こんにちは、ミエナです。
今回は、「めんどくさい」について書いていきます。
- 1 「めんどくさい」の正体
- 2 「めんどくさい」は過剰な自己愛の表れ
- 3 「めんどくさい」が加速すると起こること
- 4 あなたの「めんどくさい」度をチェック
- 5 過剰な自己愛を消す方法 2選
- 6 ①「やりたいことの反対をやる」ことで、自己愛は適正になる
- 7 ②隠れた本心を見つける
- 8 本心でやりたいことが見えにくい2つの理由
- 9 ①両親の影響で「本心でやりたいこと」は隠されてしまう
- 10 「潜在能力」を無価値と判断する学校
- 11 ③情報量が多いことで「やりたいこと」が明確にならない
- 12 あなたの心の中には、必ず「やりたいこと」が存在します
- 13 ①独創的な感受性で本心を探る
- 14 ②想像力を駆使して本心を探る
- 15 ③「死ぬまでにやりたいこと」を考える
- 16 ④ミエナのイメージワークを行う
「めんどくさい」の正体
やるべきことがあっても、「めんどくさい」と思うことってありますよね。「やらなければいけないこと」があっても、「後でいいや…」と思ってしまう…
「めんどくさい…めんどくさい…」と言っても、害は少ないように思えるのですが、実は、
「めんどくさい」が口癖になると、周りの人から「あの人は、めんどくさい人」として認識されます。
不思議に思うかも知れませんが、これがスピリチュアル的に因果関係があるのです。
「めんどくさい」は過剰な自己愛の表れ
「めんどくさい」という心理は、自分を過剰に愛している証拠なのです。
自分を過剰に愛している人は、ちょっとくらい「自分を愛せない行動」をしても、へっちゃら…
例えば…
- 掃除をしなくても、へっちゃら…
- 新しいことにチャレンジしなくても、へっちゃら…
- 友達がいなくても、へっちゃら…
- 課題をこなさなくても、へっちゃら…
- お風呂に入らなくても、へっちゃら…
つまり、「めんどくさい」の一言で、人生のあらゆることをパスしても「へっちゃら」なんです。
自己愛が過剰だから、どんな自分でも許せちゃう…
「めんどくさい」が加速すると起こること
「めんどくさい」を連発すると、少しずつ人生が闇に向かいます…
▼「めんどくさい」が加速すると起こること
- 孤独感が強くなる
- 劣等感が強くなる
- 向上心がなくなる
- 新しい挑戦をしなくなる
- 生きている意味を見失う
- 友達と疎遠になる
- 新しい人間関係が構築できない
「めんどくさい」が加速すると良いことはありません。
あなたの「めんどくさい」度をチェック
ここで、あなたの「めんどくさい」度をチェックしてみましょう。下記の項目で、あなたは、いくつ当てはまりますか?
