何がしたいかわからない状態からの脱出方法

こんにちは、ミエナです。

今回は、「何がしたいかわからない状況からの脱出方法」について書いていきます。

何がしたいかわからない状態からの脱出方法

Q.「自分って、本当は何がしたいのだろう?」と悩んだことありませんか?

仕事で行き詰まったとき、転職するとき、そして、定年退職後に時間ができたりすると、「自分って、本当は何がしたいのだろう?」と考えてしまうかも知れません…

「本当は何がしたいのか?」と悩んでいる間は、時間は無駄に過ぎていきます。

それは、考えても答えが出てこないからです。考えれば、考えるほど、答えから遠のく…この悩みに囚われると、人は、どっとストレスを感じてしまうのです。

何がしたいかわからない原因

いきなりで恐縮ですが、

Q.サバンナの野生動物をイメージしてみてください。

イメージできましたか?

例えば、サバンナでライオンが、「俺、何したいか分からない??」なんて、考えますか?絶対に考えないですよね。

でも、仮にライオンに「おまえ、肉を喰うなよ。これから絶対。でないと、ひどいぞ!」って、調教したら、どうでしょう??

ライオンは、本能では「肉食いたいけど…」と思うけど、「肉は食べてはいけないと言われている…でも、草は食べたくない…」と感じてしまう…

本能的にやりたいことを、自分より強い者に制限されると、「俺、何したいか、分からない…」と感じるようになってしまう。

(ライオンの話は、例え話で恐縮ですが…)

人間も同じです。

幼少期に、自分のやりたいことを「やってはダメ」とご両親や学校の先生に言われると、大人になって、「何がしたいかわからない」心理状態になってしまいます。

それは、固定観念で「やりたいこと = やってはいけないこと」と強く刻まれているためです。このような状態になると、やりたいことが心の奥にあっても、自分では、ずーっと気付けない状況に陥るのです。

ミエナ
この記事の結論を書くと、固定観念を外せば、「やりたいこと」は見つかります。この記事の一番最後で説明しています。

あなたの心の中には、必ず「やりたいこと」がある

あなたの心の中には、必ず「やりたいこと」があります。

でも、それが下記のようなことを、周囲の人に言われることで、徐々に見失っていくのです。

  • あなたのやりたいことは、無価値である
  • あなたのやりたいことは、誤った方向である
  • あなたのやりたいことは、やれば後悔する
  • あなたのやりたいことは、自己満足である
  • あなたのやりたいことは、時間の無駄である

上記のようなことを、人から言われたことはありますでしょうか?

幼少期に、ご両親や学校の先生は、「よかれ」と思い、教育のつもりで言ってしまうのかも知れません。しかしながら、言われた当人は、それが、まるで、のです。

他人のレールに乗っても、人生は成功しない

自分の「やりたいこと」を無意識に避けて、他人のレールに乗って人生が良い方向に進めば良いのですが、多くの場合、「やりたいこと」を避けては、人生は良い方向に進みません。

「やりたいこと」をやらないと、元気が出ないですし、生きている意味すら見失うかも知れませんよね…

▼「何がしたいかわからない」と起こること

  • 自分を責める
  • 自分の能力を否定する
  • 自分で決められない
  • 後悔することを必要以上に恐れる
  • 重要でないことを、あたかも重要なことのように感じる
  • 無気力で、何もワクワクしない

こんな状態になってしまうで、結果的に友達ができにくかったり、出世しにくかったりと、人生は、右肩上がりにはいきません…

「潜在能力」を無価値と判断する社会

学校の通知表(通信簿)を見ると、国語…算数…理科…社会みたいに、評価項目が並びますよね。1〜5の5段階評価で、自分というのもが判断されるわけですが…ん〜これってどうなのでしょう。

人間をはかる「評価基準」というものが、社会において重要視されていますよね。何も、学校の通知表に限らず、TOEICなど、あらゆる試験制度もそうですけど、例外なく社会や組織には、「評価基準」があります。

