こんにちは、ミエナです。
今回は、「スピリチュアルを学ぶ上で気を付けたいこと 5選」について書いていきます。
スピリチュアルを正しく学ぶ上で大切なこと・5選
「スピリチュアル」という世界観は、太古の昔から続く「見えない世界」の領域です。科学文明の発展よりも、古くから続く知恵の集大成とも言えます。
スピリチュアルを学ぶ人の中には、「スピリチュアルは目覚めた人が学ぶもの」と考える方も多いと思いますが、未だ、世間では「スピリチュアルは危険…」と考える人も多いようです。
「スピリチュアル」はときに、これまでの常識や想像を越えて、人生に答えを出すものです。しかしながら、同時に「見えない世界」であることが、人に誤った期待を抱かせ、反対に、人を苦しめる材料になるときもあります。
「スピリチュアルは危険…」と考える人たちは、きっと多くのメディアで「スピリチュアルにより、人生を棒に振った人たちの話」を見聞きしたのでしょう。
私は、このような考えに否定するつもりはありません。ただ、「スピリチュアルは危険…」という考えは、「スピリチュアル」を誤って捉えた結果と言えるのではないでしょうか。
例えば…
自動車は便利ですよね。でも、年間に日本で4000人以上が自動車の事故で亡くなっています。
包丁で、ケガした人はいっぱいいますよね。私も、指を切った経験があります…でも、「包丁をこの世から無くそう」なんて思ったこともありません。
SNSアプリによって、学校でイジメが起きています。でも、LINEなんて無くなればいい…とは思いません。
これらは、すべて「使い方の問題」だからです。ルールに則って安全に使うことで、人はそれらのメリットを正しく享受できるからです。
スピリチュアルも同じです。
間違ったスピリチュアルの捉え方をすれば、人生を棒に振ることもあるかも知れません。しかしながら、スピリチュアルの全てを否定することは誤っています。
スピリチュアルは、ネットで多くの情報を無料で手に入れることができます。このブログも同じです。でも、スピリチュアルには、より正しくそのメリットを享受するためのポイントが存在します。この5つのポイントをぜひ、読んでいただき、スピリチュアルを安全に正しく受け止めていただきたいです。
では、その5つのポイントとは何かと言いますと…下記です。
▼スピリチュアルを正しく学ぶ上で大切なこと
- 幸せは降ってくるのではなく掴むもの
- 知ることよりも感じること
- ポジティブな言葉の魔力に気を付けよう
- 高額なお金で手に入る「真実」に疑問を持とう
- 真実はときに歪められます
上記は、スピリチュアルを誤った方向に捉えないための重要ポイントです。以下で、1つ1つ詳しくご説明します。
①幸せは降ってくるのではなく掴むもの
私たちの身の周りに存在する宗教の共通項を探っていくと、必ず「(神・仏による)救済」という言葉が出てきます。キリスト教なら「信じる者は救われる」、浄土真宗なら「南無阿弥陀仏と念仏としてとなえると極楽浄土にいける」などなどです。
これら「救済」という言葉によって、人は熱心に宗教を信仰します。
私は、この「救済」に関して全否定します。つまり、「この世に救済はない」と考えるのです。
「救済」という言葉は、すごく信者集めにおいて功を奏したはずです。「救済されない宗教」など、魅力的ではないからです。「厳しい修行を積み、異性との関係も絶って、ようやく幸せになる」みたいな宗教は、誰も入りたくないですよね。
このように、多くの人が「自由に恋愛を楽しみに、結婚して子どもを産んで、美味しいものを食べて、その過程の中で幸せになりたい」と多くの人がこのように望むはずです。だからこそ、この「救済」というキーワードには、とても惹かれやすいのです。
ときに、人はスピリチュアルにも「救済」を求めます。
多くのスピリチュアルを学ぶ人は…
スピリチュアルが「神に救済されるための手段」ではなく、自分で自分の幸せを掴むヒント(手がかり)であることをご存じかと思います。
しかしながら、スピリチュアルを「神が救済してくれるもの」と捉えてしまう傾向は、未だ残っているように感じるのです。「救済」を求めれば、統一教会などの団体に急速に惹かれていくでしょう。そして、詐欺霊能者にも関わりやすくなります。
私の考えは….