- 「めんどくさい」という言葉を他人の前でよく使う
- 部屋の掃除、入浴など、日常のルーティンを「めんどくさい」と思う
- 人と会うのが「めんどくさい」と思う
- 好きな食べ物は、ずっと何年も変わっていない
- 最近、新しいことに挑戦した記憶がない
- どんなに流行っていようと、自分の興味のないことには手を出さない
- 人と話すときに、自分の好きなことばかり喋ってしまう
- 運動は続かない
- 孤独感が強い
- 自分と他人を比べられるのが嫌い
6つ以上当てはまったら、ちょっと要注意かもですね。このような方は、下記の「過剰な自己愛を消す方法」をやってみてください。
過剰な自己愛を消す方法 2選
上記の「めんどくさい度チェック」で、6つ以上当てはまった人は、自己愛が過剰な人かも知れません。
自己愛が過剰な人は、「自分を本気で愛せるのは、自分しかいない」と思ってしまったり、「自分を本当に信じれる人は自分だけ」と考える傾向にあります。
このような方は、他者に必要以上の不信感を抱いたり、自分と他者を比較し、強い劣等感を感じてしまう恐れもあります。
ですので、過剰な自己愛をそのままにせず、自分の意志で消すことをオススメします。
- やりたいことの反対をやる
- 隠れた本心を見つける
①「やりたいことの反対をやる」ことで、自己愛は適正になる
過剰な自己愛を消す方法は簡単です。
自分の好きなことの反対をやれば良いのです。自分の好きなものだけを選択したり、好きな物だけに囲まれて生活していると、容易に自分を愛せます。
そのため、自己愛が過剰な人は、自分の嫌いなことに果敢にチャレンジすることで、心のバランスが取れるのです。
▼例「やりたいことの反対をやる」
- 本屋で、自分が詳しくないジャンルの本を買って読む
- 今まで、着たことのないファッションに挑戦してみる
- 食わず嫌いだった食べ物を食べてみる
- 行きたいと思ったことのないマニアックな観光地にあえて行く
- 新しい趣味を探し、継続して続ける
上記のように、これまでの自分のテリトリー外のことに挑戦しようとすると、自己愛の適正なバランスを保つことができます。
自己愛が適正を保てると、対人関係が上手くいったり、運気も上昇するので良いこと尽くめです。
②隠れた本心を見つける
①で「やりたいことの反対をやる」をオススメしたのは…
多くの人にとってやりたいと思っていること(顕在意識)と、本心でやりたいと思っていること(潜在意識)が異なっているからです。
本心でやりたいと思っていることが見つかっていれば、面倒くさいという気持ちも湧きにくいのです。
隠れた本心を見つけると世界が変わる
本心でやりたいと思っていることが明確になると、自然と努力ができるようになります。そして、努力が周りの人の信頼を集め、生きる世界が一新されていくでしょう。
本心でやりたいことが見えにくい2つの理由
- 両親の影響
- 学校の影響
- 情報が多すぎる社会の影響
以上の2つです。それぞれ詳しく解説していきます。
①両親の影響で「本心でやりたいこと」は隠されてしまう
いきなりですが…
Q.サバンナの野生動物をイメージしてみてください。
イメージできましたか?
例えば、サバンナでライオンが、「オレ、何したいか分からない??」なんて考えますか?絶対に考えないですよね。
でも、仮に調教師がライオンに「おまえ、肉を喰うなよ。これから絶対。でないと、ひどいぞ!」って、調教したら、どうでしょう??
ライオンは、本能では「肉食いたいけど…」と思うけど、「肉は食べてはいけないと言われている…でも、草は食べたくない…」と感じてしまう…
本能的にやりたいことを、自分より強い者に制限されると、「俺、何したいか、分からない…」と感じるようになってしまう。
(ライオンの話は、例え話で恐縮ですが…)
人間も同じです。
幼少期に、自分のやりたいことを「やってはダメ」とご両親や学校の先生に言われると、大人になって、「何がしたいかわからない」心理状態になってしまいます。
それは、固定観念で「やりたいこと = やってはいけないこと」と強く刻まれているためです。このような状態になると、やりたいことが心の奥にあっても、自分では、ずーっと気付けない状況に陥るのです。
「潜在能力」を無価値と判断する学校
学校の通知表(通信簿)を見ると、国語…算数…理科…社会みたいに、評価項目が並びますよね。1〜5の5段階評価で、自分というのもが判断されるわけですが…ん〜これってどうなのでしょう。
人間をはかる「評価基準」というものが、社会において重要視されていますよね。何も、学校の通知表に限らず、TOEICなど、あらゆる試験制度もそうですけど、例外なく社会や組織には、「評価基準」があります。
人間社会・文化では、「評価基準」を設けることで、他人同士を比較しやすく、客観的にスピーディに人間の善し悪しを理解できるようにしているのです。また、「評価基準」を設けることは、すごく大人数のデータも管理しやすいわけです。
では、この社会に蔓延する「評価基準」に、潜在能力は含まれているかというと…(当たり前ですが)絶対に含まれていないですよね。
つまり、この評価基準あふれる社会では、潜在能力は、常に無価値なのですよね。
どんなに絵を描く才能があっても、その才能が眠っていたら学校の美術の評価は「1」ですよね。
才能とは、「やりたいこと」をやり続けたときに発揮される能力
ですから、潜在能力の段階で評価「1」を付けられたら、才能や情熱も閉ざされてしまいます。
「人生」は、主観的にも客観的にも評価できるシロモノではない
Q.「ご自身の人生」に通信簿を付けてみてください。
想定ですが、多くの方において、自分の人生になんらかの評価を下すのは簡単でしょう。
自分の人生について、主観的に評価を下す人もいらっしゃれば、もの凄く客観的に評価を下す人もいるかもしれません。中には、学歴や資格を並べて、人生を評価する方もいるでしょう。
でも、ちょっと冷静に考えてください。
人生が何十年もあって、それを評価できるわけないじゃないですか??
