「死にたい」と思ったあなたへ:生きることの美しさを発見する

こんにちは、ミエナです。

今回は、「死にたい…」と考えている人へ向けて記事を書いていきます。

過去に一度でも、「死にたい」と思ったことのある人は、ぜひ読んでほしいです。

あなたは、なぜ死にたいのか?

自分が「死にたい」と思ったとき、どういう気持ちでしょうか?人それぞれの悩み、苦悩があると思います。

しかしながら、自分の歩む道として、「死」を選択しようとしている瞬間であることは共通していますよね。

生きる or 死ぬ

究極の選択ですよね。

「死」が自分の道の最適解だと思うとき。それが「死にたい」とき。

「死」を最適解だと思ってしまうのは、今の状況が「生きる」に値しないからです。

「生きる」に値しない = 死にたい

さてさて、”「生きる」に値しない”という言葉を、以下でちょっと変換してみました。

「生きる」に値しない = 「生きる」に値しないことしかしてない

ということは…

「生きる」に値しないことしかしてない  = 死にたい

つまり、死にたい人は、「生きるに値する」ことをすれば良いのです。死ぬ必要はありません。

「生きるに値すること」とは何か?

「生きるに値すること」とは何でしょうか?

そもそも、それが分からないために「死にたい人」は死にたいわけで、なかなか見つからないものです。

では、なぜ見つからないのかというと、探す場所を間違えているからです。

「生きるに値すること」は、目に見える世界を一生懸命に探しても見つかりません。

「えーーーーーっ」っていう感じですよね。

「生きるに値すること」の答えは、あなたの心の中にあるのです。

「生きるに値すること」が見つからない方へ

なぜ、「生きるに値すること」が見つからないのでしょうか?

この答えは簡単です。あなたの頭が固いからです。

生きる or 死ぬ

究極の選択肢が2つあり、死を検討してしまう人は、頭が固いです。

「死」というのは、100人いたら100人が「正しくない選択」と答えるほど、明確な過ちです。その正答率100%の問題を間違えるほど、「死にたい人」は、頭が固いのです。

そんな頭が固い人が、人生の1つ1つの選択を正しく判断できるとは思えません。

つまり、ミスジャッジを繰り返し、自ら苦しい状況に追い込んだのでしょう。

まずは、受け入れてください。「死にたい」と思った瞬間に、自分の頭は固いのだと。

自殺は、お祭りでお面を買うのに似ている

お祭りの出店で、いらないモノを買った記憶ってありませんか?

お祭りの空気に流されて、必要でないものを買ってしまう…よくあることですよね。

いらないモノを買って、翌日に「いらない」と判り、返品しようとしても、返品できません。

自殺はこれと同じです。

感情に支配され、「生きる or 死ぬ」の究極の選択肢で、間違った方を選んでしまう…

間違って選択したら最後です。取り返しがつきません。お祭りの出店でお面を買って、翌日に返品しに行くようなものです。

つまり…

「死にたい」と思った瞬間に、あなたは、取り返しのつかない「選択ミス」をしようとしています。

この世で、一番簡単な正答率100%の問題を、何を血迷ったか選んでしまう…

選んでしまうほどに、頭が固い。

では、どうすれば良いか。答えは、シンプルです。

頭を柔らかくするだけで良いのです。

「頭が固い」とき、魂が成長を必要としている

「頭が固い」というのは、人をバカにする言葉ではありません。これこそ、魂が成長するスタート地点なのです。

自分がもし「頭が固い」と気づけたならば、人生は好転します。なぜなら、それが、あなたの生きる使命だからです。

頭が固いことに気づく = 使命に気づく = 生きる道が見える

人生は選択の連続

人生は、選択の連続です。当たり前です。

そのあらゆる選択の中で、一番簡単な選択が「生きる or 死ぬ」です。

ここで、「死」を選ぶ人は、自分の選択が、常に共通して誤っている可能性があることに気づきましょう。今までの全ての選択においてです。

そう考えると自分が「生きるに値しない」選択をしていることに気づきます。だから、「死にたい」のだと。

「死にたい」は、「よりよく生きたい」の裏返し

「死にたい」と思った瞬間、その反対に「より良く生きたい」自分がいます。

「より良く生きる」ことを実現するには、「生きるに値する」ことを常に選択すれば良いのです。

「生きるに値する」こと…それは、レビューを見てショッピングすることではありません。先生の言うことを聞くことではありません。受験戦争に死ぬ気で挑むことではありません。

きっと…

「自分しか愛せないような密かな幸せ」を追求することなのかと思います。

数百万の借金により命を絶つ人。一方で、数億円の借金があるのに笑って生きる人

一般に、自殺の理由(動機)は、下記であると言われます。(自殺対策白書 – 厚生労働省

  • 健康問題(うつ病)
  • 経済・生活問題
  • 勤務問題
  • 学校問題

果たして本当にそうなのでしょうか?

