被災地に千羽鶴はいらないのか?【神様の答え】

こんにちは、ミエナです。

今回は、「被災地に千羽鶴はいらないのか?」について書いていきます。

被災地に千羽鶴はいらないのか?

「ウクライナに千羽鶴を送る活動」が、現在、日本の福祉施設などによって行われています。一方で、一部の論者からは、この活動が「本当に、戦地に千羽鶴は必要なのか?」、「迷惑になるから止めた方が良いのでは?」と意見も出ています。

参考記事:ウクライナへの“千羽鶴”に賛否 寄贈断念も…「無意味」批判の声には疑問

この問題をこの記事ではスピリチュアル的に紐解いていきたいと思います。

ちなみに、

Q.みなさんは、被災地に千羽鶴を送ることについて、どう思いますか?

コメント欄にメッセージを頂けると嬉しいです。

千羽鶴 不要論について

東日本大震災のときに、ある被災者の方のインタビューにて、「支援物資の中で千羽鶴が一番いらない」と発言がありました。

参考記事:「千羽鶴はいらない」ウーマン村本大輔が現地で聞いた被災者の声

被災地において、千羽鶴が不要であるという理由は下記です。

  • 捨てられない
  • 飾る場所がない
  • 仕事が増える
  • 支援物資をトラックの積み荷から下ろすのが大変なので、支援物資は必要最低限にしてほしい

千羽鶴は、生活必需品ではないので、そもそもの生活物資がない状況では、ありがたくないようです。

千羽鶴の起源

ここで、千羽鶴の賛否を考える前に、そもそも「なぜ、千羽鶴が日本において平和の象徴となったか」を調べてみました。

もともとは、「 鳴き声が共鳴して遠方まで届くこと」や「夫婦仲が大変良く一生を連れ添うこと」、「他の鳥と比べて長生きする」ことから、古くから下記のように伝えられています。

  • おめでたい鳥
  • 天上界に通じる存在
  • 天と地をつなぐもの
  • 夫婦円満の象徴
  • 鶴が舞い降りると、よいことが起きる前ぶれ
  • 長寿の象徴

「こんな縁起の良い鶴を、折り紙でたくさん折れば、きっと良いことが起こる」…このように信じられたのでしょう。

そして、千羽鶴は、第二次世界大戦後、日本で「平和の象徴」となっていきます。

折り鶴や千羽鶴が平和の象徴となったのは、原爆の子の像のモデルになった原爆被爆者の少女、佐々木禎子が千羽鶴を折ったことによる。1955年2月に亜急性リンパ性白血病と診断され、広島赤十字病院に入院していた佐々木禎子は、1955年5月に岐阜県または愛知県の人からもらった慰問の手紙に、5cmほどのセロハンの折り鶴がはさんであるのを見て、折り鶴を千羽折れば病気が治ると信じて鶴を折り始めたようである。

千羽鶴 – Wikipedia

ちなみに、なぜ「千羽鶴」は「千」なのかというと、これも日本の戦時中に「千人針というお守りが流行したことによる」という説があります。

出征兵士の無事を祈るために、千人の女性が一針ずつ、赤い糸で布きれに縫いだまを作って贈ったのですね。この「千」が、戦後の「千羽鶴」の派生したと思われます。

千羽鶴に対しての神様の答え

ここで、「被災地に千羽鶴はいらないのか?」について神様にチャネリングしてみました。

▼神様の言葉

千羽鶴とは、「想い」を伝える手段です。

日本でウクライナの平和を祈っても、戦地にいる人には伝わりにくいのです。

その点、千羽鶴は、贈り主から直接、「希望(精神的エネルギー)」を被災者に届けることができます。

戦地において「希望」は重要です。人は、「希望」を失った者から、死んでいくからです。反対に、「希望」を持ち続けた者だけが生き残るのです。

「希望」は、千羽鶴を受け取った瞬間に、被災者の中に満ちあふれます。

反対に言うならば、相手が千羽鶴を受け取った瞬間に、千羽鶴は、(その人においては)効力を失うのです。

つまり、千羽鶴は、一度、見れば良いのです。だから、本来は、千羽鶴は捨てて良い物です。しかし、多くの人は、「千羽鶴を捨てれば、不幸になる」、「頂き物を捨てることは不道徳である」と思い込み、捨てられないのです。これが、この問題の根源です。

被災地において「希望」が、必要なのは、子どもたちです。

大人は、知恵を絞り、苦しい状況でも、「希望」を見出そうとします。一方、子どもたちは、状況判断能力が途上であるために、容易には「希望」を見出せないのです。

ならば、千羽鶴は、大人しかいない戦地よりも、子どもの多い避難先に送るべきなのです。

まとめ

「被災地に千羽鶴はいらないのか?」という議論についてまとめます。

結果…

千羽鶴は、不要ではありません。それは、「希望」を与えるためです。「希望」は、被災者には必要であり、特に子どもにとっては、心のケアに繋がります。

一方、千羽鶴による「希望(精神的エネルギー)」は、一回、千羽鶴を見れば、もらえるわけで、ずっと飾る必要もないし、ぞんざいに扱ってはいけないものではありません。

このあたりの認知が進むと、「千羽鶴はいらないという論争」も終着点が見えるような気がします。

ミエナ
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