こんにちは、ミエナです。
今回は、「神様からの宿題」というテーマで記事を書いていきます。
神様からの宿題
個人セッションをしていると、すごく思うことがあって、必ず、みなさん一人ひとり、神様から宿題をもらって、この世に、生を受けているのですよね。
このようなお話をすると、すごく宗教的、あるいは空想的に感じるかも知れませんが、私からすると、極めて現実の話なのですよ。(チャネリングから見える世界では)
そこで今回は、このみなさん、一人ひとりが受け取っている「神様から宿題」について詳しく書いていきます。
神様からの宿題は、一人ひとり異なる
神様からの宿題は、一人ひとり異なります。誰一人、同じ宿題である人はいないでしょう。それぞれ、解くべき問題がまるで異なるのです。
神様からの宿題とは「あなただけの気づき」の探求
神様からの宿題とは、「100人の命を救え」みたいな行動(アクション)ではなく、たった1つの気づきを得ることでクリア可能です。
そう考えると簡単にクリアできそうに思えますよね。
では、どんなものが「神様からの宿題」なのでしょうか。下記に例を挙げてみました。
▼「神様からの宿題」の例 ※一人に対し、求められる気づきは1つだけです
- 他人を愛すことの重要性に対し、気づきを得ること
- 自分を愛すことの重要性に対し、気づきを得ること
- 「避けられない不幸な境遇など存在しない」ことに気づくこと
- 自分を犠牲にし、人を育てる重要性に気づくこと
- 「人と価値観が異なっても、人と協力し合える」ことに気づくこと
- 人も妖精も、同じことに幸せを感じることに気づくこと
以上は、例です。これらは、過去世での経験、魂の課題・使命により異なります。今世で得るべき気づきは、他の人とっては当たり前のことでも、自分にとっては、大いなる価値を持ったりします。それは、人それぞれ魂が求める光が異なるからです。
神様からの宿題の厄介な部分
このように、誰しも、「神様からの宿題」により、自分に必要な気づきを求められています。しかしながら、「神様からの宿題」とは、自分が何に対し、気付くべきなのかが明かされていません。
目に見えて、はっきり明示されれば、何も私たちは、この宿題(カルマ)に悩まされることもないのです。
苦悩は、宿題を解くヒント
神様は、気づきを得る過程で、人々に苦しむことを求めていません。
出来れば、苦しまずに、それぞれの人が、それぞれの気づきを得て、宿題を解いて欲しいと思っているはずです。
しかしながら…
もし、あなたが今、心が苦しいのであれば、それは、宿題を解くヒントであると言えます。というのは、苦しみは、宿題の解き方が間違っていることから生まれるからです。
この世は、苦しまずに生きることができます。
それには、苦しんだら、自分の心に中に、間違った考えがあることに、いち早く気付くことが重要です。宿題は、正解に近づくほど、苦しみが減る特性があるので、苦しまない方向に、苦しまない方向に、ゆっくり試行錯誤を繰り返し、生きることが大切です。(焦らず、自分の心と向き合うことが重要です。)
カルマという名のパズル
この記事では、カルマを「神様からの宿題」と言い換えて、書いてきました。「神様からの宿題」というと、判りやすいかなと思ってます。
さて、この記事で一番、伝えたいのは、
神様は、人生を通じ、人に苦しみを強要しているのではなく、あくまでも、苦しみは、人生の1つの幸せに向かうためのヒントであるということです。
ですので、パズルに必ず正解があるように、
苦しみはいつか消えます。
自分にとって大事なのは、他の人にとっては何の価値もないかも知れない「あなただけの気づき」。これによって、あなたは幸せになる…(かも)
いつもブログ楽しみにしています。
今回初めてコメントさせていただきます。
ちょっと分かりにくい質問になってしまったらすみません。
ミエナさんのブログでは個々の人生の宿題をカルマと表現されていたので、それぞれが人生で挑戦すべき課題があるんだなと理解できました。
それとは別でカルマという言葉だけで言うと、「過去(世)での行為は、良い行為にせよ、悪い行為にせよ、いずれ必ず自分に返ってくる。」という因果応報の法則のことを差したりもします。
友人がみてもらった占いで、先祖の行いが悪かった為に生じたカルマがあるからそれを解消するためにしなければならないことがある、と言われていました。が、別の友人はカルマは無いけど使命がある、と言われていました。
この点でのカルマから生じるやらなければいけないことは、使命とは違うそうです。
少し論点がズレるかもしれないのですが、こういう意味でのカルマとしてみると、カルマがある人ない人という違いは出てくるのでしょうか?
また、使命もある人ない人という違いもあるのでしょうか?
COKAさん
コメントありがとうございます。
頂いたご質問に関して、私がやや曖昧にしていた部分があり、分かりにくくてすみません。
・使命は、そもそも誰しも持ってるのではないのですよ。厳密に。使命は、カルマを克服し、才能を発揮した人が、この社会に対して還元することを指します。
・一方、カルマは、心の中の病とも言え、過去世から続く、改善点を指します。基本的に、最初からカルマのない人はいません。誰しもカルマを抱えて生まれてきます。ですので、お友達はきっとカルマを既に克服したのだと思います。
> カルマがある人ない人という違いは出てくるのでしょうか?
カルマは、誰しもあります。カルマのない人は、すでに克服した人です。
> 使命もある人ない人という違いもあるのでしょうか?
使命は、今世でカルマを達成し、才能を発揮した人に与えられます。順番としては、①カルマ克服、②才能発揮、③使命をもらう、④使命達成の順となります。ですので、誰しも使命を持つのですが、③に達していない場合、「使命はない」とも言い換えられるのです。
上記、お判りになられましたでしょうか?
何卒よろしくお願いします。
ミエナ
こんばんは。
ミエナさんのブログを読んでいると励まされる事が多いのですが、今回は特にそれを感じました。
スピリチュアルを知ってから、生きる不安が大分減ったんですが、ミエナさんのブログはそれをさらに後押ししてくれていると思います。
これからもいい記事を書いて下さい。
ハサウェイさん
コメントありがとうございます。
今後とも、当ブログをよろしくお願いします。
ミエナ
ミエナさんこんにちは。
神様からの宿題の記事を興味深く拝見させていただきました。
私も色々な問題は修行であり、学びなのだろうと思いながら生きています。
自分のした事や想いを振り返り、多角的な視点から物事をみるようにして、いつも考えています。
何年かかけてある問題をクリアすると、また違う問題がやってくる(子どものことや自分のこと)気がするのですが…宿題は一つだけなのですね。。
ぱあやんさん
コメントありがとうございます。
> 宿題は一つだけなのですね。。
そうなんです。あらゆる問題の原因を辿ると必ず1つのことに収束します。
不思議ですよね。
ミエナ
ミエナさんこんにちは。
神様の宿題って良い言葉ですね。厳しさの中にも優しさを感じます。私の宿題はこれかなというのがあります。まあ当たってるかどうかは分かりませんが。でも昔より生きる事が楽になって来ました。そして自分と出会う人と学び合える事が楽しみです。
りかさん
コメントありがとうございます。
これからも頑張りますので、当ブログを今後ともよろしくお願いします。
ミエナ