こんにちは、ミエナです。
今回は、仕事や学校、プライベートで「どこに行っても、意地悪な人と出会ってしまう人」に向けて記事を書いていきます。
幼少期にイジメられて、転校したのに、またイジメられ、大人になっても、なぜか職場でイジメられてしまう人がおられましたら、ぜひ、読んでみてください。
性格が良くても、なぜか意地悪な人に囲まれるタイプ
すごく性格が良くて、素敵な人でも、性格の悪い人と仕事や学校で一緒になって、なぜかイジメられる人っていますよね?
ご本人はすごく謙虚で、愛想も良いのに”出会いの運”が悪いのか、どこに行っても、その場、その場の意地悪な人の餌食になってしまう…
こういうことって、あるのです。
何が気に入らないの?私が何かした?
なぜか、意地悪な人に出会ってしまって、苦しむ人は、自分の中に、何か落ち度があると考えてしまいますが、落ち度がないケースもあるのです。
「何が気に入らないの?」「私が何かした?」
この疑問に長年、悩んで答えが出なかったら、前世を疑ってみてください。
自分の行いに過ちがない場合、原因は前世に…
人生を通して、ずっとイジメられる人は、色々な原因が考えられるのですが、いくら原因を考えても、分からない場合は、前世を疑ってみてください。
あまりにも異常なほど、行く先々で意地悪な人に出会い、理不尽な嫌がらせを受けた場合、その可能性があります。

この場合、リーダー的なポジションに抜擢されている人が多く、不幸(修行)と幸せ(救い)が交互に起きるのも特徴です。
そのような方は下記の記事を参考にしてください。
参考記事:理不尽な苦しみは、やがて勲章に変わる
参考記事:あなたが「神に選ばれし者」である可能性を探る
前世が原因の場合、あなたの目の前だけ、みんな意地悪な人になる
ちょっと怖い話ですが、前世に原因がある場合、普段は温厚で素敵な職場の仲間も、あなたの前だけ、意地悪になります。
そのため、あなたの行く先々で意地悪な人が必ず現れるのです。
つまり、あなたが行くところ、行くところ、あなた自身が周りの人間を意地悪にしてしまうのです。
前世にイジメる立場だった人が生まれ変わると、今世でイジメられる
「因果応報」とでも言いましょうか?前世に、イジメを行った人は、生まれ変わると逆の立場になります。つまり、イジメられるのです。
前世で生涯ずっと弱い者イジメをした場合、今世では行く先々でイジメられます。これはツライ…
性格が良くてもイジメられる
前世が原因の場合、自分の欠点を直してもイジメに合います。それは、1つの運命なのです。
なぜ、前世でやった悪い行いを、今世で自分がやられるのか
実は、この記事の主題がここです。
これは、私のオリジナルの考えですので、他の考えもあることをご了承ください。
前世でイジメる側の人だったが、「イジメられた人の痛み」を知らずに亡くなった場合、今世で、その逆でイジメられる側になります。
そこには、輪廻転生の魂の成長過程があるのです。下記のフローチャートをご覧ください。
【▼前世】
①人をイジメる(人の痛みを知らない状態)
【▼今世】
②自分が人にイジメられる
↓
③イメジられる痛みを知る
↓
④人に【やって良いこと】、【やって悪いこと】を知る
↓
⑤人に【やって良いこと】をするようになる
↓
⑥【やって良いこと】だけすることにより、自分への愛に目覚める
↓
⑦自分のように他人を愛することができる
上記のようなプロセスにより人間は魂を磨くのです。
そのため、
前世でイジメていた人は、②「自分が人にイジメられる」を生涯通じて味わうのです。
因果応報の「苦しみ」の軽減方法
前世の記憶は、みなさん持っていませんので、前世の行いを悔いることはできません。因果応報による今世の苦しみも、一見、理不尽に見えますが、実は、魂を成長させるための神様がお作りになったプロセスなのです。
しかしながら、「苦しみ」の軽減方法はあります。
涙を流した数だけ「苦しみ」が減ります。
なぜかというと理不尽にイジメられる人は、③の「イジメられる痛みを知る」が魂レベルでできていないのです。
そのため、共感が足りない。人間が人間の喜怒哀楽を知る共感です。
共感すると涙が出る
「涙」が流れるときは、真に共感しているときです。
涙を流すのは、こんなときですよね。
- 人の愛に触れたとき
- 悲しいとき(自分が本当の自分に共感している)
- 嬉しいとき(喜びを分かち合ったとき)
- 感動したとき(孤独を忘れて一体感を味わう瞬間)
全部、キーワードは「共感」です。
そのため、涙を流せば、因果応報の苦しみから軽減されると言えるのです。
涙が出る名作の映画を観よう
では、何をすれば良いかと言うと、
感動の名作映画を観るのが手っ取り早いです。
最新映画も良いのですが、モノクロ映画などクラシック映画が個人的にオススメです。
現代の歪んだ価値観が見え隠れする現代映画より、もっと人間ドラマをシンプルに描こうとしているクラシックなモノクロ映画の方が、純粋に良い影響はあっても、悪い影響は少ないと思っています。
【オススメのモノクロ映画】
- カサブランカ
- 東京物語
- 禁じられた遊び
- ニューシネマパラダイス
- アパートの鍵貸します
- 風と共に去りぬ
上記は、とりあえず間違いない映画作品を集めました。