数百万円の借金により、生きることよりも死を選ぶ人がいる一方で、数億円の借金があるのに笑って生きる人もいます。金額だけ見ると、数億円の借金がある人の方が苦しいはずですよね。

学校のイジメも同様に、イジメを苦に自殺する子どもたちがいる中で、イジメをバネに生きる子どもがいます。

パワハラも同じです。パワハラにより自殺する人がいる一方で、パワハラ裁判を起こし、勝訴して慰謝料を受け取る人もいます。

こうして見ていくと、一般的に自殺の要因とされる「うつ病、経済・生活問題、勤務問題、学校問題」は、真実の要因として考えるには、一貫性がなく矛楯がありますよね。

苦しい状況によって自殺してしまう人もいるけれど、一方で、自殺しない人も多く存在します。それは、なぜ、なのでしょうか?

ここに生きるヒントがあると思うのです。

「見えるもの」で苦しんでいると感じるのは、生きているから。本当の苦しみは別にある…

私は、自殺した人の魂と何度も対話しています。そこに1つの共通点があることに気づきました。

それは…

  • 借金苦で自殺した人は、死後、借金のことを気にしていません。
  • 離婚を苦に自殺した人は、死後、離婚のことを気にしていません。
  • 不登校で自殺した人は、不登校だったことを気にしてません。

上記を読んで「亡くなったのだから、借金の苦しみから逃れられて当然」と思われる方もいるでしょう。でも、ここで理解していただきたいのは、亡くなった後、「借金の苦しみが逃れられて幸せ」だと思わないのです。反対に、死後、亡くなった人の魂は、「何で、こんな理由で、死ななければいけなかったのだろう」と強く後悔するのです。

生前に苦しんだ理由が、本当に自分を苦しめていた理由でないことに、多くの自殺した人は亡くなった後に気付きます。つまり、スピリチュアル的に考えると、死のうと思った理由と本当に苦しんでいた理由が異なるのです。

つまり、今、生きている私たちに言いたいのは…

借金で苦しむのは、生きているからです。

離婚で苦しむのは、生きているからです。

不登校で苦しむのは、生きているからです。

死んだら、「こんなことどうでもいい」と気付くのです。それよりも、自分を本当の意味で苦しめていたものに、自殺した人の魂は、死後も苦しめられます。

死にたいと考えてしまう本当の要因とは?

人を自殺に追い込む要因は、イジメでも、パワハラでも、借金でもありません。それが、本当の要因でなかったことに、人は、死後、気付きます。しかしながら、死後、苦しみの理由がすべて解き明かされるわけではありません。そのために、自殺した人の魂は、死後も苦しみ続けます。

この「自殺した人の魂の苦しみ」と「生きている私たちの苦しみ」には、3つの共通点があります。

  1. カルマ
  2. 愛の誤解
  3. 現実に固執しすぎた考え方

以上の3つです。

①カルマ

カルマは、言うなれば「天から与えられた心の修行」です。この修行は、人によって、与えられる難易度が異なるのです。厳しい修行を与えられる人もいれば、比較的に軽い人もいます。一般的に「人生の辛さは平等」と言いますが、嘘です。人によって、難易度が異なります。

ただ、厳しい修行を与えられた人は、より魂が磨かれますし、修行が軽い人は、それほど、魂は成長しませんが楽しく人生を過ごせます。

修行の違いは、メリットの違いになっており、その点では平等と言えるかも知れません。自分の生まれる前に、自分で、今世の目標を立てて生まれて来ます。このときに、目標を高く設定した人の人生は辛くなります。

あなたも、オリンピックで金メダルを目指すときと、地元のマラソン大会で優勝を目指すのでは、トレーニングが異なりますよね。

人生が過酷な人は、生まれる前に自分が設定した目標が高すぎる人です。そのために、想定以上に過酷な現実に精神が追いつかず、自殺をしてしまうのです。

②愛の誤解

「これこそ…本当の愛…そうに決まっている…絶対…絶対」と思う人ほど、きっと失恋するか、良い目に遭わないですよね。人は、ときに愛というものを誤解するのです。

愛を誤解したまま生きると、本当の愛を愛とは思わず、偽物の愛を愛だと認識してしまうのですね。これを続けると、人は、やつれていきます。そして、「本当の愛」を得ているはずなのに、精神を病んでいきます。これが、借金に繋がったり、不登校に繋がったりするのですね。

