バチが当たる スピリチュアル: 当たる人と当たらない人の違いとは

こんにちは、ミエナです。

今回は、「バチが当たる人と当たらない人の違い」について、スピリチュアルな見解を書いていきます。

ミエナ
この記事は、なぜ悪い行為をしている人が罰を受けないのかについて疑問を持っている人に向けて書いています。幸せや不幸、波動の概念、天界の神様や守護霊といったスピリチュアルな視点から考察していきます。

バチが当たる人と当たらない人の違い

Q.みなさん、「あの人は、あんなに悪いことをしているのに、なんでバチが当たらないのだろう…?」と考えたことはありませんか?

長き人生を歩んでいると、誰かの不正を目にしたり、悪いことをしても裁かれない人を見ることは、一度はあるかと思います。

このようなとき、人は「神様は、ちゃんと見ていないのか?」、「神様は、不平等なのか?」なんて、思ってしまったりするものです。

この記事では、「バチが当たる人と当たらない人の違い」から、「天罰」についての真実に迫りたいと思います。

「バチが当たる人」は、幸せである

「バチが当たる人」は、幸せです。

Aさん
いやいや…バチが当たる人は不幸でしょっ

Aさんのように、思う方もいるかも知れませんが、「バチが当たる人は幸せ」なんです。

それは、バチが当たると…下記のようなことが起こるからです。

  • 気づきを得る
  • 波動が上がる
  • 運命が好転する

つまり、不正を犯し、逮捕され、実刑判決を受けた人は、「逮捕されない人」よりも、運気が上がるのです。

もちろん、バチが当たるということは、実生活においては厳しい目に遭います 。しかし、一方で、心の中の状態は、バチが当たった方が、より浄化するのです。

バチが当たらない人は、より不幸である

バチが当たる人が、幸せであるなら、反対に、「バチが当たらない人は、より不幸」と言えます。それは、不正や犯罪行為において、波動を下げながらも、バチが当たらないことで、波動を上げる機会を得ないからです。

このような状態で…

波動が低い人が幸福感を得るには、「性欲」、「残酷」、「陶酔」、「食欲」、「睡眠欲」などの人間の基本的欲求に頼る他ありません。

※上記の欲求は、ニーチェの思想の基づく

罪を犯しても、逮捕されない人達は、これらの欲望に、心を染めて、さらに波動を下げていくのです。

「バチが当たらない人」が存在する理由

この世には、「バチが当たらない人」が存在します。

これらの人は、罰から逃れた幸せな人ではなく、波動を上げるチャンスを逃した、とてもつもなく不幸な人たちです。

人は、波動を下げるほどに、トラブルを起こしやすくなり、そして、死のリスクも多くなります。それは、波動の低い人ほど、天界の神様、守護霊様が救いにくいからです。

そのため、「天罰から逃れた人たち」は、常に何かに怯えながら、暗い未来しか見えない中で生きていくしかないのです。

自首することで、自ら罰を求める人たち

人間は、不正行為により波動を下げると、全く幸福感を得られません。

日常の小さな幸せすら得られないのです。そうなると、不正行為をした人は、まともな人は「天罰が下った方が楽だ」と思い始めるのですよね…よって、多くの犯罪者は、罪を犯すと、自首して「天罰」を自ら求めます。

悪魔と契約すると、バチは当たらない…

バチが当たらない人というのは、心が浄化できなくとも、「幸せ」を感じられるタイプです。ちょっと、普通の感覚ではない人…

▼バチが当たらない人の条件 ※複数、当てはまる必要があります

  1. 波動を下げることに、抵抗がない(全く良心がない)
  2. 自分のやっていることが「悪いこと」だと認識していない
  3. 波動の低下によって、生活難にならないだけの金銭を持つ(不労所得がある)
  4. 不可侵な権力を持つ
  5. 悪魔と契約している

以上です。上記に当てはまるほど、「バチが当たらない人」となります。

ミエナ
「バチが当たらない人」は、上記の項目の中でも③と⑤は必須ですね。

「バチが当たらない人」というのは、天界から見放されている人です。

そして、波動が低くても生きていける人です。波動が低くても生きていくには、お金が絶対に必要であり、お金持ちである可能性が高いです。

お金持ちではなく、権力もない人で「バチが当たらない人」が存在するならば、バチが当たるのは「時間の問題」です。

もしくは、本当は、すごくいい人であり、ご自身が、その人を誤解しているケースと言えます。

天罰とは、修行であり、心の掃除である

天罰と聞くと、どうしても、「罰せられた人は悪」であると思われがちですが、波動の高い人ほど、「天罰」を受けます。それは、 「天罰 = 修行」だからです。

天界から期待される人ほど、多くの修行メニューが課せられるのです。

参考記事:なぜ霊格が高い人が苦労するのか?【誰も知らない3つの理由】

だから…

不幸なことがあって、「これって、天罰かも…」と思っても、それは、「神様から、期待されている証拠」です。

天罰のない人生ほど、ただ時間の過ぎていく虚しい人生です。

もちろん、悪いことはしてはいけませんが、「天罰」は悪いことをしなくても、自分の心に不浄な心理があれば起こりうるのです。

本当の地獄について

自分の身に降り注いだ不幸が「天罰」であれば、ラッキーです。

天罰であれば、最終的に、自分の波動が上昇し、自分の人生は、良い方向に向かうからです。

しかしながら…

「自分の身に降り注いだ不幸」が単なる不幸だった場合、それを乗り越える苦労は、自分の肥やしにならず、徒労に終わります。

2種類の「不幸」について

この世には、2種類の不幸があります。

  • 天罰による不幸 → 波動が上がる / 運気が上がる
  • 天罰とは関係ない不幸 → 波動も運気も変わらない…

上記の2つです。

「天罰とは関係ない不幸」は、本当に苦しい不幸です。それは、出口が見えず、ハッピーエンドもない不幸だからです。

「天罰とは関係ない不幸」は、波動が下がると起こります。人は、波動が下がると、運命は不安定となり、アクシデントが絶えなくなる…こうなると、天界の守護霊様もお手上げとなるのです。

ですので、本当の地獄は、「天罰を受けたとき」ではなく、「天罰でないのに、ひどい目に遭った」ときとなります。

ミエナ
ミエナ
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