こんにちは、ミエナです。
今回は、「幸せになる権利を捨てよう」について書いていきます。
「幸せになる権利」を放棄した方が幸せになる
Q.みなさんは、「幸せになる権利」を全ての人が持つと思いますか?
瀬戸内寂聴さんは、「人間には一人残らず幸福になる権利があるのです」と言っておられます。うーん、納得です。神様の前において、人は平等ですからね。
しかしながら、「幸せになる権利」をみんなが振りかざしたら、どうなるでしょうか?例えば、ストーカーが、「自分が幸せになる権利」を行使し、好きな相手を追い回したら、ストーキングされた相手は、もちろん、幸せになることはできません。
「幸せになる権利」を行使すれば、人類は数限りある資源を奪い合い、自己満足をとことん追求していく…
つまり、「幸せになる権利」というのは、権利を行使すれば、誰も幸せにならない…のではないか!?
このように考えると、
「幸せになる権利」とは、行使した途端に、誰しもが不幸になるもののように思えます。
幸せは、掴む物ではなく、やってくるもの
「幸せになる権利」は、権利を主張した途端に、不幸になるものです。ならば、「幸せになる権利」を捨てませんか?
「自分はもっと、幸せになるべきだ」、「自分には、幸せになる権利がある」、「自分が、幸せになって何が悪い??」のような考え方を持つことは、実は、自分を幸せから遠ざけています。
幸せは、権利を行使して掴む物ではなく、きっと、「幸せ」の方から、引き寄せられてやってくるもの。
であれば、幸せになるために、権利など、行使する必要もないのです。
人は「幸せになる義務」だけを持つ
私は、「人間には一人残らず幸福になる義務があるのです」と言いたいです。「幸せになる権利」は、持たなくて良いと思っている…
それは、幸せを権利と考えると、奪い合いになるのに対し、幸せを義務と捉えると「幸せの連鎖」となるからです。
「幸せの連鎖」とは、例えば、Aさんが幸せになると、それを見たBさんも幸せになります。幸せそうなBさんを見たCさんも、幸せを感じていく状態…
この「幸せの連鎖」が起こるのは、もう1つ、
「あなたが、幸せがなる」ことは、「あなたの周りの人を幸せにする」ことと同じである
という、スピリチュアルな法則が成り立つからです。
あなたの幸せ = あなたの周りの人の幸せ
ちょっとした言葉の違いなのですが、「義務」と「権利」の間には、幸せになるための大きなキーワードが隠れています。
なので、あなたがもっと幸せになりたいなら、「幸せになる権利」を主張せず、放棄してみて下さい。
幸せになる権利、ということについて、それを追求したら、幸せになる権利同士がぶつかりあうのではないか、そしたら、誰かの幸せは誰かの幸せを奪うのではないか、とずっと疑問でした。
幸せになる義務、という言葉は、すごく腑に落ちる気がします。幸せになる義務がある、ということを、日々意識して過ごしたいと思います。
ケイさん
コメントありがとうございます。
この記事に納得していただけたとのことで
嬉しいです。
これからも当ブログをよろしくお願いします。
ミエナ
ミエナさん、こんにちは
いつもブログ楽しませていただいてありがとうございます。
幸せになる権利を主張するのではなく、幸せになる義務があると考えた方がいい、とはとても面白いです。
幸せと『権利』と言う言葉の結びつきに、ん??という違和感を感じましたが、そのワケがよくわかりました。
いつもミエナさんの言葉にする力には感動しながら読まさせて頂いております。
更新を待つのが楽しみの一つになっております。いつも本当にありがとうございます。
わたなべこさん
コメントありがとうございます。
> いつもミエナさんの言葉にする力には感動しながら読まさせて頂いております。
非常に嬉しいです。
これからも頑張って書いていきますね。
ミエナ