こんにちは、ミエナです。
今回は、「人はなぜ自殺するのか?」について書いていきます。
人はなぜ自殺するのか?
自殺のニュースが飛び交う現代において、この問題の解明は急務と言えるのではないでしょうか?
この問題が21世紀になった現代でも解決されないのは、きっと「誰しも、自殺者と話すことができない」からでしょう。亡くなった理由を当人から聞くことが出来れば、心の解明もスムーズかも知れません。
そして、そのことは、自殺者を減らすだけでなく、生きる私たちの幸福に繋がるかも知れません。
でも、亡くなった理由を当人から聞くことはできない…
霊能者以外は…
そう。ただ、この世で唯一、霊能者は自殺で亡くなった人と話すことができます。私もその霊能者の一人です。
この記事では、心理学者や精神科医が束になっても、解決できない自殺の要因について詳しく書いていきます。
この記事は、とてもセンシティブな内容にも関わらず、かなり「常識」を逸脱しています。あくまでも、個人の意見として読んでくださいね。
自殺の本当の原因
一般に、自殺の理由(動機)は、下記であると言われます。(自殺対策白書 – 厚生労働省)
- 健康問題(うつ病)
- 経済・生活問題
- 勤務問題
- 学校問題
果たして本当にそうなのでしょうか?
私が、このように思うのは、たとえば「病気」だったら、原因が判っていたら、大抵、その病気は治せるはずだからです。しかし、自殺の場合は、統計データがこれほどまでに蓄積されていながらも、年間2万人以上の方が亡くなっています。
この原因は、そもそもの上記の自殺動機の捉え方に誤りがあるからだと思っています。よって、私の中では、自殺の根本的な要因は、この社会においては、未だ解明されていないと思うのです。
数百万の借金により命を絶つ人。一方で、数億円の借金があるのに笑って生きる人
借金を苦に自殺する人がいます。
数百万円の借金により、生きることよりも死を選ぶ…これも、その人なりの1つの決断です。
しかしながら一方で、数億円の借金があるのに笑って生きる人もいます。金額だけ見ると、数億円の借金がある人の方が苦しいはずですよね。
学校のイジメも同様に、イジメを苦に自殺する子どもたちがいる中で、イジメをバネに生きる子どもがいます。
パワハラも同じです。パワハラにより自殺する人がいる一方で、パワハラ裁判を起こし、勝訴して慰謝料を受け取る人もいます。
こうして見ていくと、一般的に自殺の要因とされる「うつ病、経済・生活問題、勤務問題、学校問題」は、真実の要因として考えるには、一貫性がなく矛楯があるのです。
苦しい状況によって自殺してしまう人もいるけれど、一方で、自殺しない人も多く存在するからです。
このように「真実の自殺要因」の解析は、現状、曖昧です。これでは、自殺撲滅のためにどんなアクションも起こしても、明確に成果が出せないのではないでしょうか。

「自己否定」こそが自殺の本当の要因
自殺の原因は、自己否定です。
つまり、自殺の要因は、その人の借金でもなく、学校のイジメでもなく、パワハラでもありません。
人は、自分を肯定できなくなると自殺するのです。
そして、私は、自殺した人が、「自分を肯定できなくなった要因」は、イジメやパワハラ、借金でもないと考えています。
自分を肯定できなくした要因は「教育」にある。
このように私は考えます。
学校では「他者からの評価 = 自分の存在意義」
学校では、「人に評価される人間」こそが、素晴らしい人間とされます。
- 成績が良い
- 足が速い
- 歌が上手い
- 挨拶ができる
- ルールを守る
- 想像力がある
これらができる人は、学校で評価されます。
私たちは、自然と「他人に評価される人間になりましょう」という教育機関のメッセージを強く心に受け止めています。それは、無意識には、大人になっても同じだと思うのです。
「人に評価される人間」こそが、素晴らしい人間
このメッセージは、一見、正しいように感じられます。でも、重要な欠陥があるのです。それは、「自分で自分を褒める」ということに関心が向かないということです。