③現実に固執しすぎた考え方

不登校、パワハラ、借金などなど…目に見える世界でのこれらの苦しみは、苦しみの本質ではありません。しかしながら、この「苦しみの本質ではないもの」に対し固執し、執着することで人は希望を失っていきます。

これらは、本当に重要ではないのです。重要だと勘違いしているだけです。死んだときに気付くのは、悲しいことなのです…

不登校だからって関係ないのです。パワハラも。借金も。それらが、本当の苦しみではないことに気付いてほしいです。

生きよう!自殺してはいけない5つの理由

自殺してはいけない理由を挙げます。自殺しても、何もメリットがありません。自分自身が借金で苦しんでいようと、死んで借金の返済義務がなくなっても、自分が苦しんでいた理由が借金でないことに気付くので、誤解によって、自分を殺してしまったことになります。

自殺した魂の苦しみは、それだけでは終わりません。

以下に、自殺した魂の5つの苦しみについて挙げます。

  1. 死んでも苦しみは取れない
  2. 自ら死んだことを必ず後悔する
  3. 家族を悲しませたことに必ず後悔する
  4. 愛する人に愛を届けられない
  5. 愛する人からの愛を受け取れない

以上の5つです。

1つ1つ解説していきます。

①死んでも苦しみは取れない

自殺しても、生前の苦しみは取れません。なぜなら、死のうと思った理由が、自分を苦しめた原因ではないからです。借金苦で自殺しても、借金が苦であったわけではないことに気付きます。

そして、苦しみの要因は、死ぬことによって何も解決していないことを死後に知るのです。

②自ら死んだことを必ず後悔する

自殺した人の魂は、死後、自分が抱えた苦しみが、自殺することによって何も解決していないことに気付きます。そして、無駄に自分を殺してしまったことに後悔するのです。

後悔しない自殺者はいません。それは、死のうと思った理由が、死ぬほどの理由でなかったからです。反対に、死ぬことは簡単にできても、生きる還ることが簡単にできないことに、後から気付くのです。

これによって、必ず後悔が生まれるのです。

③家族を悲しませたことに必ず後悔する

自殺した人の魂は、自分の死に苦しむ家族を目の当たりにします。「自分なんていない方がいい。その方が、家族のためにもなる」と生前に考えていても、涙が溢れる家族を見て、それが過ちだったことに気付きます。

そして、自分が生前にとても大切にされていたことに改めて気付くのです。

④愛する人に愛を届けられない

家族がどんなに悲しみ、そして、どんなに苦しんでも、自殺した人の魂は、それをサポートすることができません。自殺した人の魂は、隔離され、生きた人とのエネルギーの接触が禁じられます。

このために、迷惑をかけた家族に対し、フォローができないのです。

生きていれば、どんなに家族に迷惑をかけても、恩返しができます。でも、自殺によって亡くなると、恩返しどころか、愛を伝えることも、励ますことさえできません。ただただ、何もできずに、悲しむ家族を眺め、そして、自分の犯してしまった行為について悔やむのです。

⑤愛する人からの愛を受け取れない

自殺された方の遺族がどんなに、亡くなった人の魂に対し、祈っても届きません。悲しいのですが、それが、自殺した人の魂の運命です。

「早く成仏してね」という気持ちをどんなに届けようとしても、届きません。

自殺した人の魂は、家族を傷付けたことを気にしていますから、遺族の方が笑うことで、心安らぎます。しかしながら、できることは、自殺以外で亡くなった方とは異なります。

「自分で自分を愛する力」の重要性

Q.人に褒められた経験よりも、他人から否定されたことの方が、記憶として強く残っていませんか?

「他人に褒められても嬉しくない…」と思うのは、私だけでしょうか…ひねくれ者??

