理不尽な苦しみは、やがて勲章に変わる

こんにちは、ミエナです。

今回は、「理不尽な苦しみは、やがて勲章に変わる」をテーマに書いていきます。

「理不尽な苦しみ」について

どんな人にも、「人に言えない苦しみがある」というのを感じます。

何十年も悩んでいるに、苦しみから逃れる糸口が見つからない。この先も、さらに何十年も悩み続けるのかも知れない…

「理不尽な苦しみ」は、当人からすると「どうやっても逃れられない解決不可能に見える苦しみ」と例えられるでしょう。

それは、毎日を清く一生懸命に生きている人にも起き、私はそれを「理不尽な苦しみ」と表現しました。

「理不尽な苦しみ」が起こる理由

そもそも「理不尽な苦しみ」は、なぜ起きるのでしょうか?

ここから全部、自分の持論として展開します。

「理不尽な苦しみ」が理不尽である所以は、「その苦しみが解決不可能に見える」からだと思います。

つまり、解決不可能に見えるために、希望が湧かず、結果的に何十年と同じことで苦しみ続けるのです。

繰り返しとなりますが、ポイントは「解決不可能に見える」というところです。

「解決不可能に見える」悩みは幻覚である

「理不尽な苦しみ」の元となる「解決不可能に見える」部分は、神聖な神様が起こす「幻覚」であると私は思います。

※波動の高い人の苦しみを指しています。波動が極端に低い人は、該当しません。

その目的とは、我々が解決不可能な問題に直面したときに、どう行動するかを神界がテスト(試験)しているのかも知れません。

理不尽に苦しむ最中も見守られていると思う

私たちが、理不尽に苦しむ最中も、私たちは神界より見守られていると思います。

ここで私の考えを例を用いて説明します。

日本テレビ系列の『はじめてのおつかい』というテレビ番組をご存知でしょうか?小さい子供が、お母さんに”初めてのおつかい”を頼まれて右往左往しながら、目的のお店で商品を購入し、戻ってくるまでの実録のドキュメンタリー番組です。

この番組では、子供が、おつかいに行く際は、カメラマンやお母さんは、子供にバレないように後を追いかけて見守ります。

たとえ子供が目的のお店とは違う方向に向かって迷子になっても、そこはお母さんや番組スタッフも手助けせず、子供自身に解決方法を考えさせてゴールにたどり着くまで、じっと我慢して背中を追い続けるのです。

このフローは、神様が人間を成長させるときのフローととても良く似ています。

苦しみの解決策は必ずある

解決不可能に見える「苦しみの答え」はあるんですよ。知らされないだけで、つまり、神様は答えを自分で考えて欲しいんです。きっと。

学校で、問題の答えを教えてくれる先生。それは「愛」じゃないのです。自分で最後まで考え抜くことをサポートすることが「愛」。

学校の先生から見れば、大勢の生徒がいる中で、これは非効率すぎて無理です。さすがに、誰もそこまで求めてません。(先生は大変なお仕事)

ただ、高次元の人々は、現実界の一人一人に、それをやっている。実は、我々は、もの凄い「愛」に包まれているとも言えます。

ですので、「解決不可能な苦しみ」に直面し、人の道を外さなければ、その答えは、苦しみを超えた後に、自然と「答え」の方からやってきます。

あなたがもし「理不尽な苦しみ」で辛い思いをしているならば、自分が”はじめてのおつかい”の幼児だと思ってみてください。

今、きっとあなたは迷子になっている状態でしょう。周りに、お母さんもお父さんも誰もいないと思っている。

でも、実は、みんな、あなたの背中を見ていて、見守っている。でも、手助けしないのです。それは、子供がお買い物を一人で出来る様になる試練と同じで、あなたの目の前の問題を一人でクリアして欲しいと、本気で願うからです。

「理不尽な苦しみ」は奇跡が解決し、そして、それは勲章に変わる

「解決不可能な苦しみ」を解決する「答え」。それを人はきっと「奇跡」というのかも知れません。

「奇跡」と言えるほど、自分の常識を超えたところから、やって来るからです。

つまり、「奇跡」は起きる。ただ、「奇跡」が起きる前に、「奇跡」が起きることを予測できる人間がいないだけです。

「奇跡」が起きるとどうなるか。「解決不可能な苦しみ」は希望に変わり、「苦しみ」は「人生の財産」に変わります。

「人生の財産」は、自分が自分に与える勲章となり、次にどんな辛いことがあっても、乗り越えられる勇気を与えてくれるのです。

ミエナ
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