一人、海で泣いた思い出も、大好きな人に告白した記憶も、試合で勝って抱き合った記憶も、「評価」という前には無価値にされてしまいがち…
このような環境の中で、「本心からやりたいことは、社会的に評価されないこと」のように感じてしまうのです。
③情報量が多いことで「やりたいこと」が明確にならない
子どもは「やりたいこと」がすぐに見つかりますよね。それは、子どもは持っている情報量が少ないためです。経験や知識、また自己理解が少ないため「やりたいこと」が明確になりやすいのです。
「やりたいこと」を探すときの脳内で処理するデータ量が大人の比ではありません。一方で、大人が「やりたいこと」を見つけ出すのに使うデータ量は膨大なのです。
▼大人が「やりたいこと」を見つけ出すのに使うデータ例
- 実行するまでの資金
- 時間
- 実行後のリスク
- 家族などの同意
- 自分の体力
- 実行にかかる手間と労力
- 周りの人の目
- 自分の経歴
- 自分の学歴
- 自分の性格との相性
- 自分のスキルや才能
- ライバルの存在…などなど
上記のことを加味して大人は「やりたいこと」を見つけようとします。でも、こんな大量データと合致する「やりたいこと」って、そんな都合の良いことって、なかなか見つかりにくいですよね。
あなたの心の中には、必ず「やりたいこと」が存在します
あなたの心の中には、必ず「やりたいこと」が存在します。
それを今から見つけて行きましょう。
- 独創的な感受性で本心を探る
- 想像力を駆使して本心を探る
- ③「死ぬまでにやりたいこと」を考える
- ミエナのイメージワークをやる
以上の4つです。それぞれ解説していきます。
①独創的な感受性で本心を探る
何かを基準にして、善し悪しを判断するのは、人類の悪い癖です。
例えば、何が良い人生で、何が悪い人生か…それを決めるのは自分だけのはずなのに、客観的な他人の「評価基準」を用いてしまう…
この「評価基準」というのは、便利な反面、恐ろしい武器にもなるのですよね。大事なものも、無価値にする力がある…
「評価基準」を捨てた先にある独創性
昔、レストランで働いてた時期があって、そのレストランに、お客として、テレビ番組の制作ディレクターとADが一緒に、よく食事に来ていました。
その二人の会話が面白くて、今でも憶えています。
私は、「え、味を色で例えるの?」とビックリしたのですが、同じような訓練を大手出版社の某雑誌の編集長も、新人時代にやらされたと言っていて、さらに驚きました。
この方法は、味を色で考えることで、無意識に働く「味の評価基準」を無効化して、独創的な感受性を捉える方法なんですよね。
言い換えると、
味覚を視覚に変えることで、固定観念を外しているわけです。
こうすることで、自分の中の感受性を最大限発揮できるわけです。
Q.あなたの今晩のおかずの「味」は、何色ですか?
