「波動を高める」と「人間性を高める」の違い

こんにちは、ミエナです。

今回は「波動を高める」と「人間性を高める」の違いについて書いていきます。

「波動を高める」と「人間性を高める」の違い

今回は、きんぎょさんから、ご質問を頂きました。

ミエナさんこんばんは。
以前個人セッションの際、波動の高さは人間性の高さでないというお話をしていただいたのですが、こちらの記事の「波動の高い人、低い人の特徴」を読むと、やはりその違いは人間性の高低のように思えてしまいます。。

ただ、私自身はセッションの際に波動が高いと言っていただけた人間なのですが、自分自身の人間性(精神性?)の低さを思うと、波動の高さは人間性の高さではないというのも納得できます。

しかし人間性でなければ一体何なのか、波動が高いというのは人間にとってどのような状態を指すのか…。「魂の達成度」というお話もお伺いしましたが、抽象的な為かやはり理解が及ばずにいます。波動というものが目に見えない、正体もよくわからない自分からすると、「波動を高める」と「人間性を高める」の違いがいまいちわかりません。

もし可能であれば、波動が高いという状態について、それがどのような状態を指すのか、改めて教えていただけると嬉しいです。

きんぎょさん、ご質問ありがとうございます。回答をさせていただきます。

参考記事:初めての波動【波動入門】

人間性とは何か?

まず、「人間性」の意味について確認していきましょう♪3つほど、挙げますね。

人間としての本性。人間らしさ。

Oxford Languagesの定義

人間の本性。人間らしさ。人間の事実上の特性をさすだけでなく、あるべき理想の姿をも意味する。

人間性とは – コトバンク

「人間性」とは、人間らしさ、人間が持つ本性のことをいいます。その人が生まれたときから持つ本質を指し、思いやりの心や愛情、気遣いの心など内面のことをいいます。

「人間性」とは何を指す?– oggi

上記のように、「人間性」の定義は様々ですね。なのですが、一般に「人間性」は、oggi.jpに書かれている「思いやりの心や愛情、気遣いの心など内面のこと」のように、私は思います。

「波動の高さ = 人間性の高さ」でない理由

波動の高さは、人間性の高さではありません。

ですが、人間性の高い人は、波動の高い人である可能性がありますし、同様に、人間性の低い人は、波動が低い可能性もあったりします。

反対に、人間性の高い人でも、波動の低い人もいるでしょうし、人間性の低い人でも、波動の高い人もいます。

そもそも基準の異なる「波動」と「人間性」

波動とは、魂の振動であり、高いほど高次元に近い存在と言えます。高い方が良いですし、高くすることも重要です。

また…

波動は、天界の定める魂レベルの基準であり、全宇宙で共通した概念です。

ミエナ
「波動は魂レベルです」と書くと、人間の魂に善し悪しがあるように、聞こえてしまうかも知れません。しかしながら、他の言葉が見当たらない…

「波動は魂レベル」と言える一方で、ツラい修行(神様からの宿題)の最中の人は、波動が下がりやすいですし、修行を終えれば、波動がぐっと上昇します。ですので、波動は「魂の段階」を指すとも言えます。

このような「波動」とは異なり、「人間性」とは、人間社会を基準とした価値観であり、「波動」のように、宇宙や天界の基準に基づいたものではないのです。

人間は、複数の人格で成り立つ

「人間性」とは、人間の一側面です。

ご自身の両親、職場の人、友達、そして、我が子からも、「あなたは、人間性が高いですね」と思われる人は稀でしょう。それは、人は、誰と向き合うかで、現れる人格が異なるからです。

どんなに「人間性が高い人」でも、嫌いな人には腹を立てますし、自分が死にかけているとき、「高い人間性」なんて言ってられません。(死にそうなときに、自分の人間性にこだわってたら、死んでしまう…)

「人間性」とは、人の一側面であり、「高い人間性」の人であっても、あらゆるシチュエーション、人間関係において、常に発揮できるものではありません。

しかしながら、「波動が高い人」というのは、私の場合、平均して波動が高い人を指し、あらゆる人格を統合して「波動が高い」と表現しています。

波動の高い人も、怒ったら、そのときばかりは、波動が下がりますし、人生の壁にぶち当たれば、高い波動も維持できなくなる場合もあります。

この「波動が高い」というのは、「いいときの自分」も「悪いときの自分」も、平均して、さらに、「比較的に他の人よりも波動が高い」という意味です。

ですので、人間性と社会基準と異なり、自分と向き合うための基準としてお考えください。

人間性が低くとも、波動の高い人は大勢いる

「人間性」というのは、人の一側面であるとお話しましたが、もう一つ…

「人間性」は、人間社会の価値観に基づく

ことも重要です。ここで、菩提達磨の例を挙げますね。

菩提達磨(ぼだいだるま)の例

Q.みなさんは、菩提達磨をご存じでしょうか?

お正月の縁日などで売られている縁起物のダルマの由来となった禅宗の初祖です。

この方は、「足の腐るまで座禅をして澄ましていた」と一説では言われています。

私の見解では、菩提達磨は、波動が高いです。きっと、このことに関して、疑う人はいないのではないでしょうか。しかしながら、「人間性」という基準で見るとどうでしょうか…??

「足の腐るまで座禅する」くらいなら、一人でも、貧しい人に手を貸す方が、実質的に、人間社会の役に立つでしょうし、例えば、我が子が「菩提達磨のようになりたい」なんて言い出したら、どんな親御さんでも反対します。

菩提達磨は、天命に従っているために波動が高いのであり、私たちの人間社会の基準で考えると、ちょっと違いますよね…

波動とは、人智を超えた基準であり、「人間性」という人間社会の基準では測れないのです。

波動が高いという状態は、何を指すのか?

きんぎょさんのご質問に戻りますね。

– きんぎょさんのメッセージ抜粋
波動が高いという状態について、それがどのような状態を指すのか、改めて教えていただけると嬉しいです。

上記について、解説させていただきます。

ん…波動って別に上げなくてもいいんです…上げなくても、死にはしないし…

と私は、ちょっと思います…怒られるかも知れませんが…

しかしながら…

「夢を叶えたい」、「幸せに一歩でも近づきたい」、「人生をより豊かにしたい」という気持ちが、誰しにもあり、そんな自分に近づきたいなら、この「人間性」という人間社会の基準よりも、「波動」の方が確かな基準となります。

「波動」というのは、高めることで、人生の意味を見出し、生きる希望を得るものです。

ここが、大きく「人間性」と異なる部分です。

天界の法則における基準が「波動」であり、これを高めることで、「天界の価値観における”幸せ”」に一歩近づきます。

多くの人が「人間社会の基準」に疲れている現代だからこそ、新しい生き方を求める人は、「波動」に惹かれるのはないでしょうか。

ミエナ
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