カルマとは?スピリチュアル的な意味や解消方法まで解説!

こんにちは、ミエナです。

今回は、「カルマ」について解説します。

ミエナ
「カルマ」は、サンスクリット語で「行為」や「創造」を意味し、前世から今世に持ち越された因果関係を指します。カルマを意識して生きることで、自己の気づきと成功のチャンスに恵まれます。

カルマとは何?

Aさん
カルマって何??

上記のAさんのように、スピリチュアル用語の中でも、重要な割に理解しにくいのが、「カルマ」です。まずは、基本的な意味から押さえていきましょう。

カルマは、英語では「KARMA」、サンスクリット語では「कर्म」と書きます。カルマを訳すと「行為」、または行為の結果として蓄積される「宿命」という意味です。日本語では、「業」と言います。

サンスクリット語が由来となるので、インドのヒンドゥー教や仏教がその概念の元になっています。

Bさん
いや…もっと意味分からない…

ですよね…

まずは、「カルマ」を「行為」と訳してみます。

▼「行為」の例

  • 友達に誕生日プレゼントを渡した
  • お母さんに感謝の意を伝えた
  • 受験勉強を頑張った
  • スーパーで万引きした
  • ゴミをポス捨てした…などなど

上記は、すべて「行為」ですよね。そういう意味で、私たちの人生は、「行為」の連続であるわけです。

さて、「行為」といっても、「良い行為」と「悪い行為」がありますよね。

  • 友達に誕生日プレゼントを渡した → 良い行為
  • お母さんに感謝の意を伝えた → 良い行為
  • 受験勉強を頑張った → 良い行為
  • スーパーで万引きした → 悪い行為
  • ゴミをポイ捨てした → 悪い行為

上記のように、「行為」もそれぞれ大別できます。なので、「良い行為 = 良いカルマ」、「悪い行為 = 悪いカルマ」と言うこともできるのです。

ただし、ややこしいのは、多くのスピリチュアルで語られる「カルマ」は、「悪い行為」を指すことが多いです。

ミエナ
私のブログでも、「カルマ = 悪いカルマ」として使用しています。

カルマの指す「行為」は、過去世も含む

私たちは、輪廻転生を繰り返しています。つまり、自分が生まれる前は、「無」の存在ではなく、今の人生と同じように、過去でも違う人生を繰り返しています。

参考記事:前世は、今世にどれくらい影響を与えるのか?【前世とは何か】

つまり、「行為」も過去世も含むとたくさん積み重ねられているわけです。

生まれる前に、ローマ帝国の騎士だった人は、家族を命がけで守ったり、反対に敵を殺してたり…過去世でお姫様だった人は、殿様を愛し、後継者を育成したり、でも、略奪婚をしているかも…。

そんなこんなで、今の私たちの記憶にはなくとも、過去世には多くの「行為」がありました。それら全てを総合して「行為 = カルマ」と呼ばれるのです。

カルマは、なぜ引き継がれる?

Cさん
今世は今世。前世は前世でいいじゃん。なぜ、過去のことを蒸し返すように、「行為」は引き継がれるの?リセットすればいいじゃん!

上記のCさんのように、考えることもできますよね。では、なぜ、「今世までの行為の全て」が引き継がれるのでしょうか?

ここまで来ると、「カルマ = 行為」という解釈だけでは、説明できなくなってきます。もっとかみ砕いて解説していきます。

「行為」は「思考」から生まれる

「友達に誕生日プレゼントを渡す」という行為が存在する場合、その行為に至る「思考」も存在しますよね。いわゆる「理由」です。

▼例:友達に誕生日プレゼントを渡す前に考えること(思考)

  • 友達の喜ぶ顔が見たい!
  • 自分の誕生日を祝ってもらって、嬉しかったから…
  • 自分の誕生日には、もっと高価なお返しがもらえそう…

などなどです。

つまり、「行為」というのは「思考」なくして存在しないわけです。そうなると、「良い行為 = 良い思考」、「悪い行為 = 悪い思考」とも言えます。

「行為の積み重ね」は、「思考の積み重ね」である

カルマというのは「行為」なのですが、「行為」は「思考」から生まれるので、「カルマ = 思考」とも言えるのですよね。

とすると…

カルマは、過去世から続く、思考の積み重ねであり、「思考の癖」とも言えるわけです。

魂には「思考の癖」がある

例えば、前世で大金持ちの人がいて、奴隷を大量に雇い、強制労働させていたら、「横柄」という「思考の癖」がつきます。さらに、奴隷を人間だと思わないことで「差別意識」という癖もあるかもしれません。

これらの癖は、魂を汚し、カルマとして残るわけです。

幾度もなく輪廻転生を繰り返し、様々な過去世を生きても、「自分」という魂は、1つなので「思考の癖」はなかなか変わらないのです。

「思考の癖」をなぜ消さなければいけないの?

