こんにちは、ミエナです。
今回は、「徳を積むスピリチュアル意味と目的」について書いていきます。

徳を積むスピリチュアル意味と目的

Q.みなさん、徳を積んでいますか?
徳を積むとは、「善い行いを重ねておく」という意味です。
「そんなの意味あるの?」とか「メリットは?」なんて、声も聞こえてくるかもしれませんが、これがとても人生において大切なのです。
「徳を積むこと」のメリットをご説明するよりも、実は「徳を積まないことのデメリット」について解説した方がわかりやすいので、この記事ではまずデメリットからお伝えします。
徳を積まないことのデメリット

「徳」の正体をものすごく簡単に説明すると、「天界からの厳しい修行を避けることのできるチケット」と言えます。このチケットがあれば、潜在的な才能を開花させ、華麗にスムーズに人生を進むことができます。
反対に、「徳を積まないとどうなってしまうのか」と言いますと…
徳を積まないと、人は、悪い情念が湧きやすくなります。
「ただ、それだけか…」と思った方、侮ってはいけません。「悪い情念をコントロールできるかできないか」で、人生は幸せにもなり、不幸にもなります。そして、経済的な成功さえも左右させるのです。
徳を上手に積むことができる人だけが、本当の幸せを手に入れる

先先にご説明したとおり、「徳を積まない」と悪い情念が湧きやすくなります。悪い情念とは、具体的に下記です。
▼悪い情念の一例
- 欲望
- 焦り
- 劣等感
- 嫉妬
- 妬み
- 怒り
- 軽蔑
- 恨み…などなど
上記の悪い情念は、誰においても「心から望んで湧き起こっている感情」ではありませんよね。どちらかというと、私たちが望まずに、勝手に湧き上がるもので、その度に、抑制しなければならないものです。
「徳を積む」ことで、悪い情念が湧き起こることはありません。
悪い情念は、幸せな人生を破壊するし、何よりも、その感情を抑制するのに、エネルギーと時間を要します。
これらのこれらの悪い情念を消し去ることができるならば、時間とエネルギーを節約でき、より自分が幸せになる方向に、スムーズに進めるのです。
「徳」が築き上げた成功を維持させる

「成功」を維持できている人は、必ず「徳を積む」ことをしています。
米大リーグ、エンゼルスの大谷翔平選手は、ゴミ拾いを心がけていることで有名ですよね。
参考記事:大谷翔平、活躍の原点は母校にあり。菊池雄星も育った花巻東高等学校の“目標設定チャート”とは『THE 名門校』
「投手として、速い球を投げること」、「バッターとして、ホームランをたくさん打つこと」と「ゴミ拾い」の間になんら直接的な関係はありません。
しかしながら、彼は、「ゴミ拾いは運を拾う」と考え、「徳を積む」ことをしています。それはなぜでしょうか?
誰しも成功できるが、成功を維持できない

人は、自分の才能に気付き、それを発揮できれば、人生に一度は「成功体験」を味わうものです。しかしながら、その成功における「維持」が、多くの人にとって困難なのです。
人は、一度、成功すると傲(おご)ります。傲ってしまうと、「自分の中の悪い情念」を意識的に肯定してしまうのですね。

上記のAさんは、少し大袈裟な例ですが…
人は、自分の心に湧いた「悪い情念を肯定する」と、次に「選択ミス」を犯します。
悪い情念に、心を奪われ理性が効かず、誤った選択をしてしまうのです。
「人生は、選択の連続」ですので、小さな選択ミスが重なると、次第に大きなミスに繋がり、最終的には、その人生は転落してしまうのです。
徳を積む人は、「心穏やかな人」という印象を与える

人は、必ず「悪い情念」が湧きます。
どんなに心のキレイな人でも、例外はありません。しかしながら、心がきれいな人は、「悪い情念」を抑える力が優れているために、心がキレイに見えているのです。
心のキレイな人も、心の汚い人でも、「悪い情念」が湧くのは一緒です。
それは、性悪説のように「人はもともと悪である」と言いたいのではなく、悪い情念は、人本来の魂から湧き出るものではなく、天界が、意図的に、修行のために、情念を湧かせているためです。
あなたの中に、湧き上がる情念に対し、天界は、「あなたなら、この情念に、どう対処しますか?」という問いを、常に投げかけているのです。

さて、勝手に湧き出る悪い情念は、絶対に肯定してはいけません。例えば、「嫉妬心」が湧いたら、「私は、なんで、そんなこと思っちゃうんだろう」くらいに留めて、「足を引っ張ってやろう」という嫉妬心を肯定してはいけません。
ただ、いちいち湧き起こる悪い情念に対処するのは、ちょっと大変ですよね…天界による修行と言えども…
ここで「徳」が重要となるのです。
「徳を積む」と悪い情念が湧かなくなるので、心のストレスが減ります。
いちいち湧き上がる情念に対処しなくてよいのですから。そうすると、自然とメンタルが安定するのです。よって、「徳を積む」人は、心穏やかな人という印象を持たれやすいのですね。
「徳を積むこと」を意識してはいけない

「徳を積む」ことを肯定しながらも、「徳を積む」を意識してはいけません。
「どういうこと?」と思うかもしれませんが、ここが一番大事です。
「徳を積む」ことを意識するのではなく、「自然と善行を重ねることができる自分をつくる」ことが大事です。
意図的に、「徳を積む」ことをしたら、波動が下がります。そのため、スピリチュアル的に幸せになりたいから、「徳を積む」みたいなことは邪念でしかないのです。
重要なのは、自然と良いことをしてしまう自分をつくること。
Q.あなたは、どういうときに、自然と良いことをしてしまいますか?
私の場合は、友達と一緒にいるときに、その人が退屈しないように、頑張って心配りをします。こんな些細なことでも、その自分の行為を肯定してあげることが重要です。
「自然と良いことをしてしまう自分」を肯定したら、次に、
Q.自然と良いことができないときはいつですか?
この質問を自分に問いてみましょう。
「自然と良いことをしてしまう自分」と「自然と良いことができない自分」の間にある垣根を壊していくと、意識しなくても、「徳を積む」自分が出来上がります。
「徳を積む」とは具体的に何をすれば良いのか?
「徳を積む」とは具体的に何をすれば良いのでしょう…??
「ゴミ拾い」、「捨て犬を保護する」…いっぱいありますよね。ここで、「何でもOKです」という、スピリチュアル・カウンセラーには、気を付けてください。
何でも良くないのです。
細かく言うと、「徳を積む ≠ 善行を重ねる」です。
実は、善行の中でも、「徳が積まれる善行」と「徳が積まれない善行」があります。これは、人それぞれの「潜在的な才能」と関わるのです。
大谷選手は、「ゴミ拾い」で徳を積みます。ですが、仮に、ダルビッシュ選手が「ゴミ拾い」したら、徳が積まれるのでしょうか??
ダルビッシュ選手は、「ゴミ拾い」では、「徳が積まれない」のですよ。大谷選手だからこそ、「ゴミ拾い」なのですよ。
人それぞれ「徳が積まれる善行」が違うのです。
では、あなたにとって、「徳が積まれる善行」は何かというと、ここでは、お答え出来ないので、ミエナの個人セッションでお尋ねください。
有名人が、良いことをして、「偽善」だと思ったことありませんか?では、なぜ、大谷選手は、「ゴミ拾い」で偽善だと思われないのか…それは、大谷選手にとって、「ゴミ拾い」が「徳が積まれる善行」であるからです。
そして、それを理解し、行動に移すことで、彼は大成功するわけです。

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