こんにちは、ミエナです。
今回は「因果応報」について書いていきます。
因果応報の意味
【因果応報】 人の行いの善悪に応じてその報いも善悪にわかれるということ。 仏教のことばで、「因果」は、因縁(原因)と果報(報い)。 ある原因のもとに生じた結果・報いの意。
因果応報 – goo辞書
因果応報を分かりやすく言うと、良いことをしたら、良いことがあり、悪いことをしたら、悪いことが起こるということです。
良くあるパターンは、前世での犯罪により今世でも苦しむことです。
私に起こった因果応報の黒歴史
私は、あからさまに「因果応報」と思われる黒歴史が2つあります。本当にあった話です。だいぶ前ですが…
1万円札を拾った2日後に1万円札をなくす
ちょうど10年前(当時:28歳)です。私は記憶喪失になり、会社をクビになりそうになりながら、働いてました。(この出来事の2ヶ月後くらいにクビ)
いつものように、家を出て、会社に出勤しようとしたところ、住んでいるマンションの入り口のポストの下に、一万円札が落ちていたのです。
「えっ!一万円札が落ちてる…。警察に届けても、持ち主が現れるわけでもないしなぁ…」
当時の私は、別にお金に困っていたわけでもなく、ただ、落ちている一万円札を警察に届けることが無意味に思えたので、もらっちゃいました。(良い子は、警察に届けてください。)
その2日後、そのお金を使ってしまって、財布が空だったので、銀行のATMに行きました。ATMで1万円を引き出し、銀行を出ようとしたのですが…
気付くと「一万円札がない…」。呆然とする当時の私。
なんと、私はATMのお金の払い出し口からお金を取り忘れたのです。そして、口座を見ると-10,000円の記載が…。
一万円札を失ったことを独りで嘆いていると、そのとき、天から声がしました。「これぞ、因果応報」。
もしかすると、これが初めて聞いた天の声かも知れません…
恐喝されて反撃したら、全く別の場所で報復された話(29歳のとき)
1万円札の件の一年半後のことです。(8年以上前)
私は記憶喪失により、会社をクビになり、アルバイト生活を続けた後、飲食店に正社員で勤めました。
銀座に200席くらいあるレストランで、私は真面目に働いてました。(給料は半分くらいになってた…)
当時は、池袋に住んでたのですが、朝、出勤し、駅で切符を買ってると…
「兄ちゃん、金貸してくれよ」と身なりの汚い人が、恐喝してきたのです。
当時の私は、29歳と言えども、実は記憶喪失により、頭の中身は高校一年生でした。(高校一年生のときにも記憶喪失になっており、当時との記憶と入れ替わってしまった…)
見た目は29歳、中身は高1なのです。
そのため、恐喝された瞬間にカウンターパンチを相手に食らわせてしまったのです。(これは過剰防衛ですので、マネしてはいけません。)
恐喝した男性は、逆上し、カウンターパンチをした当時の私は、「やばい…。殴っちゃった。」と反射的に行動したことを後悔しつつも、警察沙汰になるとマズイので、走って逃げたのでした。
恐喝した男性は、私の腕を掴み、駅員を呼ぼうとしてました…。私は「恐喝したのは、オマエだろ!」と思いつつも、加害者不利というのは知ってたので、振り切って逃げました。
無事に逃げ切って、飲食店の仕事をしたときです。
その日、同僚のスタッフが、1時間も寝坊で遅刻したのです。
同僚の遅刻に、料理長が激怒して、同僚を殴ってました。(今だと大問題ですね。)
それを見て「こいつ、怒られててバカだなぁ」と思っていたら、「オマエのその顔は、何なんだ。」と料理長がなぜか私に激情し、私を殴ったのです。
私は、遅刻もしてないし、怒られることもしてない。(周りの女性スタッフも笑いながら、私に同情してくれた…)
このとき、因果応報を感じました。私は、恐喝した人を殴った。だから、何もしてないけど、料理長に殴られた…
私は、「料理長に殴られて、ムカついた」という感覚より、逆に殴られて「心がスッキリした」記憶があります。殴られる前の自分は、人を殴ったことにより、心がボロボロに荒(すさ)んでたのです。
最後に
この結末を書くにあたり、自分のしたことへのご批判もあるかと思いますが、それよりも、「因果応報って本当にあるよ」をお伝えしたく、ブログに書きました。
また、一万円札を拾ったのも、なくしたのも38年間生きて、このときだけです。
繰り返しとなりますが、因果応報とは、良いことをしたら、良いことがあり、悪いことをしたら、悪いことが起こるという意味です。
この「因果応報」が神様の下に起こったことだとするならば、私はもう自分にウソはつけません。すべては、天から見られて、その報復が必ずあるのだから。
コメントをもらえると嬉しいです(´∇`)