Dさん
「思考の癖」は、その人の個性だから、消さなくてもいいじゃん

上記のDさんのように考える人もいるかも知れません。でも、自分の「思考の癖」によって、人生が不幸になったら、その癖を治したいですよね。

例えば、「自分は誰からも愛されない…」と思い込む癖があった場合…その癖によって、大好きな男性から嫌われてしまったら嫌ですよね…

このように、「思考の癖」は、その人の個性でもあるのですが、その個性によって人生が不幸になることもあるのです。

産まれる前の自分が「思考の癖」を治したいと願っている

人生って、誰においても、苦しいものなのです。それは、前世の自分でも同じです。

例えば、前世の自分が女性だったとして、「自分は誰からも愛されない…」と思い込む癖によって幸せになれなかったら、「生まれ変わったら、この癖を治して、幸せな結婚を掴みたい」と願いますよね。

誰しも、過去世での失敗を今世で繰り返したくない…

誰しも、今世は、過去世よりも幸せになりたい…

そんな過去世の気持ちを抱える私たち人間は、皆、この世に産まれる前に「思考の癖を治したい」と願っています。それは、今の私たちが、さらなる幸せを願うことと同じでことなのです。

そのため、私たちは、生まれる前に、幸せになるための「人生目標」を立てます。

  • 次の人生では、こういう人になりたい
  • 次の人生では、こういう夢を叶えたい

上記のように、具体的な目標となる指針を立てるわけです。

産まれる前に決めた「人生目標」が運命をつくる

人は、産まれる前に「人生目標」をつくるのですが、それを一人で達成するのは大変です。だから、神様と相談し、「運命」を組み立てるわけです。

運命というのは、自分が生まれる前に掲げた「人生目標」を達成するための「道筋」です。

「道筋」があることで、「人生目標」を達成しやすくするのです。

ただ、私たちは、実際にお母さんのお腹から産まれてくると、記憶が消されてしまうので、「人生目標」を忘れてしまうのですね。それでも、「人生目標」を達成できるように、守護霊様が「道筋(運命)」の案内役になってサポートしてくれるわけです。

つまりは…

【過去世】自らの思考の癖(カルマ)で幸せを逃す

【過去世の死後】思考の癖を治して、幸せになりたいと願い、来世の人生目標を立てる。そして、それが神様に承認され、運命が創られる。

【今世】記憶は消されているが、守護霊と神様が運命に導く。その過程の中で、思考の癖(カルマ)が消えて行く。

上記のようなストーリーになります。

なぜ「運命」があるのに、カルマは簡単に消えないのか?

運命がいくら「人生目標」を達成する道のりを描いていても、人は簡単に幸せにはなりません。それは、運命を逸脱してしまうことがあるからです。

思考の癖というのは、自分の魂にある種の闇のようなもので、自分で制御ができなくなってしまうのですよね。それは、人生には、多くの壁があるからです。

  • 未発達な社会制度
  • 差別が横行する文化
  • 犯罪
  • 受験戦争
  • 誤った教育、躾
  • 人間関係
  • 貧富の差

などなど、上記によって、人は無意識に持つ「人生目標」を忘れ、疲れ果て、そして、自らの「思考の癖」に犯され、最終的に運命を逸脱し不幸になります。

ですので、運命の下、人生の目標達成を果たすには、様々な困難があるのです。これは、「魂の修行」と言います。

カルマを消す方法

思考の癖を消すことで、人は、順調に「運命」を辿ります。運命というのは、最初から幸せになる道筋として設定されているので、運命を逸脱しない限り、人は、大満足な人生となります。

では、どうやってカルマを消すかというと、いくつか方法があります。

  1. 1から人生の目標を立て、反省と改善を繰り返すこと
  2. 自分はどういう人間かを客観的に理解すること(自分は本当は、何が嫌いで、何が好きなのか?)
  3. 直感を大切にすること