味覚で捉える「自分の人生」
自分の人生を「給与」「結婚」「子ども」「両親」「所得」「家」「友人」「ステータス」という評価基準で捉えるのは簡単なのですよね。
評価が良いか、悪いかは別として、評価は下しやすい。
その下しやすい評価を元に、自分の人生を設計していけば、誰だって、「何がやりたいんだろう」ってなっちゃいますよ。
だって、「評価基準」は社会的通念であり、比較しやすいものであるけど、それは、全く「自分」や「自分の潜在能力」を考慮して下されるものでないからです。
ならば、自分の「評価基準」を味で考えみてはどうだろう。自分の人生は「美味しい?」「不味い?」「しょっぱい?」「甘い?」
人生を画一化した「評価基準」で考えるよりも、味覚で考えることで、見えないものが見えてくるはずです。
これができたら、「今からやろうとしていること」を味覚で味わってみましょう。美味しいですか?
舌は、脳より正直です。
「今からやろうとしていること」が美味しいなら、それは、「あなたがやりたいこと」。不味ければ、「やりたくないこと」です。
簡単ですよね。
②想像力を駆使して本心を探る
「やりたいこと」を自分の持ちうる大量データを加味し、「やりたいこと」を見つけようとしてはいけません。
なぜなら、一生かかって見つからない可能性があるからです。
例①:自分は目立ちたくないから、やりたいことをやって成功し、有名になったらどうしよう…
自分の性格を加味にして「やりたいこと」を見つけようとすると、上記のような思考の阻害要因が浮かぶかも知れません。
例②:やりたいことがあるけど、お金がない…
上記は、自分の資産状況が、阻害要因になっています。
こんな風に、自分の持つ「自分データ」こそが、思考の邪魔になるのですね。では、一旦、この「自分データ」を捨ててみましょう。
「やりたいこと」の見つけるために想像力を用いる
仮定法とは、「自分がもし、○○だったら」という考え方です。
▼やりたいことを見つけるための仮定法の使い方例
- もし、お金が無限にあったら…
- もし、全ての才能が手に入ったら…
- もし、両親が「自分のやりたいことに全力で協力する」と言ったら…
上記のように…
仮定法を用いることで、「やりたいこと」を見つける上で、これまで邪魔だった「自分データ」による阻害がなくなります。
つまり、やりたいことを見つける思考回路がスッキリするのです。自分データを全て加味し、自分のやりたいことを見つけようとすると混乱するのですが、仮定法を用いることで、建設的な思考ができるようになります。
イメージする仮の条件は何でも良い
「やりたいこと」を見つける上で使用する想像上の条件は何でも良いです。様々な仮定条件を用い、色々、試してください。
もし、自分が米ハーバード大学卒だったら、何がやりたいかなぁ
学歴にコンプレックスがある方は、上記のような仮定法も有効でしょう。
もし、明日、死ぬならば、何がやりたいかなぁ
こんな風に「死」を連想することでも、自分探しのヒントが得られます。とにかく、コツは、思考停止による「やりたいこと」を探すプロセスにおける現実逃避に陥らないことです。
日本人は仮定法が得意な民族!?
「仮定法は、どこかリアリティがない…」、「そんな方法で、やりたいことを見つけても意味ない」と思う方もいるかも知れませんが、優秀な外資系コンサルだって「仮説思考」を用いますし、ましてや、日本人は、この仮定法で巨額の富を得ている国なのですよね。
そう…まさに日本のアニメは、「仮定法」の集約ですよね。
「もし、○○だったら…」という現実をねじ曲げてアニメは生まれています。そういう意味で、日本人の仮定法は、世界トップクラスではないでしょうか!?
