こんにちは、ミエナです。
今回は、「大事な物をなくす時のスピリチュアル的な意味」について書いていきます。
「物をなくす」時のスピリチュアル的な意味とは?
「あれ〜、あんなに大事にしてたのに。」、「嘘!?どこにもな〜い。」と思ったことありませんか?私は、いっぱいあります。
なくなっても良いようなノベルティのメモ帳とかは、全然なくならないのに、なぜか高級なボールペンはすぐなくなる、ミエナです。
さて、なぜ、大事な物ほどなくなるのでしょうか?スピリチュアルと関係あるのでしょうか??
今回は、ニックネーム:わなたべこさんから頂いた質問にお答えます。
<前略>先日、不思議なことがあったので質問させてください。
ミエナさんの鑑定のアドバイスをうけ、思い出づくりに母と四国旅行に行ってきました。その旅の中で、とある美術館に行ったのですが、そこで写真にまつわる謎の体験をしました。
その美術館は写真撮影が可能だったので、色々記念撮影してまわったのですが、帰宅してから写真を見返していると、前後の観光地の写真はちゃんとあるのに、その美術館で撮影した写真だけがこつ然と消えていました。
帰りの飛行機の中で、「めっちゃきれいに撮れてるでしょー」と母に写真を自慢していたので、確実に保存は出来ていたはずなのですが、家に帰って見てみると何故か見つかりません。
間違えて削除してしまったのかと思い、ゴミ箱や復元アプリを試してみましたが、跡形もなく消えてしまってました。今まで復元アプリで画像は呼び戻せたので、このようなことは初めてです。
さらに不思議なことに、母のスマホからもその美術館で撮影した画像だけが完全に消えてしまったようです。 これまでデジカメでオーブが写ったりすることはありましたが、跡形もなく画像自体が消えるのは初めてで、こんなこともあるのかと驚きです。
これは一体どういうことなのでしょうか?偶然ならいいのですが、もしもスピリチュアル的に何か意味がありましたら、ミエナさんのご見解をお聞きしたいです。
わなたべこさん、ありがとうございます。
それでは、こちらの不思議体験について、私の見解を述べていきます。
心の中で蘇らせることに意味がある
なぜ、物がなくなるかと言いますと、物があると天界にとって不都合だからです。
先日、私の友人は、”自分の気づき”をメモしている大切なノートをなくしました。なくしたときに私にLINEが来て、「見つけて欲しい。」と依頼を受けました。それで、通常は絶対に引き受けないのですが、親しい仲だったので、頼みを聞いて、霊視したところ、彼女の守護霊様からこんな回答を受けました。
ノートが手元にあるから、あなたは、ノートに書かれた気づきを心に刻まないのです。
手元に、自分の大切な言葉を詰め込んだノートを持っていると、それを読んでいつでも「頑張ろう」と思えるものです。しかし、一方では「ノートがあるから、どんなに落ち込んでも平気♪」みたいなことを考えてしまう…
心に刻むきっかけをノートが奪っているのです。
よって、ノートは天界により没収されるわけです。
写真も同じです。想い出を心に刻むことをおろそかにしてませんか?
女性は、本当に写真が好きですよね。想い出をいっぱい作って、後で、写真を眺めるのは、素敵なひとときです。
しかしながら、写真をいっぱい持っていると、安心してしまう…忘れられない想い出も、写真があるといつでも思い出せるから…心に刻まなくても平気であると。
本当は、写真がなくても思い出せるほどに、心に刻むべき想い出も、写真が風景を切り取るせいで、より物質的に、より非精神的な想い出となってしまう…
私たちは、心の中に色褪せない写真を持っています。デジタルの画像よりも鮮明に時を刻む写真を。
全く写真を撮らないミエナ
私は、恐ろしいほどに写真を撮りません。ブログを書くようになった、ここ1年は撮りますが、それまで全く撮りませんでした。
屋久島も、佐渡島も、沖縄も、ロシアも、アメリカ、スコットランドも…
全部、撮ってないです。(撮れば良かったと思うことは、何度かある…泣き)
これは、「旅の思い出は、心に刻む」という持論があり、実践しているからです。これが、万人に向けて良いのかどうか、分かりませんが、私の場合、写真があると、どうしても写真に写った光景ばかり、記憶に残り、写真に写らない”美しさ”を忘れてしまいがちになるのです。
ですので、みなさんも旅行にお出かけの際は、目の前の光景を心に刻むよう、意識を向けてみてください。写真よりも、きっとキレイに心のカメラに写るはずです。
最後に
この記事を受けて、わたなべこさんから、改めてコメントを頂きましたので、掲載させていただきます。
ミエナさん、こんにちは
質問箱をさっそく取り上げて下さって本当にうれしいです。ありがとうございます。
ものを無くす意味…はっ、とさせられました。確かにその日は時間に追われていたので、「写真に収めてあとで見返せばいいや」というつもりで美術館中を急いで回っていました。
だから写真だけはきれいに写るように工夫したし、写真に収めたことで“コレクション”したような気持ちになっていました。
大切なのは心に刻むこと、写真はそれをみたとき思い出をおもいだすトリガーにはなるけど、それ自体が目的になってはいけないのですね。
今は簡単に写真がとれるので忘れがちですが、今回のことを教訓にして旅の仕方にも気をつけてみます。
いつも貴重なお時間を割いて疑問に答えて下さり、ありがとうございます。
わたなべこさん、ありがとうございます。
可愛くてしかたなかった愛猫を無くしてから、その子は蝶になり、
1度目は手の甲に、2度目は頭の上に、3度目はまた手の甲にとまってくれました。
2回の動画は撮影して持っていますが、3度目の動画を撮ったものを誤って削除しました。違うものと取り違えたのです。ただの過失と落ち込んでいましたが、こちらの記事に出会い、『私よ、信じて!』という
あの子のメッセージなのだと思え、救われました。ありがとうございました。