上記の3つです。上記の3つをしっかりやっていれば、自ずとカルマは消え、人生は安定します。でも、それが簡単でないから「人生は、厄介…」なのかもしれません。

ここで、間違ってはいけないのは、「良いカルマ = 良い行為」だからといって、「良い行為」に専念すれば良いと考えることです。これは、所謂、偽善であり、偽善もまたカルマなのです。

良い行為を否定したいのではなく、「カルマを消すための意図的な良い行為」という意味です。そういう点からも、上記の3つのポイントが重要です。

上記のポイントを押さえれば、自然と「良いカルマ = 良い行為」を積み重ねることになるためです。

おまけ(もっと詳しく知りたい人用)

カルマが、過去世から続く「思考の癖」であるならば、なぜ、そのカルマを消さなければいけないのでしょうか?上記では、「思考の癖があると幸せにならない」からという理由でお話しましたが、もっと、宇宙的に捉えることもできます。

そもそも、この宇宙は、「調和」と「カオス(混沌)」の2つに大別されます。

調和というのは、整っている状態。

カオスというのは、乱雑な状態です。

部屋でいうなら、調和は、キレイな部屋で、カオスはゴミだけの部屋でしょうか。

さて、宇宙を部屋に例えるなら、ゴミだけの部屋からキレイな部屋に、宇宙全体が移行しようとしているわけです。そんな宇宙の中に存在する私たちの魂は、その影響を受け、キレイな魂への進化を促されています。

参考記事:魂は、なぜ成長する必要があるのか?

だから、「思考の癖」をキレイにして、より調和の取れた魂に進化するため、「思考の癖」を宇宙のどこかに捨ててしまうのではなく、個人で責任持ってキレイにしましょうということになるのです。

カルマがあるとどうなるのか?

多くの人が勘違いするのは、「カルマがあるから不幸である」という考えです。これは、なぜ、誤っているかというと「カルマのない人はいない」からです。

カルマ、つまり、思考の癖は、誰にでも存在し、それが完全にない状態は「神」です。なので、今、あなたが、「神」でないならば、カルマはあることになります。

では、なぜ「カルマがあるから不幸である」という考えが生まれるかというと、問題は、運命にあります。

運命とは、生まれる前に定めた「目標達成までの道筋」です。私たちは、これからもずっと魂を磨き続け、調和の取れた魂を目指すわけですから、何も、今回の人生だけで、全部の「思考の癖」を治す必要はないのです。それは、たかが80年くらいの人生ではできないからです。

なので、私たちは、生まれる前に自分で、今世の目標を立てます。この今世の目標は、自分だけでなく、神様や守護霊様と相談して決めるのですね。

そして、「今回の人生は、○○という思考の癖を直そう」、「今回の人生は、こういう人生にしよう」なんて、とても前向きな話をするのです。

この生まれる前の人生目標の設定により、「運命」ができます。いわゆる「道筋」です。

この運命から逸れてしまうと人は不幸になります。「思考の癖」であるカルマを上手に解消することができないと、運命から逸れて不幸になるわけです。登山に例えると、遭難状態ですね。

全知全能の神は、なぜ、人間の「思考の癖」を消せないのか?

そもそも全知全能の神は、この世に存在せず、それは人間の脳が生み出した誤った幻想です。全知全能の神が存在しないのは、「不完全性定理」により、数学的に証明されています。

では、神というのは、何かというと「調和の取れた魂」です。なので、人間の進化形は「神」になるわけです。また、神は「調和の取れた魂の集合体」でもあり、単一で存在するとも限りません。

そういう意味で、私たち人間も神と同じく、一人ひとりに尊厳があり、その尊厳は、宇宙の法則によって、誰からも干渉できないのです。

つまりは、カルマは、それを持つ本人しか消すことができず、神様であってもそれは不可能ということになります。

ただ、思考の癖というのは、なかなか消えないのですよね。そして、自分でも気付かないのです。無意識にやってしまいますし、みんなも、同じ癖を持っていると誤解しやすいために、思考の癖を肯定してしまったりします。

意外と自分の癖って、判りにくいのです。それが不幸になるトリガーとは気付かずに…

なので、幸せになるためには、カルマ(思考の癖)を今世の目標分、消すことが条件になります。

ミエナ
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