学校では、常に「他人からの評価が、”自らの存在意義”に直結している」という現実があります。
例えば、学校では下記に挙げた人は蔑(さげす)まれます。
- 成績が悪い
- 足が遅い
- 歌が下手
- 挨拶ができない
- ルールを守れない
- 想像力がない
上記の人間は、学校では、自己を否定されて生きることとなるのです。
「自分で自分を愛する力」の重要性
学校では、「どれだけ他人から評価されるか」が価値基準になっています。その中には、「自分で自分を褒める」こと、つまり「自分で自分を愛する力」に対する教育機関における関心が欠落しているのです。
勉強して良い成績を獲ること、挨拶、ルールの遵守は、とても重要ですが、しかしながら、「自分で自分を愛する力」は、同等、またそれ以上に重要なのです。
「自分で自分を愛する力」は、単に自殺を防ぐ目的だけでなく、強いリーダーシップ、独創性、高いコミュニケーション能力を発揮する上で重要な力です。
実際に私のセッションで霊視する限り、「自分で自分を愛する力」を持つ人は、経営者やリーダーに多く、波動が高い人が多いです。人生を豊かに暮らす根幹が「自分で自分を愛する」ことと直結しているのです。
褒められても嬉しくないのに、貶(けな)されると苦しい
Q.人に褒められた経験よりも、他人から否定されたことの方が、記憶として強く残っていませんか?
「他人に褒められても嬉しくない…」と思うのは、私だけでしょうか…ひねくれ者??
なぜなら、褒められても「ちょっと自分が照れるだけ…」ってこと多いですよね。「褒められても照れるだけ…」なのに対し、自分の存在を否定されると、反対にすごく心が傷つきます。
その最たる例は、芸能人やタレントです。
芸能人やタレントは、大勢の人からいっぱい褒められる立場でありながら、ときに誹謗中傷により命を絶ちます。そして、たとえ自殺せずとも心ない批判に対し、堪えきれない人は、実際、非常に多いことでしょう。
この点から見ても、「他人に褒められる = 評価される」ことに、多くの人が価値を感じておらず、この社会においては、「存在を否定されることから、どうやって心を守るか」の方が重要であることを示しています。
「自分で自分を褒める」ことができれば、もう何も要らない
Q.女子マラソン選手の有森裕子さんをご存じでしょうか?
ご存じの方はきっと、30代半ば以上の方だと思います(私もです)。有森選手は、有名な言葉を残していますよね。
「初めて自分で自分を褒めたいと思います」
この言葉は、1996年のアトランタオリンピックで2大会連続のメダル獲得を達成した後、インタビューで語られたものです。
有森選手は、「誰かに褒められる」ことが嬉しいのではなく、「自分で自分を褒める」ことに価値があると、多くの人達に教えてくれました。(この言葉は、当時の流行語大賞を獲得しています。)
誰しも、この有森選手のような気持ちになったとき …「自分で自分を褒めたい」と真摯に願ったとき、きっと心は満たされ感無量になるはずです。
シンプルに…
私たちは、他人に褒められるよりも、自分で自分を褒めた方が嬉しいのです。
そして、自分で自分を褒めることは、コツさえ掴めば誰でもできるのです。
しかしながら、「自分で自分を褒める」ことができず、自分を否定し続けた人が自殺してしまう…
であるならば、今後の日本の教育指針は、「他人に褒められるよりも、自分で自分を褒める」方にシフトすべきではないかと思うのです。
亡くなる前の自殺者は、誰にも救えない
自殺の原因は、イジメでも、パワハラでも、借金でもありません。
それは、これまで述べてきたように、1つのきっかけに過ぎないのです。
学校からイジメが撲滅しても、自殺がなくならない…
会社からパワハラが消えても、自殺はなくならない…
それよりも、私たちは子どもの頃から「人からの評価を気にするのではなく、自分で自分を褒める」ことを価値基準として学ぶことが重要です。そして、その方が、圧倒的に低コストで、有益な対策であるのです。