現実をデフォルメすることでアニメは生まれます。デフォルメすることで、リアルと比較し、思考に必要なデータ量が減るのです。データ量が減ることで、より重要な気づきを得ることができる…
日本のアニメが世界で愛されるのは、その世界観がシンプルであり、思考を邪魔する無駄な要素がないからです。だから、アニメが使っているこの仮定法をもっと私たちも日常に用いるべきと考えます。
自分の頭で、仮定法ができると、アニメ、ドラマ、映画などのコンテンツが逆につまらなく感じるでしょう。
なぜなら、自分の人生がまるで映画のように見えてくるからです。つまり、自分が主人公になったかのような世界観を得られます。
こうなれば、もうやりたいことなんて、すぐに見つかりますよね!
③「死ぬまでにやりたいこと」を考える
この方法は、「死」を想像することで、その対極にある「生(せい)」の本質に気付く方法です。自分の生きる意味を見つけたとき、不要な人間関係を精算する勇気が湧くと思います。
こんにちは、ミエナです。今回は、「迷った時のスピリチュアル選択術」について書いていきます。ミエナこの記事は、人生の選択に迷っている人や迷いがある節目に立っている人に向けて書いています。スピリチュアルな観点から、迷[…]
④ミエナのイメージワークを行う
ここまで2つの方法をご紹介しましたが、一番手っ取り早いのはミエナのイメージワークです。
小さい子どもに、「将来、何になりたい?」と尋ねれば、すぐに「ケーキ屋さん!」とか「警察官」など、明確な答えが返ってきます。でも、反対に大人に同じ質問をすると、「えっと…」と戸惑う人も多いでしょう。
上記のAさんのように考える方も多いと思いますが、私は異なると思います。実は、大人も自分と向き合うときは、とても素直なのです。大人は、人前では利害関係も相まって、素直でないときもありますが、自分に対し正直に向き合う方は大勢います。それでも、「やりたいこと」を見いだせないこともあるのです。
瞑想によって、「やりたいこと」を見いだそうとする人もいるでしょう。でも、瞑想でも見えてこないでしょう。それは、瞑想が右脳を使った感覚な要素に依存するためです。感覚値で見つかった「やりたいこと」を長期間に渡って努力することは、普通の感覚では難しいのです。
そのため、ミエナのイメージワークのような本心に直結するワークが効果的です。
ご興味ある方は、下記の記事を読んでみてください。
こんにちは、ミエナです。今回は、「ミエナのイメージワークについて」をテーマに書いていきます。ミエナミエナでは、個人セッションの中で、2022年2月よりイメージワーク(誘導瞑想)を行っています。ミエナのイ[…]
興味深い内容です。驚きました😳
自分が好む物を食べると幸せを感じるので、よく食べていました。将来的には、自分の生活を好きな物だけで囲むことが出来たら、どんなに素敵なんだろうと思っていました。
過剰な自己愛だったんですね
自分の嫌いな事に、果敢にチャレンジする事が必要何ですね
ちょっと 疑問が…❓
自分の嫌いな事にチャレンジするのって、自分を大切にしていない…事にはならないのでしょうか❓
真理愛さん、
コメントありがとうございます。
> 自分の嫌いな事にチャレンジするのって、自分を大切にしていない…事にはならないのでしょうか?
苦手意識や「やったことのないこと」は、トライしてみるだけで、自分の視野を広くする力を持っています。
自分の視野を広くすると、「自分が如何に多くの人間に支えられているか」に気付くことができるのです。
そうすると、より正常な自己の愛し方に気付きます。
ミエナ
1歳違いの姉は小さい時から、家族や親戚の用事を引き受けて自分を犠牲にしてきました。姉の口グセは「面倒くさい」。お見合いをたくさんさせられましたが、「男性と付き合うのも面倒」「結婚も面倒」「誰かと暮らすなんて、家族だけでも手一杯なのに面倒」となり、
趣味のダンスや友人との観劇も家族に外出を止められたくないという理由で、何も言わずに外出するため、その度に小言を言われだんだん面倒になったいきました。
そして脳腫瘍を発症。抗がん剤治療のあと自宅療養していますが、携帯のゲームばかりしています。好奇心とか何かしたい!とか強い欲求が起きないそうなのです。
どうしたら良くなるのかなと心配しています。