上記の映画は、すでにお亡くなりになりましたが、淀川長治さんの著書『究極の映画ベスト100』に入っていたと思います。たぶん…

最後に
どんな場所に行っても、意地悪な人と出会ってしまう人は、涙を流すほど「共感」すると、魂が成長し、苦しみが軽減します。
苦しみから解放はされませんが、「軽減」はしますので、ぜひお試しください。
【補足①】苦しみの種類
苦しみの種類は、色々ありますが、私は大きく3つに分類できると思っています。
- 自分の未熟さから来る「苦しみ」※憑依の苦しみもこれに含む
- 前世の悪い行いから、意図的に天から「苦しみ」を与えられるケース(因果応報)
- 波動の高い人が「修行」の名目で「苦しみ」を与えられるケース
この記事では、②のケースである「前世の悪い行いから、意図的に天から苦しみ”を与えられるケース」について書いています。
【補足②】多くの方は幼少期だけイジメられる
因果応報による苦しみは、生涯を通して天界から罰のように「苦しむ」のは稀です。多くの方は、幼少期のみ因果応報により苦しんでいるように思います。
その幼少期の苦しみがトラウマとなって、結局、成人になっても苦しむことになるのですが…
しかしながら、今回の記事は、大人になっても因果応報の影響を受け続ける人を対象としています。
逆説を言うならば、
大人になっても、なぜか理不尽にイジメられる人は、前世の影響(因果応報)を疑っても良いと思います。
【補足③】前世の行いの今世への影響
前世の行いの今世への影響については、霊能者の中でも見解が異なります。
私の考えは、「前世の悪い行いは、今世に償(つぐな)いを求められる」と考えています。これは、私が個人セッションで依頼者を霊視したときに、今世で悪いことをしていないのに、異常に苦しむ方がいるからです。その場合、私は前世を含めて霊視し、カルマの原因を探っています。
前世の考え方で「前世の死後に成仏しているから、今世は前世の悪影響を得ない」と言う方もいます。
私は、それは、誤りだと思っています。
私の考えを分かりやすく言うと下記です。
【前世の悪行を”車の違反切符”に例えます】
前世で10点の違反切符を切られたら、その死後、半分である【5点】を償(つぐな)った時点で成仏し、残り半分を生まれ変わった今世で償うという形です。
つまり、
成仏する前と今世の両方で、前世の悪行を償うと思うのです。
【補足④】今世でイジメられていない人へ
輪廻のプロセスは、必ず「人の痛みを知る」プロセスに戻ってくるからです。
人間の成長段階の初期のプロセスである②「人の痛みを分かること」は、何も今現在、理不尽なイジメにずっと苦しむ方だけが対象ではありません。
- 自分が人にイジメられる
- イメジられる痛みを知る(人の痛みを分かること)
- 人に【やって良いこと】、【やって悪いこと】を知る
- 人に【やって良いこと】をするようになる
- 【やって良いこと】だけすることにより、自分への愛に目覚める
- 自分のように他人を愛することができる
- さらに波動を高めるために、理不尽な苦しみ(修行)を味わう
- 苦しみに負ける
- 自分が嫌いになる
- 人が嫌いになる
- 人をいじめる
- ①に戻る
上記のように、輪廻では1〜12までのプロセスを繰り返します。この輪廻の見解は、私のオリジナルですので、他の方は、違うことをおっしゃるかも知れません。
ですから、今、①「自分が人にイジメられる」のプロセス段階に居ても、魂が成長していないわけではなく、輪廻の中の1つの状態であることが分かります。
なので、プロセスの後半が自分にしっくりきたとしても、プロセスの初期段階を知ることはとても有益なのです。
pigeonさん
コメントありがとうございます。
魂は転生を繰り返して、成長していきます。
とても不思議なプロセスですよね。
ミエナさまはじめまして。
どの記事も大変興味深く、大変ためになり、そして府に落ちることばかりです。この世の様々な現象の意味をきちんと理解せず勉強不足でいたため、あらゆる出来事に翻弄されては一喜一憂することの多かった、無駄に慌ただしい精神面が安定します。
行動もぐんと前向きになります。
とてもしあわせになります。
ほんとうにいつもどうもありがとうございます。
感謝の思いでいっぱいです。
前世でいじめを行った人が、今世でいじめられて学ぶべきならば、(前世でいじめを行った人がこの世に生まれてくる限り)いじめはなくならない、ということになりますね。
いじめを発生させるためには必然的にいじめる側の人も必要となり(そのいじめる側がまた転生し、いじめにあうべき)この繰り返しが行われる限りは、いじめはなくならないということになりますね。
『いじめをなくしましょう』とスローガンを掲げて対策をとる心ある人々が大勢いても、それとは関係なく、いじめは起こり続ける現象となりますね。
次から次へと発生し続ける卑劣ないじめに対して、これほどまでに時代を経ても人類は過去から学べない生き物なのか?いじめをなくせない愚かなものか?と悲しく途方に暮れ気味でしたが、いじめも学びのひとつで必然的現象だと理解できれば、涙目になり感傷的に受け止め過ぎずに、これからは理性的に向き合うことができそうです。