最後に
最後に、自殺者のご遺族の方にお伝えしたいことがあります。「あのとき、自分が○○すれば…あの人は、死なずに済んだ」と思わないようにしていただきたい。
私は、「亡くなる前の自殺者を助けられる人はいない」と考えています。
それは、本記事の通り、自殺の原因が「自己否定」によるならば、他人が、亡くなる前の自殺者を励ましても無駄だからです。他人が励ましても、それは「自分で自分を愛す」ことにはならないのです。
「自分で自分を愛す」というのは、当事者以外の人が関われる問題ではなく、とてもパーソナルな問題です。
スピリチュアル的に「自分で自分を愛す」こと自体が、人間が持って生まれた試練の一つであり、この重要性に気付くことも、またそれぞれの人間が進化する上で求められていることなのです。
この「自分で自分を愛す」ということの重要性に、未だ多くの人間は気付いてはいません…
まずは、この問題に多くの人に気付いて頂けるよう、この記事が多くの人に読んでもらえることを切に願っています。
コメントありがとうございます。
苦しいお気持ちでしょうが、私のような別視点で捉えると少し楽になってもらえると思います。この記事がお役に立てれば幸いです。
ミエナ
ミエナさん、こんにちは。先日はありがとうございました。
この記事はとてもびっくりな内容ですね!家族のせいではないのですか。弟が自殺して10年経とうとしていますが、未だにトラウマになっています。なんで死んだのか、できることはなかったのか、同じような死を私の子どもたちが繰り返すことはないか…(何代も自殺が続いてるので)。
自殺遺族というのは多かれ少なかれ自分や周囲の人間を責めてしまうものではないでしょうか。
この記事を読んでわたしのなかにほんのすこしでも親を責めるような気持ちがなかったか考えさせられました。そしていつか、誰のせいでもないんだよ、と伝えてあげようと思いました。
コメントありがとうございます。
私の意見に共感していただける方がいて嬉しいです。
教育の新しい軸を「自己肯定 = 自己愛」の方向に進めてほしいものです。
ミエナ
本当におっしゃる通りです!
私は小さい頃から何故か苦しくて悲しくて、いつ死のう、どうやって死のうと考えていました。
自己否定が強くもがいてもがいて、考え方を変えて見事数年で苦しくて辛かったのはいつの頃やら、、
自分は唯一無二、ダメな自分もかわいい!と思える様になってからと言うもの、心身共に元気です。
とにかく自己肯定感を上げて、お一人でも多く救われて欲しいと願っています。
コメントありがとうございます。
そもそも学校が創られた理由が、日本では軍事目的な部分がかつてあり、
それにより「自己肯定」に対して、否定的なのだと思います。
現代の教育のあるべき姿と、古い体制に大きなギャップがありますね。
どうにか改革が進むと良いのですが…
ミエナ
こんばんは
うゎ〜、まさにコレですよね。すごい確信をついた記事だと思います。これを理解している日本人ってレアですよね⁇
教育委員会や学校の先生達に読んでもらいたいですが、頭が堅いので響かないでしょう。ここまでまだ古い体制でやり通している日本の義務教育…いつ変わりますかね。今日も、担任の先生が、生徒の大した事のない行いで(大して悪くもない)クラス全員に謝らされたそうで、かわいそうだったと娘が言っていました。学校は「ルール」を破ったら悪い子みたいな感じで、理不尽に叱られ、やはり、いい子は褒められる、悪い子は怒られる、みたいな構図を子どもは沢山見るので、無意識に評価されなきゃと思ってしまう気がします。
娘には、そう言った理不尽な事があるよと言う事を言い聞かせつつ、「○○ができなくても全然OKだよ」などと声掛けしています。
学校の先生は、本当に子どもの「心」を見る余裕はないし、先生の振る舞いがどれだけ影響を与えるかを1ミリも分かっていない様に見えます。
親である私も、全く完璧な親ではないですが💦