人間社会・文化では、「評価基準」を設けることで、他人同士を比較しやすく、客観的に、スピーディに人間の善し悪しを理解できるようになっています。また、「評価基準」を設けることは、すごく大人数のデータも管理しやすいわけです。

では、この社会に蔓延する「評価基準」に、潜在能力は含まれているかというと…(当たり前ですが)絶対に含まれていないですよね。

つまり、この評価基準あふれる社会では、潜在能力は、常に無価値なのですよね。

どんなに、絵を描く才能があろうと、その才能が眠っていたら、学校の美術の評価は「1」ですよね。

才能とは、「やりたいこと」をやり続けたときに発揮される能力

ですから、潜在能力の段階で評価「1」を付けられたら、才能も閉ざされてしまいます。

「人生」は、主観的にも、客観的にも、評価できるシロモノではない

Q.「ご自身の人生」に通信簿を付けてみてください。

想定ですが、多くの方において、自分の人生になんらかの評価を下すのは簡単でしょう。

自分の人生について、主観的に評価を下す人もいらっしゃれば、もの凄く客観的に評価を下す人もいるかもしれません。中には、学歴や資格を並べて、人生を評価する方もいるでしょう。

でも、ちょっと冷静に考えてください。

人生が何十年もあって、それを、評価できるわけないじゃないですか??

一人、海で泣いた思い出も、大好きな人に告白した記憶も、試合で勝って抱き合った記憶も、「評価」という前には無価値にされてしまいがち…

「評価基準」を捨てよう

何かを基準にして、善し悪しを判断するのは、人類の悪い癖です。

ミエナ
社会において、「評価基準」が不要というお話ではなく、精神世界において「評価基準」が心の病の原因になっていると言いたいのです。

例えば、何が良い人生で、何が悪い人生か…それを決めるのは自分だけのはずなのに、客観的な他人の「評価基準」を用いてしまう…

この「評価基準」というのは、便利な反面、恐ろしい武器にもなるのですよね。大事なものも、無価値にする力がある…

「評価基準」を捨てた先にある独創性

昔、レストランで働いてた時期があって、そのレストランに、お客として、テレビ番組の制作ディレクターとADが一緒に、よく食事に来ていました。

その二人の会話が面白くて、今でも憶えています。

先輩D
この「料理の味」は何色?
後輩AD
後輩AD
この味は、赤ですかね!?

私は、「え、で例えるの?」とビックリしたのですが、同じような訓練を大手出版社の某雑誌の編集長も、新人時代にやらされたと言っていて、さらに驚きました。

この方法は、味を色で考えることで、無意識に働く「味の評価基準」を無効化して、独創的な感受性を捉える方法なんですよね。

言い換えると、

味覚を視覚に変えることで、固定観念を外しているわけです。

こうすることで、自分の中の感受性を最大限発揮できるわけです。

Q.あなたの今晩のおかずの「味」は、何色ですか?

味覚で捉える「自分の人生」

自分の人生を「給与」「結婚」「子ども」「両親」「所得」「家」「友人」「ステータス」という評価基準で捉えるのは簡単なのですよね。

評価が良いか、悪いかは別として、評価は下しやすい

その下しやすい評価を元に、自分の人生を設計していけば、誰だって、「何がやりたいんだろう」ってなっちゃいますよ。

だって、「評価基準」は社会的通念であり、比較しやすいものであるけど、それは、全く「自分」や「自分の潜在能力」を考慮して下されるものでないからです。

ならば、自分の「評価基準」を味で考えみてはどうだろう。自分の人生は「美味しい?」「不味い?」「しょっぱい?」「甘い?」

人生を画一化した「評価基準」で考えるよりも、味覚で考えることで、見えないものが見えてくるはずです。

これができたら、「今からやろうとしていること」を味覚で味わってみましょう。美味しいですか?

舌は、脳より正直です。

「今からやろうとしていること」が美味しいなら、それは、「あなたがやりたいこと」。不味ければ、「やりたくないこと」です。

簡単ですよね。

ミエナ
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