こんにちは、ミエナです。
今回は、「見えないけど、大切なもの」をテーマに、愛・信用・命の重さについて書いていきます。
愛・信用・命の重さ
「愛」とか「信用」とか「命」とか…その重さが測れたら、いいですよね。
例えば、お手持ちのお財布を見てください。そこに入っているお金は、計測可能ですよね。いくら、お財布に入っているか、すぐに判ります。
そして、例えば、板チョコが 1枚が200円なら、「板チョコ 1枚 = 200円」の式が成り立ちます。
では、「信用」は、いくらなのでしょうか?※例えば、「親友の自分に対する信頼」は、いくらなのでしょうか?
さらに、「命」は…?「愛」は…?
数値化できないのが、愛・信用・命です。
でも、「数値化できない」、「手に触れることができない」からと言って、人によって「命の重さ」が異なったり「愛の重さ」、「信用の重さ」が異なったりして良いのでしょうか?
私は、この「見えないけど、大切なもの」の重さに対し、人々の考えや意見がバラバラだからこそ、この世界で、いざこざが起きると思うのです…
ならば、「命の重さ」、「信用の重さ」、「愛の重さ」の考え方について、改めて1つのベースとなる基準のようなものがあっても良いと考えました。
以下で、私の考えを書いていきます。
①「愛の重さ」の測り方
「愛の重さ」の測り方は、岡田斗司夫さんのYoutube動画「岡田斗司夫ゼミ 3月8日号『マンガでわかる「アイデアの作り方」』」にヒントがありました。
1958(昭和33)年大阪生れ。文明批評家。大阪芸術大学客員教授。1985年、アニメ・ゲームの制作会社ガイナックス設立、1992(平成4)年退社。1997年、講演・執筆活動のために株式会社オタキング設立。『オタクはすでに死んでいる』『いつまでもデブと思うなよ』『「世界征服」は可能か?』『フロン――結婚生活・19の絶対法則』など著書多数。
岡田斗司夫 プロフィール
「愛の重さ」は、失ったときに分かるのですよね。
例えば、「お父さんへの愛」は、お父さんが亡くなったときに判るのです。
Aさんのように、考える人もいるかもしれません。
その場合、「お父さんの愛なんかいらない!!」と叫んでみると、「お父さんへの愛の重さ」が判るのです。
叫んだ瞬間に、心の中にわだかまりができることに気付くでしょう。それが、あなたのお父さんへの愛となります。
そのため、「○○さんの愛なんかいらない」のように、「○○」の部分に、誰かの名前を入れて叫ぶと、自分がどれほど「○○さん」を愛しているかが判るのです。
「他の人が、自分のことをどれほど愛しているか」は、この方法では判りませんが、自分の中にある愛は、簡単に測ることが出来ます。
②「信用の重さ」の測り方
「信用の重さ」は、どうやって測るのでしょうか?(これは、持論です)
これは、お金と比較して考えると、「信用の重さ」が見えてきます。
Q.あなたにとって、「親友との信頼関係」と「100万円」のどっちが大事ですか?
例えば、「親友Bさんのことを裏切ったら、100万円あげる」と、他の人から言われたら、あなたは、この選択を何を基準に考えますか?
以下は、私の考えです。
「信用」と「お金」を天秤にかける場合、重要なのは、それぞれの法則性だと思います。
お金の場合は、使えば減ります。
けれど…
信用は、減りません。
このことを考慮した上で、「自分の寿命があと何日か」を計算してみましょう…
日本人の平均寿命は男性が81.64歳、女性が87.74歳です。
上記の平均寿命を基準にして計算すると、私の場合、約15,000日で死にます。(あなたは、あと何日、生きられますか?)
このことを元に考えていくと、親友を裏切ってもらえる100万円って、私の場合、一日あたり約67円なんですよ。
「親友Bさんのことを裏切ったら、100万円あげる」と人から言われた場合、それを言い換えると、「自分が死ぬ日まで、毎日67円もらえる権利」となります。
それと、「失わなければ、一生続く親友との信頼関係」を天秤にかけるわけです。
そう考えると、どんなにお金に困っている人でも、「親友との信頼関係」を取りますよね。でも、この計算が出来ない人は、人間を裏切る…可能性がある…かも…ちょっと怖い話でした。
「命の重さ」の測り方
「命の重さ」の測り方は、どうなんでしょうか?学校で、「命の重さ」を勉強しますよね。
ここで、金八先生の名言をご紹介します。
他人の命を思いやれないヤツは、自分そのものも大事にできない。そのことを子供に教えるだけでも、教師になる価値がある。
心に染みる名言
命だけは大切にしてくれ。
心に染みる名言
自分の命、家族の命、友達の命、そしてまわりにある命。
この中でなくなってもいい命なんて1つもねぇから。
私たちは死ぬために生きているんじゃない。
心に染みる名言
私たちがこの世に生まれてきたのは、生きるためです。
私たちが生まれてきたのは、
生きているだけで十分に値打ちがあるものとして、生まれてきたんです。
いい言葉ですね。でも、まだ「命の重さ」の真理に到達していない気がする…(生意気言ってすみません。)
ここで、私の考えを述べます。
「中学2年生のS君が、3月1日に、いじめをきっかけに自殺で亡くなった」という例を用います。
ここで、S君が「この世に存在しない日」は、何日あるのでしょうか?考えてみてください。
それは、日数でいうならば、約25,000日あるのですよ。(日本の平均寿命から算出)。
S君をいじめ、自殺に追い込んだら、目の前のS君が、この世を去るのではなく、S君の25,000日分の未来を奪うことになります。
そして、さらに…
- S君のご両親が40歳だったら、ご両親の寿命までの日数 15,000日間、「S君の死による悲しみ」をご両親に与えます。
- S君の妹が12歳だったら、寿命までの26,000日の間、妹に「悲しみ」を与えます。
- S君の親友には、寿命までの25,000日の間、「悲しみ」を与えます。
つまり、死というのは、「自分たちの目の前から、大切な存在が消えること」ではなく、S君から「生きるはずだった時間」を奪い、S君を慕う人達から、各人の寿命までの日数の間、その「悲しみ」を与える…
これは、「命が奪われるのは一瞬」である一方、奪われるものは「途方もない時間」であること指しています。
私は、もし学校で、いじめが起きたら、「命とは尊い」という抽象的な話ではなく、「ご本人のどれだけの時間を奪い」、「どれくらいの時間、S君を慕う人達に、悲しみを与えるのか」を、生徒に考えさせると思います。
だって、死んでしまったら…
- 明日のS君はいない
- 明後日のS君もいない
- しあさってのS君もいない
- 4日後のS君もいない
- 5日後のS君もいない
- 6日後…7日後…8日後……………24,998日後..24,999日後…そして、25,000日後も、S君はいないのです。
この「命の重さ」、判りますか?
この考えは、私のオリジナルの学校教育用の考え方です。天界の考える「命の重さ」とは、やや解釈が異なります。天界では、「命の重さ」を「武士道」に近い思想で捉えています。(参考記事)
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