こんにちは、ミエナです。
今回は、「生まれてこないほうが良かった」と思う人に対して、記事を書いていきます。
「この世に生まれてきたくなかった」と思う人へ
Q.「両親が、私を生んだのだから、仕方なく、私は、ここに存在する…」と考えたことは、ありませんか?
私は、結構、上記のように考えていましたね。
両親が、勝手に産むことで、自分は否応なく、厳しい人生を歩まされる…こんな不幸なことは、あり得ない…と
このように考えることは、一見、理屈に適っているようにも見えますし、実際に、海外では、子どもが親を訴える裁判も起きていますね。
「この世に生まれてきたくなかった」という心理
「生まれたくなかった」と考える人は、きっと親を憎んでいることでしょう。そして、自分の現状にも、不満があるはずです。
でも、そもそも「自分が生まれなければ…」という観点は、本当の問題からの逃げです。この誤った発想からは、何も生まれませんし、そのことは、ご自身の心の中でも明白だと思います。
では、本当の問題とは、何かというと…私は、大きく3つに集約できると思っています。
▼「本当の問題点」のありか
- 自分が、社会をどう捉えるか…(お金と対人関係の考え方)
- 自分が親をどう捉えるか…(親との関わり方と、その考え方)
- 自分自身と、どう向き合うか…(自分をどう評価するか)
上記の3点に、きっちりと向き合えていない状態で、「生まれたくなかった」と考えても、一向に幸せになりません。
反対に、この3点について、きちんと答えを持っていれば、どんなに厳しい状況に置かれようとも、誰しも、無条件に幸せになります。
そして、この3点を考える上で重要なのは、自分の人生のゴールです。
出生の秘密。スピリチュアル的な答えは1つ
「この世に生まれてきたくなかった」という心理は、上記の①〜③の答えが、明確でなかったり、「自分の本心や、自分の進むべき道とズレている」と起こります。
しかしながら、この心理は、人生における魂の成長過程の1つであり、自分が、殻を破って、新しい自分に生まれ変わろうとしている証拠とも言えます。
では、スピリチュアル的な「自分の出生に関する真実」は、何かと言いますと…
人は、自分の意志により、数ある両親から、今の両親を選択し、生まれています。
この真実は、「生まれたくなかった」という考えが、自分の心にあるときは、絶対に見えてきません。しかしながら、誰しもが、いつか必ず到達する真実とも言えるのです。
「自分が望んで、この世に生まれた」と思える日
現在、「生まれたくなかった」と考える人は、「自分の意志により、望んでこの世に生まれた」と考える日が、必ず訪れます。
今は、心に多少の「両親の甘え」が心の中に残っている状態とも言えます…
例えるならば…
小さい子どもが、「ギター買ってよ。お母さん!」と泣き叫び…結果…お母さんがギターを買ってあげたら、その恩を忘れて…子どもが「お母さんに無理矢理にギターやらされた(怒)」みたいなことを言っている状態…
上記のように例えると、如何に理不尽なことを言っている状態か、ちょっと分かりますよね。
しかしながら、先ほど、申し上げたように、この心理は、1つの成長過程であり、このように考えることが悪いとか、問題であるとは思いません。(私もそうでしたから…)
親は、自分にとって「神」!?
どんなに厳しい親でも、どんな酷い親でも、どんなろくでなしの親でも、私は、その人にとって親は「神」だと思います。
それは、この世に、あなた(自分という存在)を産みだし、魂を育むから…
両親は、当時、赤ちゃんである「あなた」を育てても一円にもならない…
あなたにご飯を与えても、自分のお腹がふくれるわけでもない…
でも、あなたを育てることで、両親は、心満たされる…
これって、「神」じゃないかなぁって思うのです。
「親 = 神」であると、たとえ思えなくとも、人は生きていけるし、そこそこ幸せになれます。でも、ここに気付くと、本当に、心が自由になるんですよ。
「親 = 神」であると思えることが、「親という1つの制約」からの離脱である
と私は思うのです。
「親 = 神」…こう思えるようになることで、そこでしか得られない幸せが、この世にはあると思います。だから、私は、ここでこんなブログを書くのです…
「なぜ私を産んだ!」親や医師を裁判で訴えた事例
みなさんは、「生まれてこないほうが良かったのか? 」と思ったことありますか?私は、昔は、すごく思いました。今はあんまり思わないです。
今回、このテーマにしたのは、ニックネーム:ゴッドさんから以下の質問を頂戴したからです。
最近注目を浴びている反出生主義をどう思いますか?一般的には(少なくとも理屈上は)論破不可能で完成された考え方だと言われています。理屈ではまったく反論できないため、感情論や根拠のない暴論で否定されている場面をよく見ます。ミエナさんはどう思われますか?