なぜなら、褒められても「ちょっと自分が照れるだけ…」ってこと多いですよね。「褒められても照れるだけ…」なのに対し、自分の存在を否定されると、反対にすごく心が傷つきます。

その最たる例は、芸能人やタレントです。

芸能人やタレントは、大勢の人からいっぱい褒められる立場でありながら、ときに誹謗中傷により命を絶ちます。そして、たとえ自殺せずとも心ない批判に対し、堪えきれない人は、実際、非常に多いことでしょう。

この点から見ても、「他人に褒められる = 評価される」ことに、多くの人が価値を感じておらず、この社会においては、「存在を否定されることから、どうやって心を守るか」の方が重要であることを示しています。

学校では、評価される方法ばかりを重視する

学校では、

  • 成績が良い
  • 足が速い
  • 歌が上手い
  • 挨拶ができる
  • ルールを守る
  • 想像力がある

これらができる人は、学校で評価されます。

私たちは、自然と「他人に評価される人間になりましょう」という教育機関のメッセージを強く心に受け止めています。それは、無意識には、大人になっても同じだと思うのです。

「人に評価される人間」こそが、素晴らしい人間

このメッセージは、一見、正しいように感じられます。でも、重要な欠陥があるのです。それは、「自分で自分を褒める」ということに関心が向かないということです。

学校では、常に「他人からの評価が、”自らの存在意義”に直結している」という現実があります。

例えば、学校では下記に挙げた人は蔑(さげす)まれます。

  • 成績が悪い
  • 足が遅い
  • 歌が下手
  • 挨拶ができない
  • ルールを守れない
  • 想像力がない

上記の人間は、学校では、自己を否定されて生きることとなるのです。

学校では、「どれだけ他人から評価されるか」が価値基準になっています。その中には、「自分で自分を褒める」こと、つまり「自分で自分を愛する力」に対する教育機関における関心が欠落しているのです。

勉強して良い成績を獲ること、挨拶、ルールの遵守は、とても重要ですが、しかしながら、「自分で自分を愛する力」は、同等、またそれ以上に重要なのです。

「自分で自分を愛する力」は、単に自殺を防ぐ目的だけでなく、強いリーダーシップ、独創性、高いコミュニケーション能力を発揮する上で重要な力です。

実際に私のセッションで霊視する限り、「自分で自分を愛する力」を持つ人は、経営者やリーダーに多く、波動が高い人が多いです。人生を豊かに暮らす根幹が「自分で自分を愛する」ことと直結しているのです。

「自分で自分を褒める」ことができれば、もう何も要らない

Q.女子マラソン選手の有森裕子さんをご存じでしょうか?

ご存じの方はきっと、30代半ば以上の方だと思います(私もです)。有森選手は、有名な言葉を残していますよね。

「初めて自分で自分を褒めたいと思います」

この言葉は、1996年のアトランタオリンピックで2大会連続のメダル獲得を達成した後、インタビューで語られたものです。

有森選手は、「誰かに褒められる」ことが嬉しいのではなく、「自分で自分を褒める」ことに価値があると、多くの人達に教えてくれました。(この言葉は、当時の流行語大賞を獲得しています。)

誰しも、この有森選手のような気持ちになったとき …「自分で自分を褒めたい」と真摯に願ったとき、きっと心は満たされ感無量になるはずです。

シンプルに…

私たちは、他人に褒められるよりも、自分で自分を褒めた方が嬉しいのです。

そして、自分で自分を褒めることは、コツさえ掴めば誰でもできるのです。

しかしながら、「自分で自分を褒める」ことができず、自分を否定し続けた人が自殺してしまう…

であるならば、今後の日本の教育指針は、「他人に褒められるよりも、自分で自分を褒める」方にシフトすべきではないかと思うのです。

最後に

最後に、自殺者のご遺族の方にお伝えしたいことがあります。「あのとき、自分が○○すれば…あの人は、死なずに済んだ」と思わないようにしていただきたい。

私は、「亡くなる前の自殺者を助けられる人はいない」と考えています。

それは、本記事の通り、自殺の原因が「自己否定」によるならば、他人が、亡くなる前の自殺者を励ましても無駄だからです。他人が励ましても、それは「自分で自分を愛す」ことにはならないのです。

「自分で自分を愛す」というのは、当事者以外の人が関われる問題ではなく、とてもパーソナルな問題です。

スピリチュアル的に「自分で自分を愛す」こと自体が、人間が持って生まれた試練の一つであり、この重要性に気付くことも、またそれぞれの人間が進化する上で求められていることなのです。

この「自分で自分を愛す」ということの重要性に、未だ多くの人間は気付いてはいません…

まずは、この問題に多くの人に気付いて頂けるよう、この記事が多くの人に読んでもらえることを切に願っています。

ミエナ
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