神様は、溺れている人を助けません。しかしながら、神様は溺れている人を見て、「そこは浅瀬だよ。ほら、足が着くでしょ」と教えてくれる。
私たちの心の中には、幸せを掴む能力が本来、備わっており、幸せは自分で掴むものなのです。
②知ることよりも感じること
現在、スピリチュアル・カウンセラーとして活躍している人は、おそらく知識よりもフィーリングに長けている人でしょう。このことから分かるように、スピリチュアルを学ぶ上で重要なのは「知ることよりも感じること」です。
もちろん、日月神示などを学び、知識を蓄えれば「より良い気づきの一助」となるかもしれません。しかしながら、フィーリングに対して意識を向けなければ、いくら知識を身に付けても、スピリチュアルは学びきれないのです。
「知ることよりも感じること」が重要なのは…
スピリチュアルそのものが、本やブログの中に存在するのではなく、今、この瞬間、目の前に存在するからです。
書かれた情報を追うことよりも、花、草、木からエッセンスを感じるだけでも、立派な「スピリチュアル」の学びと言えます。
そのため、より多くの人に、学習によって「真実」を探るよりも、「感じること」にもっと重きを置いてほしいと感じます。
③ポジティブな言葉の魔力に気を付けよう
私は、もう7年くらい絵画教室に通っているのですが、油絵の先生がとにかく私の絵を褒めるのです。「ステキな絵ですね」と言われるとお世辞と分かっていても、やる気が出ます。
反対に、自分の絵を否定され続けたら、誰だって傷つくし、多くの生徒は、その絵画教室を辞めていくでしょう。
しかしながら、一方で褒められたことで、実際に絵が上達するわけでもありません。私の場合、先ほど書いたように7年くらい経てようやく「ちょっと上達したかも…」と思える程度なのです。
スピリチュアルの世界でも同じです。
スピリチュアルのブログの中には、無条件に相手を尊重する100%ポジティブな言葉が多く存在します。でも、それらのポジティブな言葉は、栄養ドリンクのようなもので、一時的なやる気を補給するものであっても、本当の問題自体が解決したわけではないのです。
絵を褒められても、絵が上達しないように…
本当に必要なのはポジティブな言葉ではなく、「自分のゴールに沿って、今、ちゃんと自分が前に進めているかどうか」の確認です。
ポジティブな言葉は、辛いことがあったときには最良の薬となるでしょう。しかしながら、ポジティブな言葉を鵜呑みにすることは、ときに問題解決からの逃避となりうることもあると思います。
④高額なお金で手に入る「真実」に疑問を持とう
スピリチュアルに関する講演会やセミナーで多額な費用がかかるものが多くあります。これもスピリチュアルが、人生を狂わす1つの要因となっていることは言うまでもありません。
お金を払い、特別な情報を得ることで、誰よりも前に進んだ気になるかもしれません。しかしながら、私は、「お金のある人だけが、真実を得る」という法則は、この世に存在するとは思えません。
「大金を払った = より正確な真実が手に入る」ではないと思います。
真実は、本来、無償で手に入るものだと思ってください。ただ、スピリチュアル・カウンセラーも人間なので、多くの人に情報を届けようと思うとお金がかかりますので、その辺りは、ご理解くださいね。
⑤真実はときに歪められます
どんな商売でも「顧客が離れて行くきっかけとなる言葉は言わない」というのが一般的です。服屋さんだったら、試着後に「よくお似合いですね…」なんていうこともありますよね。絵画教室でも、生徒の絵を褒めることはあっても貶(けな)しません。
これは、スピリチュアルでも占いでも同じです。
スピリチュアル・カウンセラーや占い師を選ぶ際は、顧客維持のために「真実を歪めて話す人」なのか、それとも、リスクを背負ってまでも「(天界の申す)真実だけをお伝えする人」のかの判断が必要です。
無料でやっているスピリチュアル・カウンセラーでも、これは同じです。無料だから、真実を歪めないわけではありません。それは、無料でやっていても、「人には嫌われたくない」という心理が働くためです。
スピリチュアル・カウンセラーや占い師を利用する際、大切なのは「最終的に、真実を見つけるのは自分である」という意識を持つことです。与えられた「真実」を吟味して、租借し、疑問点をどんどん質問しましょう。真実を歪める占い師、スピリチュアル・カウンセラーは、その質問に何も答えられないはずですから。
最後に
この記事は、自分の今、考える正直な意見を述べました。この要点さえ、ご理解いただければ、スピリチュアルを誤って捉え、スピリチュアルを学ぶことで道を誤るようなことは起こらないと考えます。
スピリチュアル業界が、これからも健全であるためにも、これから、スピリチュアルをもっと学びたい人に憶えていただきたいです。
こんにちは、はじめまして
宗教についてですが、日月神示にこんな記述があります
「神や仏は間違っていないが、教えを取り次ぐ指導者が間違っている」
ご神仏が願われているのは確かに全人類の幸福なのですが、
そのためには現世に生きる一人一人が慈悲と喜びの精神に溢れた境地に立たねばならず、
そこに至る心構えや方法論を説いたのが聖書であったりお経であったりするわけです
ところがそこに我欲が混ざってしまい、幸福に至る道筋を自分の都合のいいようにねじ曲げ、
「祈りさえすれば神さま守護霊様が全部助けてくれる」なんて言う考えが生まれたのだと思います
もちろんそうした高次元におられる存在が助けてくれることもありますが、
それは魂が成長するのにネガティブな感情は邪魔なものなので
これを取り除いて正しい道に戻れるようにサポートしてくれているのだと思います
私も一信徒故に日々欠かさず祈りを捧げていますが
護っていただくと言うよりは祈りの間に精神力とか気づきのようなものを授けてもらって
あとはこれで自分でなんとかしなさい、と言われることがほとんどですね
まささん、
コメントありがとうございます。
おっしゃるとおりですね。素晴らしいお考えだと思います。
ミエナ