ゴッドさん、コメントありがとうございます。
反出生主義とは下記の意味です。
反出生主義(はんしゅっしょうしゅぎ)とは、生まれてきたことおよび人間を生み出すことに対して否定的な意見を持つ哲学的な立場である。
反出生主義 – Wikipedia
海外では、「自分は生まれたくなかったのに、両親は自分を産んだ」と裁判を起こす人もいるようで、コロナ禍も相まって、反出生主義の議論が活発になっています。
生まれてこないほうが良かったのか?
「生まれてこないほうが良かったのか? 」と考える人は、今、何歳なのでしょうか?この問いにおいては、非常に年齢が重要だと思います。
御年100歳のご老人の場合
御年100歳のご老人が「生まれてこないほうが良かったのか? 」と発言したならば、めちゃくちゃ深いですよね。この100年に波乱万丈の人生があり、歴史という名の運命に翻弄された人生を想像させます。
5歳児の場合
では、5歳児が「生まれてこないほうが良かったのか? 」と言ったら、どうでしょうか?
きっと、お母さんに「あんた、何バカなこと言ってんの?早くご飯食べなさい。」と言われるでしょう。反出生とは、そもそも言う人の年齢によって、恐ろしく意味合いが異なるものです。
「生まれてこないほうが良かったのか?」の言葉を他の言葉で例えてみる
「生まれてこないほうが良かったのか?」と思う人は、富士登山でいうと、九合目くらいで「登らなきゃよかった…」と思う人と同じではないでしょうか。
頂上まで登って、ご来光を見て、甘酒でも飲んで、それでも「登らなきゃ良かった…」と思うのは良いのですよ。でも、九合目で登ることを後悔するって、ちょっと、早い気がする…
そう、人生はこれからです。
人間は「完成されたパズル」ではない
人間は「完成されたパズル」ではないのです。人間は、どちらかというと「パズルのピース」です。
自分は「完成されたパズル」で、そのパズルの絵が「美しくない…」と嘆くのが、「生まれてこないほうが良かったのか? 」と考える人だと思います。(私も昔はそのように考えました。)
しかしながら、
そもそも自分という人間は「完成されたパズル」ではなく、「パズルのピース」であり、これから他のピースと組み合わせ、完成させていくものなのです。
反出生を唱え、両親を訴える方への違和感
まず、裁判の詳細については、下記に記載がありますので、ご覧ください。
参考記事:「なぜ私を産んだ!」親や医師を訴えるロングフル・ライフ訴訟とは何か
この原告は、インドのムンバイに住む27歳の男性でラファエル・サミュエル氏です。「自分を本人の同意なしに生んだ」とご両親を相手に裁判を起こしました。
この裁判をスピリチュアル的に解釈しようとすると、大きな疑問が浮かびます。
生前に「自分は生まれたくなかった」という意志があったことを、原告はどう証明するのか
上記の疑問です。
スピリチュアル的な正解は、「あなたは、生まれたくて、両親の元から生まれています」ということになるからです。
また、人生に苦痛を感じるのは、原告の「魂」が苦しんでいるのであって、肉体ではないのです。となると、両親が産んだのは肉体ですから、「精神的苦痛 ≠ 両親が産んだから」の理由は成り立ちません。
反出生主義は、答えなき論争
反出生主義は、答えなき論争に発展するでしょう。それは、そもそもスピリチュアル的な真実の前提条件を加味していないからです。
「魂と肉体を両方とも両親が産みだした」という誤った前提が、議論をややこしくしています。
両親は、子供を産みましたが、その子供の肉体に宿った魂は、「あなた自身」なのです。このことが、裁判で正式に認められない限り、行く当てのない論争は、終わりを迎えないでしょう。