こんにちは、ミエナです。
今回は、「罪を償う方法」について書いていきます。
罪悪感を手放す、罪を償う方法
今回は、ケイさん(30代・女性)からご質問いただきました。
最近、罪の償い方について考えています。
法的な罪を犯して逮捕された人には、法によって定められた罪の償い方がありますが、それが本当に魂(という表現でいいか分かりませんが)の罪を償ったかというとそうではないと思います。
また、法的に罪にならなくても、自分では罪を犯したと思っていることがあったとして(例えば人の心を傷つけたとか)、どういう罪の償い方が良いのでしょうか。相手がいるなら謝るというのも一つの償い方ではあると思いますが、連絡がとれないとか亡くなっているとかいう場合もあると思います。
行動で示す罪の償い方とあるとは思うのですが、場合によっては、心の有り様とか持ち様による罪の償い方もあるのかなと考えたりもします。ミエナさんが考えるスピリチュアル的な罪の償い方を知りたいです。
ケイさん、ありがとうございます。
この記事では、罪とスピリチュアルについて詳しく書いていきます。
人間が決めたルールの上に「罪」がある
Q.そもそも「罪」って何でしょうか?
よくよく考えてみると、「罪」って不思議ですよね。
生きていれば、誰だって「罪」を犯します。誰だって、一日の内に、虫を何匹も踏み潰しているし、二酸化炭素を吐くことで空気を汚している…
これらって、罪に問われないだけであって、罪ではないのか…?
- 一日の内に、虫を何匹も踏み潰している・・・罪ではない
- スーパーマーケットで万引きする・・・罪である
罪って、人間が決めたルールに則っているのですよね。
じゃあ、虫がルール(法律)を決めたら…
- 一日の内に、虫を何匹も踏み潰している・・・罪である
- スーパーマーケットで万引きする・・・罪でない
…ということになりますよね。
そもそも、罪って、視点によって異なるのです。誰がルールを決めたのかで、自分の犯した行動が「罪」になるのか決まるのです。
虫が、法律を作れば、虫を殺した時点で「有罪」です。反対に、虫が、法律を作れば、人を殺すことさえ「無罪」となるでしょう。
スピリチュアルの世界では、人が人に危害を加えることはできない
Q.Aさんが、Bさんを殺した場合、誰が悪いのでしょう?
基本的には、Aさんですよね。でも、スピリチュアルの側面で見ると、考える視点がちょっと普通と異なるのですよね。
まず、「Aさんが、Bさんを殺した場合」、この「1つの事件」は、「2つの事実」に分けられます。
▼2つの事実
- 「Aさんが、Bさんを殺した」という事実
- 「Bさんが、Aさんに殺された」という事実
上記のように、「1つの事件」を、「2つの事実」に分けた上で、「原因と結果」について考えていきます。
普通で考えれば…
Aさん(原因)によって、Bさんは殺される(結果)
でも、スピリチュアルの法則を限りなく突き詰めていくと…
- 「Aさんが、Bさんを殺した」という事実・・・Aさんのカルマ(因果応報)によって起こる
- 「Bさんが、Aさんに殺された」という事実・・・Bさんのカルマ(因果応報)によって起こる
上記のような「原因と結果の法則」が当てはまります。
つまり…
- Aさんが罪の意識で苦しむ・・・Aさんのカルマによって起こる
- Bさんは殺され、早期に人生を終える・・・Bさんのカルマによって起こる
究極的に言えば、AさんとBさんには因果関係が存在しないのです。
さらに、極論ですが、Bさんが殺されたのは、Aさんのせいではないのですよ。
ここで言いたいのは、AさんとBさんは、「殺した側」と「殺された側」で強い関係性があるようで、実は、それぞれ別の宇宙(別の次元)で生きているのですよね。
Aさんは、Bさんを殺した罪により苦しみ、それとは関係なく、Bさんは、自らの境遇により、苦しむ(もしくは、殺されることが、スピリチュアルに不当であれば、来世で幸福がもたらされる)のです。
つまりは、同じ地球に2人が生きていて、犯罪加害者と被害者の関係であるけれども、実は、全く異なる宇宙的な法則や条件によって、二人の運命が決められているわけです。
つまりは、スピリチュアルの世界では、人が人に危害を加えることはできないのです。
Bさんの被害は、Aさんが加えたのではなく、それとは関係のない因果応報によるのです。だからと言って、犯罪者Aさんは、罪がないのではなく、Aさんは、Aさんの世界の論理の中で、罪を背負います。ただ、Bさんとは関係ないのです…
「罪の意識」から逃れる方法
スピリチュアル的には…
罪というのは、罪の意識を持った瞬間に発生します。
※法律上では、裁判後に罪は確定しますが…
スピリチュアル的には「自分は悪くない」と信じ続けられるのであれば、どんな犯罪者でも「無罪」です。
でも、「本当に悪いこと」をすれば、必ず良心の呵責が生まれるので、「犯罪行為 = 罪の意識を持つ = 罪を背負う」となります。
「犯罪にかかる時間」と「犯罪を後悔する時間」
罪というのは、基本的に、自分が「過去に起こした行為」です。
例えば、万引きをした場合、犯罪に要した時間、仮に15分間であれば、この15分間が「罪」に当たります。
自分の中の過去の15分間が「罪」であれば、人生の280万分の1くらいの時間だけ、犯罪を犯したことになります。
※80歳まで生きることを想定すると、人生は約70万時間となる。
万引きしたことに対し、1年間、後悔し続けた場合、犯行時間は15分間だけなのにすごく長いですよね。
まず、罪の意識というのは、時間では測れないということです。
「罪」という名の怪物
私は、「罪」という怪物だと思うのです。
罪を犯した瞬間から、人は、心の中に罪という怪物を生み出してしまう…
その罪という怪物が、自分を常にいじめることで、罪の意識が自分を苦しめるのです。
ただ、この罪という怪物は、その内、自分をいじめなくなります。いじめるどころか、自分に対し、「幸せ」をくれるようになってくるのですね。
そしたら、罪は、晴れたと言えるのではないでしょうか?
だから、「罪の意識」から逃れる方法なんて存在しなくて、ただ、自分が生み出した怪物が、自分を幸せにしてくれる日を待つのみ…私は、そう思います。
ミエナさま
質問に応えていただき、ありがとうございました。そもそも、スピリチュアル的な罪の概念自体、全然今までの見方と違ったので、目からウロコでした。
確かに罪の意識を持つのは自分自身であって、他人が罪だと言っても本人が何とも思わないこともあれば、他人が気にしなくていい、と思うようなことに対して、本人が罪の意識を持つこともあるので、罪の意識を持った瞬間に罪が発生する、というのは、納得です。
最後の部分なのですが、罪が自分をいじめる→自分を幸せにする、という、この過程について、もう少し詳しく知りたいです。これは、真摯に罪の意識に向き合い続ければ、いいということでしょうか?また罪の意識が自分に幸せを与える、ということの意味がよく理解できないので、機会があったら、また解説をお願いしたいです。
ケイさん、
今回は、ご質問いただき、誠にありがとうございます。
> 罪が自分をいじめる→自分を幸せにする、という、この過程について、もう少し詳しく知りたいです。
承知いたしました。
ここは、大分端折ってしまったので、すみません。
後日、もうちょっと詳しく補足させていただきます。
ミエナ