のためになるのか」の答えがバラバラなのです。
大統領は、欲のために戦争しません。それは、欲が満たされるポジションにいるからです。でも、「何が人のためになるのか」という正義感における意識レベルが低いことで、各国の衝突が生まれます。だから、国益だけを見て、戦争を論議しても、真実は見えてきません。
「何が人のためになるのか」の答え…すなわち、正義の考え方を誤ることで戦争になります。人は、正義のために死ねるほど尊いものです。それは、大統領も、軍人も、ビジネスマンも、主婦の方も同じです。でも、「正義」のレベルが高いか低いかは議論されないのが現状。それは、自らの「正義」を否定されることが、死ぬことよりも辛いという、スピリチュアルな人間の本質がそこにあるからです。
自らの「正義」とは、自分の存在意義であり、自分の生まれてきた意味でもある
だから、命がけで、自分の「正義」を守る。でも、その正義は、まだ、宇宙標準の「正義」からほど遠い…。
戦争を利害関係だけで捉えてはいけない…私たちは他人の「正義」を批判し、そして、自分の「正義」をも否定し、存在意義と志をブラッシュアップしていくことが大切なのではないでしょうか。
深い理由なんですね〜…とミエナさんの分析力に感心すると同時に、
なんて地球って面倒くさい星なんだ、、と改めて思ってしまいました。
少し記事と話しが逸れてしまいますが、
今世で地球最後の人が今多い?とスピリチュアル情報でよく聞くのですが、その事についてどう思われますか?※私個人としては、もう地球卒業したいなぁと。。ネガティブな理由じゃ卒業できないかな😅
Mさん、コメントありがとうございます。
> 今世で地球最後の人が今多い?とスピリチュアル情報でよく聞くのですが、その事についてどう思われますか?
来世、地球に生まれ変わるかどうかは、「波動が高いこと」だけが条件になるわけではありません。「地球でやり残したことがない」ことも大切な条件です。そのため、波動の高い人の中には、再度、地球人に生まれ変わり、さらに人のために生きたいと考える人もいます。
そのため、「地球最後の人が今多い」とは思いません。
ただ、スターシードの人、元天使の人、元妖精や精霊の人は、来世、人間に転生する可能性が低いです。そのため、これらの人が現在に大勢いらっしゃるのなら、「地球最後の人が今多い」という見解も頷けます。
ミエナ
ネットで良くいわれてる正義の反対はまた違う正義って意見が案外スピリチュアル的には的を得ていたという話でしたね。
仏教の教えの主要な言葉に『諸法無我』があります。「この世のあらゆる物事は無我によって成り立つ(=onenessワンネス)」と解釈しています。
この世で人々に分かれて宿る魂(分霊)は必然的に自我を有してしまうことから、人々のエゴが対立して様々な苦難を体験することになります(『一切皆苦』)。苦難を克服するには、行き着くところ自我を抑えるしかありません。自らの内にハイヤーセルフを見いだすことで自我はなくなっていきます。人々がこれに気づくことで世の中が平和になっていくのではないでしょうか。現状まだ難しいですが、そうあることが大事な気がします。
つまり、この世は魂磨きの修行の場であり、この修行によりこの宇宙を尊い意識で満たすことで宇宙を存続させようとする働きがあるのではないかと思います。
コメントありがとうございます。
「諸法無我」という言葉、相当高い「高次元の概念」ですよね。
「自分は他人であり、他人は自分である」という意味も繋がると思うのですが、これを理解できたときに人は「悟りの境地」に行き着くのでしょう。ただ、全ての人間は、自分のことでいっぱいいっぱいなのが現状です。
もっとゆとりのある生活が実現できる社会が、自分を見つめる余裕を人々の中に生みだし、社会を平和にするのだと思います。
ミエナ
お返事ありがとうございます!
自分を見つめるには日常生活から離れてみるのが有効と思われます。そのことに四国遍路は打ってつけです‼︎
「諸法無我」ですが、「諸行無常」とも関連する言葉のようです。
諸行無常とは「この世で人が認識するあらゆる物事や存在は移ろい変わるものである」との旨ですが、人も生まれてから死へと日々刻々と肉体的にも精神的にも変化していくものであり、ちょっとしたことで感情が激変したりすることもあり、一体どれがその人なのかわかないというようなことも含む意味があると解釈しています。
このことからして、あらゆるものの本質は実体性がないということを「諸法無我」は表していると思います。
(般若心経の中の「諸法空相」も同じ意味合いかと)
要は戦争も諸行無常の一環でこの世では永遠に因縁によって起こり得る物事であり、我は我はと実体性のない自我を張ることのむなしさを知らしめるためにも起こることなのかもしれません。